「メタワード」とともに、「善悪」という二項対立を超越する
「メタワード」の運用において、最も重要、
かつ、最も難しいのが、
「メタワード」とともに、
「善悪」という二項対立を超越する
ということです。
自らの「メタワード」が何であるかを把握し
た人が、まだ「メタワード」の扱いに慣れな
いうちは、自らの「メタワード」を、「善」
の概念や「善的」な物事と、つい結びつけて
しまいがちですが、そうすると、「メタワー
ド」の機能も価値も半減してしまいます。
●
「メタワード」は、本来は、「善悪」や「悲
喜」をはじめとした「二項対立」を、「二項
共存」の状態へと「戻す(リセットする)」
ためのものです。
例えば、「正誤」という二項対立によって苦
しんでいる自分を、「中道(ちゅうどう)」
に戻す(リセットする)のが「メタワード」
の役割です。
●
人間にとって、「善人でなくてはいけない」
という強い思い込みを即俯瞰して、「善人」
という概念から、いったん「離れる」ことは
とても大事です。
すると、自動的に、「悪人」という概念から
も、いったん「離れる」ことができるからで
す。
つまり、「善人」という「苦」と、「悪人」
という「快」の両方から「離れる」ことがで
き、自由になります。
●
(別の言い方をするならば)
人間は、「善人」であろうとするから、苦し
いのであって、「善人」でもあり、同時に、
「悪人」でもある、どっちつかずの自分を、
丸ごと受容できる「大いなるわたし」という
本来のあり方を思い出しさえすれば、いつだ
って大丈夫、ということです。
●
人間は、ときどき、「プチ非行」をすること
によって、中道に戻ること(真のリセット)
ができます。
「プチ非行」とは、「自分一人で行える、で
きるだけ小さな非行」です。
例えば、「自分自身を責めている」ようなと
きには、自分なりの「善人」の固定観念に苦
しめられている場合もありますので、そのよ
うなときには、「自分は、プチ非行もできる
のだ」ということを思い出せば大丈夫です。
●
とは言っても、人間の内面における、「想像
(イマジネーション)」という働きは、その
ほとんどが、「善」または「悪」のいずれか
に偏っています。
人間は、中道、すなわち、善悪を50:50
の割合にするのが上手ではありません。
ですから、善:悪=50:50に過度に執着
する必要はありませんし、そうなろうとして
無理をする必要もありません。
「善人」だと思われたい自分を、無理に否定
しなくてよいのです。
「(善人じゃない)自分を責めている」ある
いは「(善人じゃない)他者を責めている」
ということを、自らが自覚できたということ
は、それすなわち、「即俯瞰」できた、とい
うことですから、それで十分です。
「器(うつわ)の大きい人間」、という言葉
は、「立派な人物」という意味ではないので
すから。
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