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「映像」と「動画」の違い

最近ネット上で視聴するものは「映像」とは言わず「動画」と言うのが一般的になっています。
意味としては基本同じなので深く考えなくても良い気はしますが、やはりずっと「映像」という言葉を使ってきた人間として、その辺りをうやむやにするのは嫌なので「映像」と「動画」の違いは何かと考えてみました。

「映像」と「動画」の違いを語る上で「動画2.0VISUAL STORY TELLING」を執筆した明石ガクト氏は以下のように定義しています。

動画=IPT(情報密度)が高いもの
映像=
IPT(情報密度が低いもの

動画は映画やテレビと違い基本的にスマホ視聴を前提としているので、隙間時間などでサクッと視聴できる必要がある。そのため如何に短い時間で情報を凝縮して伝えられるかに特化したコンテンツが「動画」となるそうです。

今まで曖昧だった「映像」と「動画」の違いを明確に定義付けしたことは素晴らしく、なるほどなーと思う反面、情報量の密度で映像か動画かを分けるのは腑に落ちない所もありました。

まず言葉の意味を辞書で調べると「映像」は光線の屈折または反射によって作られた像だそうです。像とは「モノの形、人の形」です。つまり映像とはカメラで撮影したりモニターで表示するものだけでは無くて写真や影絵、パラパラ漫画などを含め「映る像」全般を指しています。「脳裏に映像が浮かぶ」とは言いますが「脳裏に動画が浮かぶ」とは言いませんよね。
「映像」は英語で「イメージ」と訳されるように物理的なものでは無くて概念な訳です。

「動画」の元々の語源は映像作家の政岡憲三が「アニメーション」の訳語として考案・提唱したものが最初とされるそうです。そこから転じて今では「動く画」全般を指す言葉として使用されています。「映像」が概念的な言葉に対して「動画」はフィルム、ビデオテープ、動画データなど物理的な「媒体」が存在します。「映像」は頭の中でも上映できますが「動画」は必ずスクリーンかモニターに映し出されます。つまり言葉から考えると

映像=動的イメージ 
動画=
動的メディア

となるわけです。
動画は時代によってニュアンスが異なります。最近の「動画」という言葉は本来インターネット上で公開する「web動画」の意味であり、普段使いでは訳されて単なる「動画」という言葉が使われています。

元々の動画=アニメーション
広義の動画=フィルム、テープ、データなどのメディアで収録された映像
現代の動画=インターネット上で公開する「web動画」の略

こう定義してみると自分的にはしっくり来ますね。ここからもう少し飛躍して考えてみます。

映像=動的イメージ→雰囲気や世界観を重視したもの→人との時間の共有
動画=現代はスマホが媒体→隙間時間で見やすいもの→個人で楽しむもの

本来の映像はイメージですから具体的な情報を詰め込むよりも行間や余白など、ゆったりとした間で視聴者に想像させたり、考えさせたり、映像の世界観に浸ってもらう表現に特化していると言えます。

それに対して現代の動画はスマホ視聴が基本です。小さな画面で視聴しますからゆったりとした世界観に浸るというよりも「効率よく情報収集したい」「暇つぶしに楽しみたい」という目的で利用します。そのため短い時間で、密度が濃く、特定の個人に向けた表現方法となるわけですね。

とは言え短い時間で情報を詰め込んだ映像作品もありますし、長尺で世界観を重視したweb動画もあります。なのでリアルな雰囲気や世界観を重視した表現を「映像的」短時間での情報伝達を重視した表現方法を「動画的」と定義してみます。

この定義を基準に考えると映画やテレビドラマは世界観と空気感を大事にして、視聴者を物語に引き込むことが重要ですから「映像的」です。

スタジオトークが中心のバラエティ番組であればゆるい現場の空気感が伝わってきますから「映像的」です。
しかし情報をテンポよくまとめたVTRは「動画的」です。
だからVTR中にワイプで出演者のリアクションを見せることによって「映像的」な表現を演出してるんですね。

ミュージックビデオは短いので動画のようですが、あくまでイメージ表現なのでこれも「映像的」です。

CMは情報量の多いものは動画的ですが、独特の世界観や役者の演技が光るCMは映像的な印象を受けます。

一般的には映画やテレビ視聴は「映像」で、PCやスマホ視聴は「動画」とされていますが「映像的な動画」「動画的な映像」という考え方は間違いなく存在すると思います。

まあ言葉というのは辞書で定義されるか世間での認知度が高いものが正解となるので個人的な定義付けはあまり意味が無いかもしれません。
ただですね「動画」という言葉は味気ないんですよね。「写真」であれば「真を写す」だから表現に対しての奥深さを感じられます。
「動く画」よりも「映る像」の方が言葉としてイメージの広がりと可能性が感じられると思います。

どれだけ「動画」という言葉が一般的になってもアート的なクリエイティビティを持って製作している作家は「映像作家」と名乗れど「動画作家」とは名乗らないんじゃないでしょうか。



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