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古き良き時代

この大変な状況になって、私は真っ先に祖父ちゃんのことを思い出して、墓参りに行ってきた。

私が今でも一番尊敬している人。

戦争を経験し戦後の貧しい時代を過ごし、教職の道へ進み、何十年も小学校の校長先生をしていた。

私が物心ついた頃にはもう定年で、どんな先生だったのかはわからない。
けれど、祖父ちゃんの家に行くと毎回誰か知らないおじさんおばさんが「先生」と言って訪ねてきては、家に招いて何か話をしていたのを覚えている。

祖母ちゃんと二人で、とても質素な暮らしをしていた。

決して贅沢をしないけれど、ケチというわけでもなかった。
孫の私たちに毎回行く度に何かをくれるわけでもなく、祖母ちゃんの美味しいご飯をごちそうしてくれる。特別な日にだけプレゼントをくれたりして、それがとても嬉しかった。

亡くなった後に聞いた話だが、爺ちゃんは人生でただの一度もお金を借りたことがなかったという。家ですらキャッシュで建てた。(当時の教員が決して裕福だったわけではない)
借金というものでモノを買うというのはいかがなものか、と。本当に欲しいモノならその分なにかを我慢して、貯めてから買えばいい、と。

そして、なぜか保険というものをめちゃくちゃ嫌っていた。
これも亡くなった後に聞いてびっくりしたが、生命保険にも一切入っていなかった。(それでも自分の葬儀費用もなかなかの遺産も残していたというのだから驚く)

儲け話のようなものが大嫌いで、親戚のおばさんが軽く怒られてるのを見たことがある(笑)
お金を一番に考えるような人間にはなってはいけない、と。
かといって、お金を粗末にするようなことも一切しなかった。

あと、すごく覚えているのは、祖父ちゃんは「昔はよかった」ということはただの一度も言わなかった。こういうのが良かったよ、とか、面白かったんだよ、という昔話は聞かせてくれたけど、今と比較して、今を否定することもなかった。そこがすごく好きだった。


近所に小さな川が流れていて、そこにいつもアヒルがたくさんいて、幼い頃に祖父ちゃんが連れていってくれるのがとても楽しみだった。必ずアヒルにあげる「パンの耳」が袋いっぱいにとってあって、それを私に持たせてくれた。てつやが来た時に、と言って祖母ちゃんにパンの耳をとっておいて、と頼んでいたそうだ。

高価な玩具などは買ってもらった記憶はないが、あのパンの耳はどこにも売ってない私の心の中の宝物だ。

そんな宝物を祖父ちゃんからはたくさんもらった気がしてる。

愛ってなんだろう?と思うと、祖父ちゃんを思い出す。

祖父ちゃんに出会えたことを思うと、あぁ生まれてきてよかったなって思う。

”出会えた”ってなんか変だけど(笑)

祖父ちゃんがいなかったらそもそも私は生まれてないんだし。


祖父ちゃんのように立派なひとにはとてもなれないけれど、教えてもらったことは時々思い出して、私なりにこれからの時代を生きていこうと思う。

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