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大ヒットクルマ列伝〜色の記憶

大ヒットとは、単に沢山売れたのではなく、その時代に生きた人々の心を打ったモノ
に贈られる称号である。

チャットGPTに「世界中で一番人気のクルマの色は?」と尋ねると意外にも「白が一番」と答える。「イタリアは違うだろう、赤じゃないのか?」と問うと、「いえ、イタリアも白が一番人気です。ただ再塗装の人気色は赤です」とお答えになる。AI様が言うことには逆らえないが、白は人気色というわけでなく単に無難で汚れが目立たず下取りに有利と思う普通のヒトビトが世界中で多いってこと。

クルマと色が大脳皮質で最初に結びついたのは、ワシが大学3年生の時の初代だるまセリカとモスグリーンだ。まだ自転車と人の脚がウジャウジャと徘徊する構内の厚生会館前を金色のカンパニョーロのアルミホイールを履いたモスグリーンのセリカGTVがソレックスキャブの低い吸気音を響かせゆっくり掻き分けてゆく。まだ嫉妬心に捉われるほど世間に揉まれておらず、モスグリーンの鮫のようなクルマを唯々憧れの心で眺めていた。

やがて就職が決まり、街に溢れたのは真っ赤な5代目ファミリア。大ヒットした映画「幸せの黄色いハンカチ」で青年武田鉄矢が釧路草原を駆ったのは団子虫と呼ばれた醜い造形の先代。モデルチェンジで劇的に変身してバブル前夜に爆発的に売れ、マツダの救世主となった。青い空の下、一点の曇りの無い端正で真っ赤なハッチバックは、青春を謳歌する丘サーファーや未だスノボの選択肢の無かったスキーヤー達の信奉を集めた。シートにTシャツを被せるのもこの80年代初頭のはやりとなった。戦後の匂いが完全に日本から消え、真っ赤なファミリアは強烈な色香を若者に残した。

バブルの始まり。それまでの「いつかはクラウン」の“白”とは異次元の”白“を人々の目に焼き付けたのはソアラのスーパーホワイト。三本のピラーがその頭上空間の一点で交差する安定した低重心フォルムに踏ん張って大地を掴む張り出した四つの太いタイヤ。贅沢な本革シートに未来から来たかのようなデジタルメーター、170馬力を静かに力強く絞り出すツインカム24バルブ2.8リッターの5MG-EUエンジン。僕たちをその名の由来である純白の「最上級グライダー」のようにバブルの気運で夢の大空に舞い上がらせた。しかしやがて上昇気流はピタリと止み、僕らを乗せたスーパーホワイトの機体はそのまま低空飛行を続け結局ソフトランディングすることはなかった。

沈みゆく日本の失われた30年の間に色々な時代の色が街を走り抜けていった。しだいに霧で覆われてゆく記憶の中にもう一つ忘れられないクルマの色がある。働く男なら誰でも憧れる日本唯一のショーファーカーであるセンチュリーの濃紺。ほとんど黒に見える摩周湖の深さと枯れた藍染の潔さを持ち合わせた漆黒の紺。ワシも長いサラリーマン生活で幾度か濃紺のセンチュリーの後部座席に乗ったことがある。もっとも主役としてではなくVIPの送迎場面でのいわば鞄持ちの役ではあった。マッサージ付きのふかふかの後席に身を沈めキントン雲が滑るように目的地に着いてもドアは決して自分で開けてはいけない。運転手さんが降りてドアを上品に開けてくれるまで待つのだ。そしてゆっくり腰を伸ばしクルマの脇に立ち、鏡のようにピカピカに磨き上げられた濃紺の太いリアピラーに自分の顔を映し、ネクタイをキュッと締めて「さあ今日もでっかい取引を決めてやるぜ」と、そんな気分だけ味わうのです。日本の濃紺、日本のモノづくり、例えセンチュリーがSUVになろうとドローンのような空飛ぶ車になろうと、色は絶対濃紺でなくてはならない。そして今度は主役としての最後のお迎えも、できることならばあの濃紺のセンチュリーであって欲しい。



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