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旬を過ぎた頃

さて、29歳になり、もうただ若いだけでかわいいと言われることもなくなりました。気の利いたことを言って取り繕う毎日です。でっぱっていた部分が引っ込むような、川下の石ころのような丸みを帯びる、第◯次性徴期を迎え、まもなく30歳になります。

実家に帰っていました。実家には、年に1回帰るか帰らないかでしたけど、今年4度目の帰省。というのも、母が3月に亡くなりました。私がよくお母さんと書くのは実母のことで、亡くなったのは父の再婚相手の母のこと。とはいえ、とても私に良くしてくれて、一人娘なもんだから、1年前くらいに余命宣告を受けてからは、少しバタバタしていました。
母の葬儀はお花が入りきらない程に立派だったし、ろくに1人で暮らしたことのない猫2匹と犬1匹と父との生活は、掃除も世話も行き届いて、誰から見てもきちんとしていたし、なんとなく、目まぐるしかった。その一方でお母さんの生活は苦しそうで、やっぱり地元は息苦しい。多分、みんな苦しい。何歳になってもだ。

2年前の1月に就いた仕事は楽しいし、やりがいもあるけれど、立て続けに人が辞めたことによって少し容量が溢れてしまい、辞めようかなと思っています。家族のことを考えたり、自分のことを考えたり、引っ越しのことを考えたり、余計なことを考えたくなるままに過ごしていると毎日はとても忙しい。大喜利している時間がなかったら、息が詰まっていたかもしれない。まあその大喜利のせいで落ち込むことは少なからずあるけども。

趣味と言えるようなものはずっとなくて、高校生の頃なんとなく繋がった子を中心に14年SNSをやり続けたら、こんなんなった。どこに遊びに行くわけもなく何か動くわけでもなく、好きな女の子がいて、それを見て憧れのため息を吐くような時間。少し前から人と遊ぶようになって、仲良くしていたいと思う人達に出会えて嬉しかった。アカウントを分けることをしなかったから、同級生もいろんな界隈の人もそのままフォローしてるけど、たまにあちらこちらからいいねが来ると、まだ見てくれてるんだと思う。あとから棲み分けは必要だったかもと思うけど、どれも自分で、SNSの使い方も全く変わらないから、分けてまで書きたいこともなくてこれで良かったとも思う。

変わらないで言えば12年住んだ家から引っ越すのは、絶対同棲する時!なんて思っていたけれど、そうもいかなくて。流石に引っ越そうと思っているのだけど、このタイミングで仕事を辞めるなんて言ってしまって、この引っ越しはうまくいくのかな。いかないと思います。やっぱり引っ越せないまであります。

人生は何かと入り用で、貯金もない。向こう見ずのまま30歳になろうとしていて、恐ろしいです。私の中にいる小さな侍が、何度も自害しようとしています。今はとりあえず、坊主になってもらって落ち着いてもらっています。小さな侍が、小さな刀を研いでいる。小さな侍が、小さな刀を研いでいて、耳の裏を突いてくる。誰のどんな忠告も耳が痛い。生きながらに感じる不満も、他人事に思えない。

自分を見つめようにも、私の中にいる小さな忍者は隠れてばかりですっかり姿を見せず、私も現実逃避ばかりしていました。それでも、向き合わなくては行けないことには直面するからしんどくて、小さな忍者が、小さなまきびしを撒いている。小さな忍者が、小さなまきびしを私の周りに撒いてくれて、私を一人にする。何もできなくなって、一人でいる時、まきびしなんて可愛いものなくらいに物が積み上がり散らかった部屋で、私まで身動きが取れずにいる。

この2年くらいで、いろんなものへの関心がなくなりました。ときめいて買い物をすることも、一目惚れするようなこともなくなった。たまに読んだ漫画に、観た映画に、小さな侍は感銘を受けて剣の練習をするけれど、それを披露することもなくなりました。小さな侍が、小さな刀を研いでいる。今は夏だから、桃を食べた。メロンを食べた。小さな侍も、小さな刀で桃を切ったと思う。桃を食べて満足して、刀は錆びるんだと思う。

小さな忍者は姿を見せないし、小さな侍は何とも戦わず、仕方なくやってくることに顔を出すこともしなくなる。仕方なく私が片付ける。仕方なく、目の前のことだけをやり過ごすようなことばかりしていたら、全く先のことが考えられなくなりました。一方で、死や葬儀や、お墓のことなど、必ずやってくる先のことだけがチラついて、30歳ってもうそういう年齢なんだなと思いました。99歳のひいおばあちゃんが生きていて、結婚相手はいないのか聞いてくる。いないし、いなくてもいいと言われるようになりました。

仕方なく目先の課題にばかり目をやっていたら、自分が何をしているのか、何がしたいのか、何が満たされているのかわからない時が多くなりました。それでも新幹線の切符をとっているから、家を出なくちゃいけない。家を出る前に急いで桃を2つ食べました。桃の旬は今だけど、食べ頃を過ぎた桃を、実家のシンクの隅に残したまま、東京へ帰ります。

私は旬もすぎて、食べ頃まで過ぎているような存在だと思うから、放っておかれるべきだと思う。私は健康じゃないし、面白いことをいうには食べ頃どころか、腐っているのかも。やりたいことも特にないけれど、腐っているくせに側から見たら活動的なのかもしれません。何がしたいんだっけ。やっぱりわからないけれど、自分のこと以外を考えてる時間は、すごく気が楽で楽しいです。

いろんな整理がついたら、また旬が来るのでしょうか。私の中の小さな陰陽師が、小さいお口でヤバイ呪術を唱えてる。だって安寧って大事♪

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