しびれるとき
ヨギボーマックスに沈んだ体を、ようやっと起こす朝。
寝そべってテレビを見ていたはずだが、やっぱり寝落ちした。
ヨギボーマックスに全身を横たえてテレビを見ると、100%寝落ちする。
Netflixのドキュメンタリー「監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影」も、3回も見直さなきゃいけなかった。(SNSで情報操作こわいねー)
スマホをみて、Twitterで流れてきた、次のnoteが目にとまった。
ずいぶん前に投稿されているが、また話題になっているようだ。
スキ!数がすごい。一読して、しびれた。
趣味嗜好を熱を持って語るところも、途中から自分のことを「雪国の女」と、粘着質キャラを出してくるあたりも、うまく、面白い。彼女の話を楽しむべく、彼氏の歌を聞くのは最後にとっておいた。あ、佐伯ポインティの顔は途中で調べて、想像をふくらませた。このnoteが流行る度に、検索数が謎にアップしたであろう、佐伯ポインティよ。
当初は思いもよらなかった、あっ、という確変に、スキ!数のわけがわかった気がした。ガッテンして、スキ!を押す。
彼氏の歌は、中年の私には普通に聞こえた。彼女の他のnoteを見て、ああ、こんな服や靴が好きな女の子なんだな、と思った。
関係のない私のような他人にとっては、よくいる、今の若い人。
けれど、彼女のときめきや、執念や、費やした日々や、展開は、彼女にとってスペシャルで、それを生き生きと、自分の言葉で表現して、私らまで楽しませてくれる。
この週末は、TwitterやFacebookで、このnoteをレコメンドしている投稿を何件も見た。スキ数が、2万から4万に倍増しててすごい。
noteでは最近、他にも、印象深いものを読んだ。
↓
高校の授業の設定も、著者の心情の変化もビビッドで、とても興味深い。
先生の、この言葉に、しびれた。
そうなんだよ、絶え間なく~ふりそそ~ぐ今日の~雪のように~♪ ちいにいちゃん! って、全然関係のないドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌がつい出てくるが、
子育てというのは、絶え間なく、いつ起きるか分からない事故・事件を防衛しつつ、神経をすり減らしながら、日々、生活していくものなんだよ。
上記のnoteの内容とは関係なく、自分の事例を思い出した。
子どもが保育園や小学校・中学校になると、都会の親は、警察の不審者メールに登録する。すると毎日、○丁目で変態が出たとか、不審な人に声をかけられたとか、○○駅で殺人が起きて犯人が逃走中とか、そんなメールがいっぱいくる。のどかに見える町でも、危険の芽はいっぱいある。だから、深夜に一人でフラフラと、何キロも歩いてちゃいけない。危ない。悪いことをする人がいなければいいけれど、そうはならない。犯罪者を許容するはずもない。制御ができないのだ。なのに、いざ危ない目に逢ったときに、「悪いのは自分じゃなくて、悪いことをした人だ、親が”夜遅く遠距離を歩くな”って怒るのは間違ってる」と、親に逆恨みをぶつけるなよ。何も悪いことをしていない、神経をすり減らして子育てしてきた親に、加害するなよ。とっくに成人しておきながら、無知すぎるし、自己中すぎる。
話かわって、「しびれた」エピソードをもうひとつ。
2022年5月13日(金)の「朝日新聞」の文化面。
コラム「語る ―人生の贈り物―」 崔洋一④
映画監督の崔洋一氏が、退潮ムードの学生運動に敗北感を感じ、映画の道へ足を踏み入れたときのエピソード。
というコラムに、しびれました。