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early 50s の青春は、人的には密ではないが、やりたいことが過密

2022年の夏、甲子園で初優勝した仙台育英高校・野球部監督が優勝インタビューで語った「青春は密である」という言葉は、コロナ禍3年目の私らの胸を、ハイコンテクストで締めつけた。

私のような中年は、遠い遠い高校時代の、ギャハギャハした日々を思いおこす。

今の若い人々は、コロナ禍で、何をやるにしても制限がまとわりつく。
ずいぶん違うんだろうなぁ。

しかし、「青春」は若い人だけではない。
50代の私が、今、青春をかみしめているのだ。

子どもの大学受験が終わり、塾代などの心配から解放され、2022年の自分は糸の切れたタコのように、東北、北海道を乗り鉄し、趣味を謳歌している。

鉄道が好きで、今まで、行きたいと思いつつ、地図を見るばかりだった土地に、やすやすと行けるようになった。

趣味の、ひとり旅なのだが、ホームへ入線する列車の音を聞きながら、車窓の景色を見ながら、思いがけず好きな駅を発見しながら、じんわり、じんわりと幸せを感じる。

ああ、青春だなぁと感じる。

いろいろと自由で、幸いにも健康な、アーリー50代は、青春である。

ひとりだから、密ではない。
疎である。

しかし、やりたいことが密である。
行きたいところもいっぱい。
鉄道だけじゃなく、観たい映画、ドラマ、本、漫画、食べたいもの、美術館、まとめたい写真…、いつまでたっても終わらない。

ダイソーの薄い手帳を開くと、1年365日が見開きにバーチカルにつまっている。(カバー画像) えっ、1年ってこれしかないの?

1月もすぎようとしていて、1年の何%がおわった、とか、よくいう人がいる。いや、終わった日や、残り日数でとらえるのは好きではない。

てゆーか、こないだネコに手をかまれて右手を負傷したまま、痛い日々が続いている。ケガをすると、両手が問題なく使える日々は貴重なこと、両手が助け合ってものごとをやっているありがたさがわかる。

手が治って、また、存分に青春をかみしめる日々が、はやくきてほしい。