みんな違ってみんないい

最近思うのだが、自分も昔に比べてずいぶんと色んな意見や見解を聞けるようになったものだ。

自分と違う意見でも頭ごなしにシャットアウトするのではなく、ほうほうそういう考えもあるのだな、と聞き入れることができるようになった。
そうすると、SNSなんか見てても実に偏った方がいるのだなぁと気づく。
自分もきっとそうであった時期はあって、その頃とても狭い世界で生きていたのかもしれない。もったいないなぁと思う。


ここのところワンマンのリクエスト曲がどんどん増えてきて、準備が追いつかなくなりそうなので、今週で締め切ろうと思っているが、カバー曲を練習していて”あること”に気づいた。

それは、スイートな(主に歌詞の内容)曲が多いということ(笑)

私の曲にはたしかにスイートな曲は少ない、というかほぼない。
そもそも発想自体がなかった。ノンシュガー野郎だ。ブラックコーヒー専門店だ。それはそれでもいいのだけど、今回甘い香りのするカバー曲たちを練習していて、「ああ、こういう曲を唄うのもいいなぁ」と思えるようになった。(聴くのは元々スイートな曲も聴くし好きである)

ただ、自分がそういう曲に酔いしれて唄っている姿を想像すると身の毛もよだつほどの寒気に襲われるので、ここは深く考えずに唄おうと思う。

私は、たとえば撮影した自分の唄ってる姿を観るのも自分の唄ってるのを聴くのもかなり苦手である。
もっと言えば、実はライブの日以外は出かける前に鏡もほとんど見ない。
だから毎日頭はボサボサだし、髭はボーボーだし、よく眉毛なんかにコテツのモフモフの毛がかたまりでくっついていることだってある。

人前に立つ人間としてどうかと思うが、とにかく自分を見てもなにも面白くもないのだ。それどころかなんとも憂鬱な気分にすらなってしまうのだから仕方ない。だったら見なくていい時は鏡なんて見ないほうが一日気分がいいのである。

あ、書いていて気付いたけど社会の窓がたまに開いているのはきっと鏡を見てから出かけていないからだ!!
それはいけないな。。。反省。。。

話が逸れ過ぎてなにを書いていたか忘れたが、とにかくこれから甘い曲も書いてみよっかな、という気持ちになっているということが言いたかったのだ。

そういえばこないだの福島でも、こんな時に安らげるような甘い曲でもあればいいのだけどなぁと思ったものだ。
メディアがたくさん来てたので、つい熱くなって「ニュースはみない」なんて唄ってしまった。
それでも客席には「うおぉーー!!」と拳を上げてくれた方々がたくさんいたし、あの拍手を俺は忘れないので、これはこれで俺しか唄えない歌なのだからいいのだ、と思った。

それもあって、安らげるような甘い歌があって、っていうのが理想かもしれない。

いろんな歌を唄ってゆきたい。

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