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【本日、代表就任しました。2】

「株式会社HENZA」

大昌貿易行の日本法人の社長とのブランド引き継ぎ交渉は見事に決裂しました。当初から妹のファンの方々あっての「ROSEM」ブランドと考えていましたが、彼らにはその本質が理解出来ていなかったと思います。

そして、そこで初めて「HENZA LOS ANGELES(現HENZA)」ブランドを立ち上げようという話になりました。2006年5月親族が資金を出し、一部は貸し付ける形で彼女が代表となり、株式会社HENZAが設立されます。同2006年7月には「HENZA LOS ANGELES(現HENZA)」がローンチされました。

余談ですが妹はデコログというガラケー時代に流行ったブログで全国有数のブロガーとなっており、月間100万PV以上を獲得するほどのファンがいました。

デザイナーを目指して文化服装学院に入学し、バイヤーとして三菱商事ファッションを経て、デザイナーとして大昌貿易行にスカウトされるというシンデレラストーリーは身内を褒めるのも何ですが多くの若い女性の憧れとなったと思います。

「順調すぎる船出」

「HENZA LOS ANGELES(現HENZA)」は当時はまだ珍しかったD2Cモデルを採用していました。展示会やポップアップでお客様との交流やきっかけを作り、SNSなどでフォローしてもらってブランドをより深く知ってもらう。

※D2C…Direct to Consumer」の略。具体的には、メーカーやブランドが、自社で企画・生産した商品を、流通業者を介することなく、自社ECサイトで直接消費者に販売するビジネスモデルを指します。私達は妹がデザインした服を国内外の工場で生産し、オンオフラインで直接販売しています。

そして、オンラインショップに来店頂くモデルです。ただ、後に明らかになりますが今考えると足りない知識やノウハウが多く非常に危ういモデルでした。

兎にも角にも「HENZA LOS ANGELES(現HENZA)」は初めての展示会(東京、沖縄)で300万以上の売上を記録して、順調な船出となりました。私は当時非常に驚き、これならやれるかもしれないと考えていました。

しかし、アパレルはそんな甘い世界ではありませんでした。その私の淡い期待はすぐに打ち砕かれるのです。

[写真: 「HENZA LOS ANGELES(現HENZA)ローンチ時にL.A.にて撮影]

続く…

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