親父

 まさか立て続けにこういった投稿になるとは思いませんでしたが、親父が先週末亡くなりました。酒、タバコを愛し、趣味もギター、クレー射撃、社交ダンス、ゴルフとやりすぎなぐらいやってましたが五年前に癌になって一時は軽快しましたが現在まで闘病中でした。
 あまり詳しくは書かないほうがいいと思うので割愛しますがコロナ禍の中、病院で最期を迎えるのはあまりにもつらいものがあります。親父はこの夏ぐらいから緩和ケア病棟には入らず在宅医療を受けることを選んだので最期まで自宅でいることができました。お酒も飲めたし、タバコも吸えたし、友人にも会えたし、おかんとケンカしたり孫の騒ぐ姿を見たり、意味のある時間を過ごせたと思います。僕もこんなに親父と密着する事は赤ん坊の時以来だろなぁと思うぐらい足腰弱った親父の肩を抱えたし、弱っている時は恥ずかしげもなく手を握ってあげたりすることができました。

 ぼくがバンドに興味持ったのも親父のギターが家にあったから。高校時代は親父と親父の友人と一緒にベンチャーズバンドを組んで飲み屋でライブもさせてもらったりしました。普段から寡黙で僕や兄貴と遊ぶのが下手な親父だったので親父との思い出はこの一緒にバンドをやれた出来事ぐらい。(あと覚えてるのは当時出たばかりのセガサターンのバーチャファイターを一瞬だけプレイしにきたぐらい)
 4歳上の兄は親父と共通の趣味がなかったので大人になってからはいつも「哲也はバンドがあるから羨ましかった」と言われてました。闘病中も看護師さんやデイケアの人に「シュンカシュウトウって知っとる?うちのせがれがやりよんよ。」と嬉しそうに言ってたので僕がいい歳してもバンドしよるのは純粋に嬉しかったんやろなぁと思います。
 夜伽の時に、兄貴と伯父で親父を囲んで一晩中飲み明かしました。伯父が寝てしまってからも兄弟で色んな話。昔話もしたし、叱咤激励もされたし、兄弟でこーやって話す機会もなかったんで親父が作ってくれた時間と思ったら寝るのが惜しかったです。結果、兄弟揃って告別式は深刻な二日酔い。オカンからは「このバカ息子達」と言われましたがずっと憔悴してたオカンがなにか嬉しそうにしてたのでよかったです。
 親父は亡くなったけど家族の繋がりをこの数日間身にしみてわからせてもらったので今は哀しいというより「親父ありがとう」という気持ち。
 

ここまで書いて先日亡くなった太郎さんに対してもありがとうって最後に書いた事に気づく。

亡くなってから思うんじゃなくて普段から感謝の気持ちを伝えるようにせなもう本人には伝えれんのよなぁ。

伝えれんかった分は今生きてる人に少しでも伝えれるようにします!


今後とも皆様よろしくお願いします!


そして親父、長い間お疲れ様。あんまり早くそっちに行くつもりはないけど

またなぁ!

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