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ダベル学園に寄せる言葉 世界変革のツールは物凄く普通の一見くだらない物だったりする..。

最近、リクトくんやケイスケくんとダベルでダベる機会を得て、高校生面白い!と思いました。本当に!

世間知や世の中への配慮抜きに好奇心や違和感だけで生の対話が出来るのは、もう大人が失ってしまっている能力。

世界が変えられるという確信はどこから来るのか?

世界の変革がまだ自分の力で可能と思える全能感とか、もし素面でうっかり言ってしまったら絶対馬鹿にされるよな!っていう謙虚さなど抜きに直接語り合える楽しさたるや..。そう思える可能性全開の心境は、(残念ながら)年齢を重ねると徐々に薄れて行きます。

自分も高校生の頃、構造主義とか数論とか記号論とかのアカデミズム(ゲーデルの不完全性定理が人文科学にインパクト与えた時代だった)と、人工知能やサイバネティクスなどの技術的パラダイム(チョムスキーの生成文法がチューリングマシンと繋がるとかずっと後になって気付いた。そして当時はとにかくミンスキーに夢中だった!)や、毛沢東思想やカールシュミットの政治学などの革命思想と、竜樹の中観哲学や禅宗の説く生々流転の思想(鈴木大拙は嘘つきだと当時思っていた 笑)を関係付けて読んでみたり、とにかく世界の神羅万象が脳内でガンガンスパークしてハイパーテキスト化していた頃の「知の覚醒」のような時代は改めて懐かしくもあり、と同時に今の諸活動の起点、土台でもあります..。そういう時は自分の出来ることが無限大・無制限に思えます。

閑話休題

という話のマクラは要するにリクトさんのダベル学園構想にとても共感しました!という意志表明なのですが、彼の考える構想のユニークさとポテンシャルに敬意を評し、少しだけアイデアの素を付け加えるとしたら、敢えて1930年3月のガンジーの「塩の行進」の故事。是非、それを共有したいと思うのです..。

革命的な出来事は実は無私の(塩の行進でガンジーは現世利益は得られない)生産的で(海まで行進して塩を作るという生産行動)誰でもコミット可能な(基本、海まで歩くだけ!)シンプルな行動(基本、海まで歩くだけ!)によっても引き起こせる。その非常に大事な教え、世界を変えることに関する大切なレッスンを、彼の構想と行動は教えてくれると思うのです.. 。

塩の行進(しおのこうしん、Salt March / Dandi Satyagraha)とは、1930年にマハトマ・ガンディー並びに彼の支持者がイギリス植民地政府による塩の専売に反対し、製塩の為にグジャラート州アフマダーバードから同州南部ダーンディー海岸までの約386kmを行進した抗議行動のことである。この行進は3月12日から4月6日まで続き、インドのイギリスからの独立運動における重要な転換点となった。

「雑談」はもしかすると僕らにとっての「塩」なのかも知れない。

ただ雑談するだけと言う行為の連鎖が、ガンジーの「塩の行進」のような、世界の変革に繋がり得る可能性。つまり無私の、生産的な、誰もがコミット出来る、シンプルな行動になるのではないか?そう思ったのです。

知らない誰かとでも、気軽に楽しく安心安全に喋れること。その先に今の社会が抱えている様々な分断と軋轢を解消できる、屈託のない、垣根のない、対話と和解の可能性がないだろうか?学びの場を雑談起点で考えることには大きな可能性を感じます。

かつてジョブズがアップル起死回生のキャンペーンでやったのは Thnk Different コマーシャルを通じた、世界を変えるチャンスを喚起するメッセージングでした。

ダベルが今後どうやって新しいビジネスを作っていけるのか?について、それが単なる音声広告の最適化みたいな仕事に帰着してはもったいない。

世界規模の井戸端会議が過去にあり得なかったような全く新しい出会いと語り合いをもたらし始めていることを僕らは (再三のリベンジとして..) 世界を変えられる機会として、より創造的に発展させることを怠ってはならない。僕は改めてそう思うのです。


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