見出し画像

ニッポン魅力発見の旅 長野県(2)追分節発祥の地を追う旅

ご訪問ありがとうございます。

本日、長野県をフィールドワークした際に、追分節発祥の地を追う旅について書きます。

今月の市民講座で長野県について紹介することになっています。その準備も兼ねて、長野県について書きました1度書きました。

2019年のゴールデンウイーク期間を利用して、念願した長野の旅を実現しました。

その旅の記録については順次ブログで書きます。


言語学を学んだことの影響もあり、物事を考える際に、原点(ルーツ)を探る思考習慣があります。

それは言語を学ぶ際に、語源をよく探ることと似ています。


余談の話ですが、私が留学して以来、ずっと北海道の住んでいます。通訳や翻訳をはじめ、様々な機会で北海道各地域のご当地ソングやご当地グルメなどについて詳しく調べています。

その過程で、「江差追分」に出会い、調べたくなりました。

特に細川たかしが歌う「江差追分」が印象深いです。


「江差追分」を追う前に、まず、「追分」について簡単に説明します。

追分は道が二つに分かれる場所をさす言葉です。もとは「牛馬を追い、分ける場所」を意味でしたが、そこから街道の分岐点も意味するようになり、甲州街道と青梅街道の分岐である新宿追分や、中山道と北国街道の分岐である信濃追分など、各地に地名として残っています。また、そこから派生して、こうした地名を冠した追分節(日本の民謡の一種)の略称として用いられることもあります。

「江差追分」の歴史は、江差町公式ホームページによりますと、下記の通りです。

言い伝えや研究者の著述の中で、江差追分の起源を信州小諸付近の追分節が、越後に伝わり、越後追分となって船で蝦夷地に渡り、一方それより先、越後から松坂くずしが伝わり、謙良節として唄われていたものとが結合して江差追分になったとする説がほとんど定説となっている。



即ち信州北佐久郡長倉村追分付近の街道を上下する馬子たちによって唄われていた馬子唄(馬方節・信濃追分)が参勤交代の北陸武士や旅人瞽女(ごぜ)等によって越後に伝わり蹄の音が波の音、即ち山野のメロディーが海辺のメロディーに変化して越後追分(古くは松前、または松前節と呼ばれた)となり、船乗りに唄われ北前船によって蝦夷地に伝わり謙良節と合流し、蝦夷地という辺境の荒い波濤の中で哀調を加え、江差追分が生まれたという。


つまり、信州小諸付近の追分節が長い道のりを経て北海道に伝わってきたということです。

2019年、長野に行った際に、宿泊地を小諸にしました。「江差追分」の発祥地を追ってみました。

信濃追分駅付近の道路標識


「江差追分」の発祥地を追うために、小諸と信濃追分を訪ねました。「追分節」の越境史は奥深い。北前船との関連性も見えてきましたので、いつかが北前船のルートを追う旅もしてみたいと考えています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?