コロナ禍の中で
今年も半年以上が過ぎて、7月も半ばに差し掛かろうとしている。
ソロ活動10周年は、あっという間に過ぎていってしまうようだ。
ちょっと前まではそのことについても、悲観的ではあった。
10周年記念のTシャツやグッズなど張り切って作ったが、10周年記念ワンマンなどもことごとく延期。
何もできずに半年以上が過ぎる。かに思われたが、
本当にそうだろうか?
こういう状況になる前は、自分は一切やろうともしていなかった配信というものにチャレンジし、ラジオ配信なんていうものまで始めて、そこで今まであまり振り返らなかった昔のライブ音源や、作ったきりほとんど唄っていなかった曲などに触れる機会をもらった。
ただライブをしていた時よりも、この10年を振り返っている気がする。
そして、この10年間、どれだけの人に支えられてきて、ここまで続けてこれたのか、身に染みている。
5年前の私なら、この状況下で活動を続けていられたかわからない。
ここからは私個人が感じていることなので、必ずしもそうとは限らないかもしれないが、
もう恐らく、コロナの前にあった日常は、戻らないだろう。
私たちの住む世界、生き方、それは大きく変わる。
ただ、思うのだけれど、果たしてコロナ前の日常が良いものばかりだったか?ということ。
一番感じるのは、自然と人との関係である。
私たち人間は、いかに”自分たちの都合”だけで、この世界を変えてきたのかということ。
皮肉にも、コロナで人が外に出なくなって、地球の環境があちこちで改善されている事例がいくつもある。
よくコロナ禍のことでポジティブな反応をすると、それを見た人が、
「コロナで苦しんだり、亡くなった人だっているのだから、喜んではいけない」的なこと言う人がいるが、まさにいかにも自分本位、人間本位な考え方だな、と思ってしまう。
人間にさんざん苦しめられ、殺されてきた草木や動物、自然のありとあらゆるものについては、考えたこともないのだろうか。
自然からしたら、今の人間どもは悪魔そのものだ。
金に心まで支配されて、自分たちの都合でしか物事を考えられない人間という愚かな生き物は、その自らの手で己を苦しめている。
「コロナに負けるな」
「日常を取り戻す」
まるでこちらが正義であるかのような、いかにも人間らしいデタラメなスローガンに、私はもう踊らされるのはごめんだ。
コロナ禍の中で、私が今強く考えていることは、今までの反省であり、これからの自然との共存の在り方。
デタラメな政治、人間のエゴ、今まで見えなかった”嘘”にもたくさん気がついた。
多くを望めば、また、多くを失うのであろう。
音楽活動にしても、小さな喜びの瞬間をコツコツとひとつずつ作り、やがていつか終わりが来る頃、手のひらに納まるくらいの小さな幸せがひとつそこにあればいい。
勘違いしてはいけないのは、じゃあその愚かな人間を愚弄し、叩き潰せばいいのかというと、そういうことではない。
自然と同じように、また人間同士もちゃんと共存していかなければならない。
それには、とにかく自分でちゃんと考えること。
誰かが言ってるから、こういう情報を見たから、政府の方針がこうだから、ではなく。
自分の生き方は自分で見つける。
どんな状況だろうと、楽しみながら。
気に入っていただけたら、お気持ちを投げ銭ください! 今後の活動に非常に助かります!! でも、ムリはせずに…