老い

口にすれば、その速度も上がるような気がしてずっと避けてきた”老い”について。

正直に言って、40歳くらいまでは何も感じていなかったような気がする。

ただ鈍感なだけといえばそれまでだが、気づいていなかったからこそ多少は若くみられたものだった。

実際、40代前半の頃にトミショーと二人で入った兵庫の喫茶店で、「お兄さんたちは学生さん?」と、ガチでお店のおばちゃんに声をかけられたもんだ。

それがどうだろう。今や4K配信に耐えられず、ドーランの27番を顔に塗りたくるほど、お肌もボロボロ。

このままではいけない、と始めたランニングで迷子になり、それならば自転車が良いのではないかと始めてみて2回目ですぐにひどく腰を痛める始末。

思えば、あれ?なんか最近少し老けてきた気がするなぁ自分。と、ほんの少し思ったあたりから、どんどん加速していって、その勢いは今や全盛期のウサインボルトの200m走中盤くらいのスピードが出ている。

これが公道であれば、老いのスピード違反である。

これは非常によくない。

何が一番良くないかって、それは明らかに、”意識”だ。

こんなに書いておいてアレだが、こんなことを書いている時点でダメである。

忘れるのだ。老いなんてものは。

いや、若づくりしようという話ではない。

人間誰しも歳はとるもので、自然の摂理には逆らえない。

ならば、カッコよく歳をとっていけばいいだけの話だ。

もちろん肉体も大事かもしれないがもっと大事なのは中身だ。

無理に若返る必要なんてない。目指すべきはダンディーだ。

心を、舘ひろしにすればいいのだ。

よーし、見てろよ。

ダンディーへの道。

歳を重ねれば、その時にしか出せない”味”があるはずだ。

そう考えると、明日の自分、来年の自分が楽しみになってくる。

目指すぜダンディー。

ゲッツ!!



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