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#7. 腑に落ちない言葉

先日夕方、某所を歩いていたら人だかりを見つけた。ディスプレイを持って立っている人がおり、その周りで通行人に説明をする役割の人が数人。立ち止まって画面を見たり話を聞いている人がいて、全体で20人くらいだったろうか。

何かと思い足を止め様子を伺うと、そのディスプレイにはショッキングな扱いを受けている(ように見える)動物の映像が流れていた。どうやら「とさつ(屠○)を止めよう」ということを掲げる団体の活動のようだった。

映像を見ていると1人の女性が近づいてきた。そして、彼女は礼儀正しく挨拶をしてこう言った。

「見ていただいて有難うございます。映像をご覧になって率直にどう思われますか?」

無残な動物の姿が流れる映像を見てどうもこうもない。「楽しそうですね」なんて言う人はいないだろう。象徴的な場面だけを示し心境の誘導を図るような言い方はあまり好きではない。

「これは何の映像ですか?」

彼女の質問には応じず聞いた。すると、やはり屠○廃止を掲げる活動であり、人間のエゴのせいで世界ではこんなにも残虐なことが行われている、動物達が可哀想だ、ということを話していた。
まぁ、そこまでは考えや価値観の違いであり別に何とも思わない。なので「残忍な光景に見えるけど、食肉も菜食も個人の主義や好み、体質によるものではないですか?」と話した。

それに対する彼女の発言が引っ掛かった。タイトル回収はこれ。


「でも、無くても生きていけますよね?」


無くても生きていける。ナクテモイキテイケル。

うん、まぁ、そりゃね。物理的には可能と思う。屠○についても、一方的な搾取行為だから言わんとしていることも分からなくはない。でも、ある一社会活動を「無くても生きていける」という言葉で評し断ずるなら、そもそも大抵の社会活動は不要となるだろう。呼吸をし、ご飯を食べ、睡眠をとること"だけ"を"生きること"とするならば。

別に言葉尻を捕らえて命題的な話を突き付けるつもりは無い。ただ、屠○の仕事で生計を立てている人はどうするの?肉や魚など、動物性の食事しか認められていない民族や信仰の人はいないの?栄養偏りそうだけど身体的な影響は...?野暮に悪魔の証明を求めることはしないけど、そうした前提的な認知や感覚はあるのだろうか。「なぜこの人には届かないのか」という、彼女の自分達の正義を疑わない眼差し。否定はしないけど自分とは歩く道が違う。

そんな問答を2~3回繰り返したが、自分には響かないであろうことを察した彼女は、他の見物人の元へ行き同じ話をしていた。新しい人は自分よりよほど熱心に話を聞いていたので、彼女のテンションも明らかに自分の時とは違っていた。

「無くても生きていける」という言葉は、どうやら自分の中に多少残ったらしい。腑に落ちない言葉として。翌日、屠○に引っ張られず純粋な言葉の意味として考えてみたが、何度考えても自分は「無くても生きていけるものが無いと生きていけない」人間であるという結論に至った。

*****

ついでに他の「腑に落ちない言葉」も。
奮起を促す目的と思うけど好きになれん。

あなたが無駄に過ごした"今日"は、”昨日”○んだ誰かが生きたかった"明日"

あなたより頑張ってる人、辛い人、大変な思いをしている人は沢山いる

いや、そんなん知らん。自分より大変な境遇の人がいるからなんだ。自分より辛い思いをしてる人がいるからなんだ。自分より頑張っている人がいるからなんだ。俺は、今、俺が辛いんだ。上の言葉を直接言われたことは無いし、下の言葉は学生時代に1回言われただけだけど、目にする(聞く)度にいつも違和感があった。

あと、これ。

人という字は"ヒト"と"ヒト"が支え合い生きている

金○先生か誰か知らないけど、これ最初に言った人って絶対"人"の左側の人間だよね。頭で支えてるのか両手を上げて支えてるのか分からないが、実際に書いたらどう見ても右の負担大きくない?助け合おう的な空気で自分が感動し満足してるから、周りも同じハズだってこと?

書き順が右からでなく左から始まる所に、この漢字を作った人の「おぃ左、お前あんま偉そうにすんな。お前右がいなけりゃ倒れるだけだぞ。ちゃんと右に感謝しろ」という右の"ヒト"に配慮する心配りを感じる。右がいなければ左の"ヒト"はつんのめって顔面から倒れると思うけど、高さがあるから結構ダメージ大きいハズ。多分"人"という漢字を作った人は、気配りができて、思いやりがあって、周囲のことがよく見えて、仕事もできて、結構モテる人だったんじゃないかと思う。

何の話だったっけ。そうそう、良い言葉に触れて生きていたいという話です。

End.

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