所以たるもの2

算命占星術という占いがある
1980年代あたりに割と流行った占いで、東洋を起点とする術式にて人体に命式を落とし込むといった割とキャッチーな占いである
※大枠で同じ起点の占いに四柱推命や六星占術がある

これまた中学生の頃、この算命占星術を知り、狂ったようにハマって日々占いをしてはどのように解釈すべきかを考え続けていた
今から思うと荒唐無稽な思春期であり、映画などで観れば鼻で笑えるが、過去としては品のない過去である

いくばくか時は流れ、その興味はあの頃の情熱ほど熱くはなくなり、占いという概念とは付かず離れずの距離を保っているが、最近なにやら懐かしくなるタイミングがあり、昔読んでいた算命占星術入門という本を買い直した


プロセスを無視して結論から言うと、占いとは現時点の自分自身や環境をどのように解釈するか、といったガイドラインみたいなものであり、過去を言い当てるものや未来を指し示すものではない

そもそも過去というものは様々な角度と時間から見れば何通りにもとらえる事が出来る、が故にどうやったって過去を占えば当たっているしハズれているのだ

まして未来が見えるのだとしたら、私が次に鼻血を出すのはいつかを的確に当てるべきで、もはやファンタジーなのだ

現時点をなんらかの指標に当てはめ一定の自身を理解をした上で、今後の方針や態度を考慮するのに、占いというのはいい具合に役に立つ
条件を設けるならば、都合の良い解釈と都合の悪い解釈を同量置く事、その結果を自分以外に適用しない事である

とはいえ昔話も未来のファンタジーもそれなりに面白いものであるし、その程度のものだとするならば占いは面白いコンテンツだ

仮に過去を見通し未来を示すものだとはっきり言ってしまったら、占いはイコール壺売りの信仰宗教のように面白くないものになる

占いを生業にするような人たちは別の話になるが、私にとって占いとはたまに会う友達のような関係が心地よい距離感と理解している

買い直した本が昨日届いたのだが、表紙を見ただけで割と満足してしまった

うん、こんなもんだよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?