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【読書雑感】『ライフワークの思想』を読む(1)ライフワークの花
ご訪問ありがとうございます。
趣味が読書のこともあり、また研究を進めるため、日頃、本をよく読むようにしています。
本日は最近、何度も読み返した英文学者外山滋比古氏の『ライフワークの思想』を読んだ感想について書きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1648744585657-OpJsn7RvVP.jpg?width=800)
本日は、第1章「ライフワークの花」を読んだ感想について綴ってみます。
著者はライフワークと花を結びつけて、本文を書き出しています。
日本人はこれまで、ヨーロッパに咲いた文明の“花”を切り取ってきて、身辺に飾ることを勉強だと思い、それを模倣することをもって社会の進歩と考えてきた。大学教育なども切り花専門の花屋で、ギリシャ以来の名花をそろえ、これを知らなければ恥だと、学生に押し付けてきた。10頁
著者は大学教員だったので、自省的に書いていることが読み取れます。また著者は、“切り花から球根へ”という発想の切り替えが必要だ強調しています。
どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での“ライフワーク”である。12頁
著者によれば、ライフワークの花を咲かせるためには、毎週末あるいは毎日の「自由時間」を有効に使うことが重要です。具体例として、“カクテルと地酒”の比喩で考えることにしています。
バーテンダーはさまざまな酒をまぜてシェーカーを振れば、カクテルをつくることができ、これを読んだ人は酔っ払うから、そのバーテンダーが酒をつくったような錯覚を抱くかもしれません。しかし、実は一滴の酒もつくってはいません。酒でないものから酒をつくった時、初めて酒をつくったと言えます。
もちろん、すばらしいカクテルをつくってくれる人も必要だが、それで、酒をつくったように錯覚してはならないのである。すべての原料がそろったとしても、酒は一日にしてできるものではない。(中略)この”ねかす”期間は、多忙な仕事時間だと思う。身過ぎ世過ぎの仕事に追われて、しばし、酒造りのことを忘れるのは、むしろ、いいことといわねばならない。ふっとわれにかえって、ああ、自分には酒が仕込んであったのだと気づく。すると胸が妙に熱くなる。家路に急ぐ。こういう生活こそが自分の地酒をつくる基盤である。15頁
酒をつくるために、時間をかける必要があるように、著者によれば、自由な時間を上手に使うということは、やれゴルフだやれマージャンだと、ぎっしりつまったスケジュールをこなすことではなく、充実した無為の時間をつくることであると書きます。
自分だけの時間をつくることは、長い目でみれば、いちばんの精神的な肥料になる。自分のつちかった球根が芽をふき、芽をのばしたあと、どれだけ大きな花を咲かるかは、過去にどの程度、実りある空白があったか、充実した無為があったかにかかっている。19-20頁
著者は自由の時間や空白の時間を、囲碁にたとえながら、しみじみと語っています。
石と石んも間をぐっと離して、一見、関連のないような布石をすることだ。やがて、人生の収穫期に達した時、離れたように見えた石と石とが、おのずからつながって“盤上ことごとくわが陣地なり”という終局を迎えることができる。これが、ライフワークである。20頁
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