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「メタワード」とともに、「善悪」という二項対立を超越する

「メタワード」の運用において、最も重要、
かつ、最も難しいのが、

 「メタワード」とともに、
 「善悪」という二項対立を超越する

ということです。

自らの「メタワード」が何であるかを把握し
た人が、まだ「メタワード」の扱いに慣れな
いうちは、自らの「メタワード」を、「善」
の概念や「善的」な物事と、つい結びつけて
しまいがちですが、そうすると、「メタワー
ド」の機能も価値も半減してしまいます。

「メタワード」は、本来は、「善悪」や「悲
喜」をはじめとした「二項対立」を、「二項
共存」の状態へと「戻す(リセットする)」
ためのものです。

例えば、「正誤」という二項対立によって苦
しんでいる自分を、「中道(ちゅうどう)」
に戻す(リセットする)のが「メタワード」
の役割です。

人間にとって、「善人でなくてはいけない」
という強い思い込みを即俯瞰して、「善人」
という概念から、いったん「離れる」ことは
とても大事です。

すると、自動的に、「悪人」という概念から
も、いったん「離れる」ことができるからで
す。

つまり、「善人」という「苦」と、「悪人」
という「快」の両方から「離れる」ことがで
き、自由になります。

(別の言い方をするならば)
人間は、「善人」であろうとするから、苦し
いのであって、「善人」でもあり、同時に、
「悪人」でもある、どっちつかずの自分を、
丸ごと受容できる「大いなるわたし」という
本来のあり方を思い出しさえすれば、いつだ
って大丈夫、ということです。


人間は、ときどき、「プチ非行」をすること
によって、中道に戻ること(真のリセット)
ができます。

「プチ非行」とは、「自分一人で行える、で
きるだけ小さな非行」です。

例えば、「自分自身を責めている」ようなと
きには、自分なりの「善人」の固定観念に苦
しめられている場合もありますので、そのよ
うなときには、「自分は、プチ非行もできる
のだ」ということを思い出せば大丈夫です。

とは言っても、人間の内面における、「想像
(イマジネーション)」という働きは、その
ほとんどが、「善」または「悪」のいずれか
に偏っています。

人間は、中道、すなわち、善悪を50:50
の割合にするのが上手ではありません。

ですから、善:悪=50:50に過度に執着
する必要はありませんし、そうなろうとして
無理をする必要もありません。

「善人」だと思われたい自分を、無理に否定
しなくてよいのです。

「(善人じゃない)自分を責めている」ある
いは「(善人じゃない)他者を責めている」
ということを、自らが自覚できたということ
は、それすなわち、「即俯瞰」できた、とい
うことですから、それで十分です。

「器(うつわ)の大きい人間」、という言葉
は、「立派な人物」という意味ではないので
すから。

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