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大ヒットクルマ列伝〜トヨタMark II 六代目

大ヒットとは単に沢山売れたのではなくその時代に生きた人々の心を打ったモノに贈られる称号である。今回は1986年発売のトヨタMark II 6代目。端正なグリルから後端へメリハリを程よく丸めた伸びやかなフォルム。ひと世代前に流行したカリーナEDにも通じるフォードアハードトップ風ながら十分な室内高と広さを兼ね備えた豪華な室内。フォーバルブツインカムのスリムで軽量、滑らかな6気筒1G-EUをベースにスーパーチャージャーありツインターボありの豪華なエンジン群。足廻りもリヤに高剛性サブフレームを備えたダブルウィシュボーンに4輪ディスクブレーキが当然のように奢られていた。

初代は1968年にトヨペットコロナマークIIの名で登場する。この年はメキシコオリンピックの年であり、三億円白バイ強奪事件が起き、大学紛争真っ盛りで「止めてくれるなおっかさん」と世間はざわついていた。「2001年宇宙の旅」「猿の惑星」に若者は未来への希望と不安を銀幕の中で交錯させていた。そして高度成長期に続いた「いざなぎ景気」により2度のオイルショック後も緩やかな経済成長を続けていった。やがてプラザ合意による円高不況が引き金となった金融緩和政策は株式や土地への投機を引き起こしバブル期へといざなっていく。そんな時代の潮流に乗り地味なマークIIは脱皮を繰り返し、ついにこの六代目でカローラを月間販売台数で抜きハイソカーの頂点に立つのである。

時はバブル。「ワンレン、ボディコン、肩パッド」の女どもがマハラジャやジュリアナ東京のお立ち台で踊り狂い、「5時から男」どもは「アッシー君、メッシー君、ミツグ君」と揶揄されながらも「バブルと寝た女たち」を追いかけた。東京23区の土地価格がアメリカ全土と同じになるまで実態価値と乖離してゆく。1987年のブラックマンデーによるアメリカの金利引き下げに動じることなく過熱景気は膨らんでゆく。

その頃、自分の家の近所に製造会社の大きな独身寮があった。その駐車場を見るとシビックやスターレットなど見当たらず、クレスタやあの6代目マークIIが所狭しと並んでいた。そして株高騰の末の暴落を察知したあの有名な逸話を思い出す。1928年の冬ウォール街で靴磨きの少年から自分も株を買ったと聞いたケネディ大統領のお父さんは、株の相場はここまで膨らんでしまったと危機を察知し、全株手仕舞いをして翌年の大暴落の難を逃れたのであった。もし勘の鋭い投資家が、あの独身寮の駐車場に並ぶマークIIを見ていたら慌てて手持ちの株を処分していたかもしれない。

そして膨らみ続けた巨大なバブルはついに、1989年12月の日経平均株価の38,957円を頂点として一気にはじけてしまった。嗚呼バブルよ、タクシー券をポケットに押し込み終電なんてお構いなし、ディスコで踊り狂った青春時代よ!そのマークIIもバブルの寵児6代目をピークに7代目、8代目と販売はジリ貧となり9代目を最後にマークXに車名をバトンタッチするのである。しかしその後2019年12月についにそのハイソカーの系譜にピリオドを打つのである。

ぶっとび〜おったまげ〜オッケーバブリー、ケツカッチン!
バブリー世代の甘く胸ときめく想い出の中で、マークIIよ永遠に走り続けるのだ!

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