若者たち

【作者注】東京コピーライターズクラブ(TCC)のリレーコラムコーナーに掲載したものを転載した文章です。TCCサイトは現在サイトデザイン改修中なのですが、現状のものではスマホでのコンテンツ・アクセシビリティが万全とはいえないため、よりよい環境でお読みいただく機会もと思い、このような対応をしております。原文リンクはhttps://www.tcc.gr.jp/relay_column/show/id/4465


迷ったのですが、やっぱり昔の話をします。

私が入会するずっと前、TCCには「TCCイエローページ」という出版物がありまして。

”イエローページ”ってのが時代、ですね。当時の会員ひとりひとりの自己紹介と代表作と連絡先が掲載されてる。のどかな時代。

コピーライターになりたかった大学生の私は、どうやったのかはもうおぼえてもいないのですがツテをたどってそのイエローページを入手しまして、

そこに掲載されている会員さんが所属している会社や事務所に片っぱしから手紙を送ったのです。往復ハガキで。

往復ハガキなら返って来るだろうと思ってたんですけどね。ガキの浅知恵。残念ながら返事がきたのはほんの数通しかなくて。

で、その中に仲畑(貴志)さんからのものがありました。
いまでもとってあるのですが、黒の平ペンで大きく、

「机がない。イスもない。今はとれない。」

と書かれています。いまならイス持って押しかけるのかな。わかんないです。

ただそのときは「じゃぁいいよ、別に入れてもらわなくたって。おれはおれの机がおける場所を自分で探すんだからさ」と思いましたね。生意気ですね。

なんでそんなこと覚えているのかというとその頃つけてたノートにそう書いてあるからです。ぼくが死んだら中を読まずに燃やしてください。


ちなみに後年、仲畑さんからいただいたハガキがもう一枚、手元にあるのですが、何が書かれているのかは秘密です。


仲畑さんが会長になられてから、もうどれぐらい経つんですかね。

就任されたとき、たしかアークヒルズで幹事有志が集まっての会があったかと思うのですが、

そのとき会場に入られる仲畑さんを見て橋本治先生の言葉を思い出して以来、仲畑さんを見ると橋本先生を思い出し、橋本先生を見ると仲畑さんを思い出します。

原典が手元にないので曖昧で申し訳ないのですが、曰く、

若者は外に出ていくし、どこにいても組織の中にいても若者は「外部から来たもの」であるし、若者が自分を「自分はその場所の中の人だ」と考えるようになったら彼はもう若者ではなくて、「自分の守るべき場所を手に入れた大人」の時代に入ったのだ、

と。

仲畑さんはずっと会長になられることを固辞されていて、いろんな人が結構何年も説得してて、

たぶん、あの頃仲畑さんは「若者であり続けよう」としていて、でも「自分が守るべき、自分の手で守りたいもの」を見つけてしまって、

その守りたいものはべつにTCCではなくて、もっと小さくて純度の高いものではあるのだけれど、それを守るとTCCもくっついてきちゃうから、まぁ会長としてここに立たなきゃいけないのかなぁというような、

そんな感じだったんじゃないのかなぁと思います。私の勝手な推測ですが。

ちなみに糸井(重里)さんは、こことはまた別の外の世界を探す旅に出られて、で、広告ではない何かに出会って、それを守ると決められて今に至っているのではないのだろうかと思います。

糸井さんにはお会いしたことすらないのでもう完全に私の妄想の域ですが。

こういうこと書くとまた、「なにを偉そうに」「お前に何がわかるんだ」みたいな人が出てくる決まりになっていますが、それはまぁそういうことで(謎)。


仲畑さんと糸井さんを並べて何かを論じたり書いたりするのって、あんまりやらないですよね、ちょっとタブー?みたいな感じ。

私はまぁ広告から軸足、外の世界に出ちゃったものなんで怒られちゃっても平気ですし、そもそも昔からめちゃめちゃ怒られ慣れてますから(自主広告事件とか)ちょっと書いてみたかったのです。

ああ、そういえば机の話。

今いる会社は完全フリースペースなので、自分の机を置く場所はまだ明確には定まってません。









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