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記憶の場を訪ねる旅(2):中央道路と鎖塚を訪ねて
ご訪問ありがとうございます。
7月21日、博物館網走監獄を訪ねた後、次の目的地・中央道路と鎖塚を訪ねました。
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北見市の公式ホームページによりますと、
明治24年(1891年)、網走から北見峠までの間につくられた中央道路は、その建設に囚人たちが使われ、多くの犠牲者を出したことから、囚人道路ともいわれています。北見市端野町緋牛内にある鎖塚はその犠牲者が眠っているとされ、鎖塚保存会によって手厚く慰霊されています。
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緋牛内にある土饅頭の上に囚人が使っていた鎖が乗せられていたといいます。故中澤廣氏(元端野町長)が昭和43年に鎖塚と命名した立て札を立て、地蔵尊を建立しました。
昭和51年には鎖塚慰霊奉賛会によって慰霊碑が建立され、鎖塚保存会が結成されました。
端野町の人々はこれらの犠牲者たちを、町の発展の基礎を築いた先人たちとして、手厚く慰霊しています。平成4年には、端野町指定文化財に指定されています。
私は、今まで東アジアの各地を旅してきました。日本で旅をした際に「ニッポン魅力発見の旅」を主に継続しながら、歴史の重みのある「記憶の場」としての博物館や道路なども訪ねていきたいと思います。
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