港(port)を/から読む(2)
ご訪問ありがとうございます。本日、再び港を/から読むことにします。 港について以前一度書いたことがあります。
私が港に関心を持っているのは、上記のブログで書いた理由のほか、東アジア地域研究を進めることにあたり、「記憶の場」というフレームワーク(枠組み)の援用が必要だからです。
まず、「記憶の場」について説明します。 現在、記憶の概念が人文社会科学で重要視されています。それは、フランスの歴史学者である ピエール・ノラが率いるプロジェクト『記憶の場』の役割が大きいと考えられます。
ピエール・ノラはその著書『記憶の場(第 1 巻)』のなかで、記憶の場は「場」という語のもつ3つの意味――物質的な場、象徴的な場、そして機能としての場――においての場です。3つの場が相互関連している例として「世代」を挙げています。ノラによれば、「世代は、人口上のことを指し示すがゆえに物質的である。また、記憶の結晶化も伝達もおこなうがゆえに機能的であると考えられます。そして、ごく少数のものたちが経験した出来事や体験によって、それを経験しなかった多数の者たちを性格づけるがゆえに、本質的に象徴的である」と言います。
ピエール・ノラの理論に基づけば、港、駅、博物館、住所、言葉、食、本、切手、世代、映画、日付、世代、音楽・歌、記念碑などが記憶の場になりうると言えます。
本日の記事では、4月9日のブログで言及した追分節と関係があります。
先日の記事では、信州小諸付近の追分節が長い道のりを経て北海道に伝わってきたと書きました。
ミツカン 水の文化センター機関誌『水の文化』54号(特集「和船が運んだ文化」)によれば、
つまり、江差追分は、信濃追分付近の馬子唄が北国街道を通じて新潟まで伝わり、新潟港から北前船の船乗りたちの舟唄に転じ、海を越え江差(港)に行き着いたのです。
参考文献
・ミツカン 水の文化センター機関誌『水の文化』54号(特集「和船が運んだ文化」)
・吉田秀樹+みなと研究会『港の日本史』祥伝社新書、2018年。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?