所以たるもの
確か中学生の修学旅行だったと思う
バスガイドの方が移動中に「サンドイッチの食べ方でその人の才能が分かる」という話をしてくれた
その中で「サンドイッチを縦に食べる人は音楽的な才能があるそうです」という話があった
※トウモロコシを縦に食べる人も同様らしい
人より少し早くスネ毛が生え始め教科書より捨ててあるエロ本に人生を牛耳られる世界標準の思春期を過ごしていた私はその日以来サンドイッチを縦に食べるようになった
余談だがそのバスガイドの方はけして美人ではなかったが個人的な好みのどストライクだった事も割としっかり覚えている
もはや四半世紀以上前の話ではあるが、未だにサンドイッチを縦に食べる習慣が残っている
そもそも才能を論じる上で「生まれ持ったもの」という前提を置くならば、意図を持ってサンドイッチを縦に食べ始めた時点でその才能は皆無なのだが、何に齧りつきしがみついているのか分からないが、やはりサンドイッチは縦に食べているし、なんならその方が食べやすいようにまで思っている
才能の有無は結局不明なままなのだが、今現在音楽をある程度の軸にして、数作の作品を残したり大会で優勝し世界大会に連れていってもらったり、たくさんのライブをさせてもらったり、たくさんの時間をかけてたくさんの音楽を自分の糧にさせてもらえてる事を考えると、サンドイッチを縦に食べてて良かったなあと、バスガイドさんありがとうアナタはとても魅力的な人でしたと、アタマが上がらないような足を向けて寝れないような気持ちになる
有象無象の困難が内外に溢れる現状に、タイムラインに対して程遠い記憶が形を変えながらでも残せているのは、よもや人間に備わった便利な才能ではないかと、ヒトの脳という機能に多大なるリスペクトを抱いている
故に音楽やクリエイティブに対して才能論を論じる事は、体育測定の50m走くらい軽んじていい事だと理解している
まあサンドイッチはこれからも縦に食べるだろうと思う、トウモロコシは横にして食べるけどね
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