「天と地と」~あるスケーターの生きざま~

「すごいぃ~こんなの初めてぇ~!」
連日、一口数万円もする料理を情報番組内でレポートしている国もあれば、内戦や餓死で多くの子どものいのちが失われている国もある。


この世には天国もあれば地獄もある。


そういった世界のなかで、いま、われわれは生きている。
「数字や結果のみでひとを評価するな!」
「いま生きている、そのことがすばらしいことなのだ! 」と。

そう氷上で彼は表現したのではなかったか?

北京オリンピックで5位入賞の羽生結弦選手は、腰痛、右足関節靭帯損傷による満身創痍な状態から
彼なりに考えぬかれた末の自己表現だったのか?本当のところはわからない。
そうであったにしろ、結果的に羽生弓弦なりの自己表現であったことにかわりはない。

手前勝手な推察がゆるされなら、彼がつたえたかったことについて考察してみたい。

昨今のオリンピック開催国による過剰な商業化、それによる結果重視主義への警鐘ともとれまいか?

結果(得点、数値)のみが評価対象(競技上仕方ないが)とされ、生きざま、日々の思い、葛藤など どう生きているのか? といったプロセスに目を向けようとしない一部マスコミの報道姿勢に対する痛烈なアンチテーゼか?

「『何回も何回も体を打ちつけて、本当に死にに行くようなジャンプだった』っておっしゃってるんですね。今回の曲がNHKのあの『天と地と』ですよね、上杉謙信を描いた。本当に戦国武将のような気持ちだったんじゃないかなというふうに思うんですよね。ネーサン・チェンが羽生は『神の領域に達してる』と言ったけど全くその通りで、ちょっと別次元の世界で生きてる。アスリートでも特別な存在のような気がしますね」
(二宮清純氏による発言)
荒川静香の取材に対し、「全部の物語を演じ切れた」、
また、
「もう右足の感覚ない状態でやっていましたけど、でもだからこそ出来たのかなって思いますし、本当に体のケアも含めて色々な方に力を頂いてそしてたぶん色々神様にもお力を頂いて、やっと僕のあの演技があったと思うので、本当みなさんに感謝したいです」

「あのふたつの失敗があってあの4回転(4回転アクセル)があってだからこその「天と地と」なのかなって思っています。最後までぼろぼろじゃなくてちゃんと滑りきって全部の気持ちを全部の物語を演じ切れたなって思っています」

以上、これら「天と地と」の演技に言及した箇所からその答えとなるヒントが隠れている。

また、以前の記者会見で「応援してくれる、すべてのひとに夢と希望を与えられたら…」という趣旨の発言から

この世には天国のような理想世界もあれば、地獄絵のような闇世界が存在している。

かつてピカソが地元の町の惨状を描いた「ゲルニカ」のごとく世界がそれだ。

あの日の彼のパフォーマンスは、ひとりのスポーツマンというより、ひとりのアーチスト(演技者)として、現代のピカソのごとく、バンクシーのごとく、ひとつのメッセージを伝えていた。

人生を賭けて理想と希望の世界(天国)とありのままの現実(地獄)を表現したのではなかったのか?


「俺の生きざまをみてくれ!」

「努力が報われるときもあれば、報われないときもある。それが現実であり、人生なのだと…。

そしてこれからも生き続けていく限り、人生ドラマはつづいていくのだ」と。

「生きているってことは、なんと尊く、美しいものなのか!」

コロナ禍、リストラにより、こころ病み、幼児を虐待する親がいる。
人間関係不全、いじめの負の連鎖により、将来への不安から希死念慮する若者もいる。

当たり前のように、ことさら勝つこと、成長すること、成功すること、を強いられている社会にあって、
応援歌なんかでなく、人生を賭して、ともに厳しい現実と闘いながらも、ときに挫折し、再び立ち上がり、ありのままのリアルな姿をみてくれ!と。
そっと手を差し伸べてくれるのは、静かに寄り添ってくれている温かな思いだ!



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