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さまよふ魂〜絵画編その五

フランス革命のドラマチックなワンカット「マラーの死」はベルギー王立美術館に収められている。1792年9月オーストリア軍の侵攻でパニックとなったパリ急進派は聖職者を含めた囚人1万数千人を虐殺した。翌年1月ルイ16世の処刑によりフランス革命は完結する。その中心人物の一人がマラーである。ジャーナリストでもあるマラーは皮膚炎を癒す為、浴槽に浸かりながら仕事をしていた。そこに9月の大虐殺を糾弾する穏健派の美しい女性シャルロットが巧みに近づき、隠し持ったナイフでマラーの心臓をひと突き。彼女はその場を逃げることなく逮捕され、4日後にギロチンで処刑される。正義感に満ちた25才のノルマンディーの貧乏貴族の娘であった。
マラーの同志であった画家のジャック・ルイ・ダヴィッドはマラーの死をミケランジェロのピエタ像の構図を模し革命の殉教者として描き、自分たちの正当性を民衆に訴えた。王政廃止と共和制確立を成し得たフランス大革命の犠牲者達の交錯を描いた歴史ドラマ「マラーの死」ある。

「次はローマの中の都市国家バチカン市国のシスティーナ礼拝堂に連れてって下さい、ひげシワ爺ちゃん」

システィーナ礼拝堂には神の手を持つ芸術家ミケランジェロの天井画「創世記」と祭壇画「最後の審判」が描かれている。1475年にフィレンツェ郊外で生まれたミケランジェロはメディチ家をパトロンとしてルネッサンスの大彫刻家として君臨していた。ローマ教皇に頼まれて最初に旧約聖書の創世記の9つのエピソードを40mの高さのアーチ天井に4年の歳月をかけて一人で描き切った。その恐るべき精緻な肉体描写と躍動感は見るものを違う世界に連れ去ってゆく。その25年後、60才を過ぎてから描いたのが祭壇の最後の審判である。中央のイエスキリストに向かって左側に天国へ昇天する人々、右側に地獄へ堕ちる人々が描かれている。

自分は新婚旅行でこのシスティーナ礼拝堂を1983年冬に訪れている。ツアーの参加者の中に北九州から参加していた夫婦がいた。旦那さんが定年退職して夫婦初めての海外旅行であった。成田を出発しパリ、ジュネーブのあとのローマでの市街ツアーである。しかしこのシスティーナ礼拝堂の荘厳なる絵画に圧倒されたのか旦那さんは突然正気を失いブツブツと意味の分からないことを呟き出し止まらなくなった。結局ツアー途中で夫婦は緊急帰国した。色々な理由が重なったと思うが、あの空間はキリスト教の荘厳さと常軌を逸した画家の執念に支配されていた。重苦しい気配が自分の記憶に今もしっかりと残っている。

「どうしたもう終わりか?」「いやっ、もう少し。ではパリのオルセー美術館にお願いします」

<続く>

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