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漢字の訓読みと音読みについての断想:人(ヒト/ジン)を通して

ご訪問ありがとうございます。本日、人(ヒト/ジン)を通して漢字の訓読みと音読みについて書いてみます。

1997年に日本に留学して以来、あれこれ日本語を習って20数年になりました。1999年には日本語能力試験1級を取得し、日中の同時通訳の仕事も長年かかわってきまして、ある程度日本語はできると自負もありながら、まだ難しいとも思っています。

たとえば、漢字の訓読みと音読みについてです。中国語にはたくさんの漢字がありますが、基本的は一つの漢字が一つの読み方だけです。それに対して、日本語の漢字には、音読みと訓読みがあり、少なくとも二通りの読み方があります。このようなことは、初級レベルの日本語を学べば、すぐ分かることです。

私の関心はそれではありません。漢字の訓読みと音読みによって、意味合いというか表現対象への認識の違いもあるのではないかということ、この10年間ぐらい考え続けてきました。

たとえば、「人」という漢字、訓読みでは「ヒト」、音読みでが「ジン」ですね。この訓読みの「ヒト」と音読みの「ジン」の使い方の境界とは何か、について考えてみます。

小さな「境界」というか「地域」の後に「人」が来る場合は、「訓読み」の「ヒト」と読みます。例えば、北海道の札幌市の場合。昨日のnoteでも書きましたが、今、北海道の札幌市に暮らしており、住んでいるのは、ちょうど清田区と豊平区、そして白石区と厚別区が堺になっている地域です。



清田区のヒト=清田区の区民や白石区のヒト=白石区の区民と言いますけど、清田区人(キヨタクジン)や白石区人(シロイシクジン)とは言わないです。

それに対して、大きな「境界」や地域の後に「人」が来る場合は、「音読み」の「ジン」と読みますね。例えば、日本人(ニホンジン)、中国人(チュウゴククジ)、韓国人(カンコクジン)など。

言いたいことは、地域=国と人の間に「の」を入れて、「人」を「訓読み」にした場合、地域=国と人との間の「境界」が低くなるような気がします。まだ、学術的な根拠を見つけていないですが、探求をし続けていきたいと思います。

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