読書記録 day1 自分とないから 教養としての東洋哲学

自分とは何かを探し考えている人にはとても興味のあるタイトルである。
私にはぴったりのタイトルだった。最初にこの本と出合ったのはYouTube の動画である。まずやっぱりびっくりしたのは作者の経歴である。大手企業に入り、結婚もしたのかと思いきや無職になり、離婚をするという壮絶な人生を送っている。布団で引きこもっている間に東洋哲学に出会ったらしい。私も頭の中でぐるぐる思考を巡らせているとこれは哲学という名の思考の学問なのではないかと考える。
内容はざっくりこうだ。
・全てはつながっている
→自分が呼吸をしているのは植物が酸素を光合成のおかげで出しているからである。植物が光合成で来ているのは太陽があるからである。つまり太陽と私はものすごい密接に関連している。
・全ての関係はフィクション
→ミッキーマウスがフィクションであるように、ディズニーランドもまたフィクションである。ディズニーランドがもし、問題を起こしてミッキーもいなくなり、あの大きなテーマパークにディズニーという名前やシンデレラという名前が一つ一つ剥がれたら何が残るだろうか?そう?ただの何もでもない建物が残る。家族もそうだ、お母さんという言葉のフィクションが取れればただの女性という事実だけが残る。会社もそうだ、社長もそうだ。ただの、その場にいるその人それぞれの存在という事実だけが残る。
・自分とは大日如来である
→空海の密教による教えである。すべてはなりきりである。

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