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で、「クリエイティブ」でたべていけるの?


いまや私は広告やウェブの制作をやっていなくって、むしろいわゆるスーツ着てネクタイ締めてる人しかいない場所で仕事をしているので、そのめずらしさもあって「ああ、服部さんはクリエイティブベースなんですねー」なんて言われますし、自分でも「クリエイティブの視点では〜」とかなんとかいって都合よく「クリエイティブ」っていう謎の立場を利用したりしているのですが、

そもそも「クリエイティブ」ってなんなのよ?

と思ったので書きます。


「クリエイティブ=可視化」論

まず、趣味のSNSでも、ビジネスでも、これからいろんなことをやっていくにあたって大切なのは「可視化すること」ではないかなぁと思うのです。とくに、だれかといっしょになにかをするときには「可視化」することで考えを共有したり膨らませたりすることが出来上がりを充実した「おもしろい」ものにするカギではないかなぁと。

で、勘違いしてほしくないのが「可視化」イコール「数値化」「汎用化」だと捉える人がいるのですがそうではなくて、私の思う「可視化」とは相手の頭の中に「像を結ばせる」要素を提示すること。

たとえば、これ

https://blogs.adobe.com/creativestation/illustrator-30-30-20-ryo-fujii

なんの数字も使ってないけど、見事に「あるべき世界」の像が浮かぶ=可視化されていますよね。さすが天才藤井亮さん大好きですほぼ愛してます。

で、結論からいうと、私は「クリエイティブとは可視化すること」ではないかと考えています。もちろんそれはクリエイティブの持つさまざまな機能定義解釈の一側面でしかないという方も多いとは思われますが、すくなくともかなり大きな要素として認めていただけるとありがたいなぁと思います広い心は大切ですよ。


大量生産時代の終焉とレガシークリエイティブの黄昏

ところが藤井さんのこの傑作を「こんなの途中段階だろう。ちゃんと完成したやつ持ってこいよ」とおっしゃるお方もいるわけです特に私が普段お仕事している場所にはたくさん。で、そういう方々の思考の根底にはおそらく「納品物とは汎用化できる完成品=金型発想」があるのだろうと思われます。

金型発想とはつまり、1ミクロンの狂いもない金型・鋳型を作ればあとはガチャンガチャンと数千回数万回やっていけば掛け算で利益が積み上がっていく、だから何度やっても誰がやっても出来上がりにズレがないものだけに価値があるよ、という発想。で、ガチャンガチャンが大量であればあるほど儲かるので、よい金型を作るためなら多少の費用や制作期間は許容される、という流れ。

ただ、このビジネスモデル「同レベルの高品質なものが満遍なく供給される」と肯定的に受け取られていた時代にはよかったのですが、それが「同じようなものがアホみたいに大量にあっても無駄なだけ」と捉えられる時代にはもう成立しないんですよね。

で、これってじつは製造業だけではなくて、私が身を置いていた広告業界や、出版業界、TV業界でも同じじゃないかと思うのです。大量に出稿購買消費される前提が崩れた時点で乾坤一擲磨き抜かれたコンテンツの制作に潤沢な時間と予算を確保するとかもうありえない。


欲しい人と使う人が一緒の時代のクリエイティブ

もしかするとここで「そっか、クリエイティブで食べていくなんてもうありえないんだな…」「Illustratorじゃなくてpythonの勉強しとけばよかったよ…」「そういえば元広告クリエイターのおじさんが転職したとかいうさみしいnoteを見かけたなぁ」とか思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、あきらめるのはまだ早いんじゃないかと私は思います。なぜなら「クリエイティブ=可視化」論を信じるならば、(あなたが鍛え上げてきた)クリエイティブスキルが役立つ場面ってこれからの時代じつは山ほどあるはずだから。

その「これからの時代」っていうのがどういう時代かというとそれは「作る人と使う人の距離が限りなく近くって、かつ使う人と欲しい人が一緒の人」という時代。たとえばnoteを例にとると、CEOの加藤さんはnoteのユーザーでUI設計の最高責任者である深津さんもnoteのユーザーで、定期的にユーザーの声をカジュアルに聞くセッションを開催していて(一度出てみたい)、私のようなユーザーの目から見てとても便利で使いやすい改善改修がなされていて、結果、身の回りで聞くnoteの評判はすごぶるよい、という感じですかね。

もう一つ例を挙げると私が普段見ているような超巨大企業の超巨大業務システム設計なんていうプロジェクトだと、発注者(=欲しい人)も利用者(=使う人)もその企業の中の人(=一緒の人)という感じ。

で、そうなってくると、大量生産をする必要はもうないので金型の精度を上げることよりも、制作の過程の密度と濃度を高める動き、つまりは「作る人と使う人と欲しい人がワイワイガヤガヤ一緒に作る」をしたほうが、みんなにとって満足のいく有意義なものができる可能性が高まると思うのです。そのとき、ただ漫然と話し合っても結局は拡散するばかりでうまくいかないのも事実なので、それぞれの考えを上手に共有したり合意の形成をスムーズに進めたりアイディアを膨らませたりするために、この文章の冒頭でも書いたような「可視化」のスキルが役に立つのではなかろうかと。

そういう流れが可能になれば、これからの時代の「クリエイター」には「可視化のスキル」を提供することで作っていく過程に伴走する、という生き方もあるのではないかなぁと私は思うのです。むしろこの道こそがクリエイティブスキルがこれからの世の中に貢献できる部分なのではないのかなぁと。

ただ、いまのところ残念ながらそういうことを言っている人に自分の他にはまだ会ったことがないのと、ビジネスの現場でそういうニーズが可視化されてる感じもあんまりしないので、クリエイティブのスキルで一生たべていきたいと考えている私は、それじゃ自分でやらないとなぁと思って日々の仕事をしている次第です。もっと仲間が増えるといいな。あなたも一緒にどうでしょう?

だって、藤井亮さんと一緒に考える「某超巨大機械製造業の伝票業務効率化プロジェクト」とかやったら、このミスマッチな第一印象からして絶対予想外の結果が出そうで超おもしろくなりそうじゃないですか?



というようなことを考えたり途中まで書いたりインフルエンザにかかって寝込んだりイナビル吸って起き上がったりしているあいだにこんなnoteが!

すごいなぁさすがだなぁグッドパッチさん(まったく面識とかないですが)このnoteの中にある「この6年でお仕事をしたスタートアップが、なんと5社IPOを果たしています。」というところ、可視化するスキルを持った人材の伴走がビジネスにとっていかに有意義か、のすばらしい証明ではないかと私は感じたのですが、みなさんはどう思われますか?









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