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さまよふ魂〜絵画編その四

サンパウロにある通称MASP(マスピ)は4本の赤い柱に宙吊りにされた不思議な美術館。絵画もガラスのパネルに吊るされて浮いているし、何より南半球地の果てにどうしてこんなたくさんの名画があるのかにまた驚く。

「もし女性の乳房と尻がなかったら私は絵を描かなかったかもしれない。」と、ルノワール。印象派の巨匠は1881年にイタリア旅行を契機にラファエロやアングルなどの古典絵画への傾倒を深めるが、やがて暖かな幸福感溢れる作風にたどり着く。“足を拭く浴女”は1911年ルノワール晩年の車椅子生活の中で描かれたとは思えない生命力に溢れた作品だ。赤味を帯びた透き通った白い肌の圧倒的な肉体的質感と量感。あのカーニバルで躍動する肉感的なブラジレイラにも決して負けてはいない。

その肉感と対極の絵画がモデリアーニ“レオポルド・ズブロスキーの肖像”だ。
異様に長い首と瞳の無い男の肖像画には知性とやさしさが滲み出ている。モデリアーニはイタリア北部でスペイン系ユダヤ人の両親の末っ子として生まれ、やがて22歳でパリに移住する。しかし絵画は売れず酒と麻薬に溺れて極貧生活をおくる。そんな彼を支えてくれた画商が、決して自分も豊かでは無かったズブロスキーだ。1917年に彼の肖像画を描いた頃、モデリアーニは19歳のモデル画学生ジャンヌと結婚の誓約をする。しかし相変わらずの飲酒と長年患っていた結核により1920年に35歳の若さで他界する。その2日後にジャンヌは自宅から飛び降り彼の後を追う。彼女のお腹には9ヶ月の胎児が宿っていた。彼の作品にはいつも端正な悲しみが漂っている。

「いつまでボーとしておるんじゃ。次は何処じゃ」「では一気にヨーロッパまで。ベルギー王立美術館にお願いします」「よーしゃ行くぞ」

<続く>

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