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プラグマティズムとは何か|チャールズ・パースの哲学【プラグマティズム#1】



本編


プラグマティズム。

一般的に「道具主義」や「実用主義」などと訳されるこの思想は、19世紀後半のアメリカで誕生しました。

語源であるプラグマ(πράγμα)というギリシア語が「活動」「実践」「行動」を意味しているとおり、プラグマティズムの思想の核は「実際に得られた結果」です。

「実用的なものの見方が探究の方法として最適である」
「結果さえ有用ならば、それを真理と見なして良い」

こう表現してしまうとかなり語弊がありますが、広い意味では大きく間違っていない解釈です。

この哲学は、心理学における行動主義・物理学における操作主義
・記号論における科学的経験主義の土台となり、それ以外にも統計学、工学、教育学、社会学、政治学、経済学など様々な学問に影響を与えました。

そして、その影響力は市井にも広がり、ビジネス的なものの見方にも大きな変容をもたらします。

プラグマティズムの進化は、アメリカの成長と密接に関わっています。
そういう意味で「プラグマティズムはアメリカの哲学である」と表現しても間違っていないでしょう。

とはいえ、プラグマティズムを「有用なものを真理として定める思想」と理解するのはあまりにも短絡的・表層的です。

プラグマティズムが生まれてからおおよそ150年。その間には様々なプラグマティストが現れましたが、それぞれの主張には、それが同じ思想の論者同士とは思えないほど大きな振幅がありました。

そこで本動画シリーズでは、プラグマティズムを俯瞰して認識するために、代表的なプラグマティスト6名の主張を、時代ごとに確認していこうと思います *1

アメリカの歴史において、プラグマティズムがどのように議論・発展してきたのか。それを確認することがプラグマティズムへの立体的な理解に繋がれば良いなと考えています。

さて。

とは言ったものの、個別の哲学者に注目する前に、まずはプラグマティズムの全体的特徴について触れておきましょう。

先ほど「プラグマティズムはアメリカの哲学である」と言いました。しかし、この哲学の起源はヨーロッパにあります。ヨーロッパというよりもイギリスですね。

プラグマティズムは、17-18世紀にイギリスで影響力を持っていた経験論の流れを汲んでいます。

17世紀初め、イギリスの哲学者・神学者であったフランシス・ベーコンが「科学の発展のためには、もっと経験を重視せねばならない」と言い、人間の理性を第一に置く大陸合理論とは違ったベクトルを提唱しました *2

デカルトが『方法序説』を発表した5年後に生まれたジョン・ロックは「人間の認識は生得的なものではない」として生得的な認識を神聖視していた合理論を批判します。その後、ジョージ・バークリーは「存在は知覚することで初めて存在する」と言いましたし、ヒュームは「人間の認識は知覚の束である」と主張しました。

これらは全て、形而上学的な問題に対する向き合い方に言及しており、そういった問題に対して、理性よりも経験を重視するという意思表明でもあります。プラグマティズムはまさに、経験を第一に置くイギリス経験論の系譜を受け継いでいるのです。

ヨーロッパにおいては、経験論と合理論が対立したのち、ドイツ観念論が台頭したことで、観念論的な思想がしばらく支配的な力を持つようになりましたが、アメリカでは経験論的なベクトルが引き継がれたということですね。ここに、ヨーロッパとアメリカにおける根本的な性質の違いが見られるのかもしれません。

プラグマティズムはイギリス経験論の流れを引き継いだ経験や実践を重視する思想である。まずはここを押さえておきましょう。

プラグマティズムにおける重要な要素・論点としては
大きく以下の4つが挙げられると思います。

①絶対的真理の否定

デカルト的な「これ以上に疑いようのない絶対的な真理」
または主観の誤謬が入り込まないような客観的な真理
プラグマティズムはこのような真理を否定します。

②相対主義からの脱却

普通、絶対的な真理を棄却すると、それは相対主義になります。
人それぞれ異なった真理があるという相対主義的思想は当時勢いよく発展していた科学ととても相性が悪かったため、プラグマティストには相対主義からの脱却という使命が与えられていました。

③科学的探究方法との折り合い

近代以降、それまで同じ領域に属していた科学と哲学が分離します。
哲学は、科学的な成果をそのまま受容することができずに発展する科学から取り残されてしまいました。哲学が社会の変化を下支えする根底思想になるためには科学という別の学問を上手に受容できる構造を持つ必要がありました。

④主/客や事実/価値などの二分法への批判

プラグマティズムはそれまでの哲学に比べて科学的方法論や現実社会に傾いた哲学でしたので、方々から「拝金主義的な思想」と叩かれました。哲学という崇高なフィールドの上で「事実」ではなく(それまでの哲学では低次のものとされていた)「価値」という概念を最重要項目に設定して良いものなのか。そもそも事実と価値は、はっきりと二分できるような概念なのか。プラグマティストは、この疑問に答えなければなりませんでした。それはまた、主観と客観の二分法にメスを入れる作業でもあります。

これから紹介するプラグマティストたちの思想はそれぞれが別のベクトルを持つ多様なものではありますが、上記の要素や課題は概ね共通しています。

その中でも大きな争点は②と③でしょう。

科学が社会の主役に上り詰めはじめた時代。

ー科学における方法論は本当に正しいのか。
ー科学は真理を手に入れることができるのか。
ー今後科学をどのように利用していけば良いのか。

哲学者には、このような疑問に対して答える責務がありました *3

そして、その責務に答える際に現れる相対主義。この思想は大きな物語よりも小さな物語を擁護するため、国家の成長という意味では足枷になってしまいます。

アメリカが世界の覇者へと変貌を遂げる前夜。相対主義との折り合いは、とても大事な課題だったわけです。

かなり単純化した表現をしてしましましたが、プラグマティズムの進歩の歴史は概ね上記のような議論の上にあります。

大枠が掴めたところで、まずはプラグマティズムの始祖であるチャールズ・パースについて取り上げましょう。

プラグマティズムの生みの親とされているのはアメリカの哲学者・論理学者・数学者であったチャールズ・サンダース・パースです。

彼は、哲学以外の学問でも多岐にわたる貢献をしており、特に記号論理学における寄与は顕著で、彼のした仕事が後にラッセルとホワイトヘッドがまとめ上げた『数学原理』に繋がったと言われています。

彼の父親はベンジャミン・パース。ベンジャミンはアメリカ初の世界水準の科学者と評されていて、彼が残した「数学は必要な結論を引き出す科学である」という思想はプラグマティズムの成立に少なくない影響を与えました。

パースは、幼い頃から父親の英才教育を受け、ハーバード大学在籍時には、常にトップクラスの成績を維持していたと言います。30歳ごろには、神学の大家であるウィルバー・フィスクをはじめとする大御所と肩を並べて哲学講演の講師を任せられています。

しかし、キャリア後半の彼の人生は順風とは言えませんでした。30歳後半でジョンホプキンス大学講師の職を得ますが、同大学数学教授のサイモン・ニューカムの妨害により失職 *4

そこに彼自身の私的なスキャンダルなどが重なり、彼の学会における評価は著しく損なわれ、その後の就職活動は全くうまくいきませんでした。

彼は「哲学を仕事にすること」を願っていましたが、ついにその願いが叶うことはなく、「食うための仕事」をしながら、貧困のうちに亡くなりました。彼の多くの業績は、彼の死後に評価されることになります。

さて。

彼の死から遡ること約45年。パースにまだ勢いがあった30歳の頃に、彼はハーバード大学に関係する若手の哲学者を集めて「形而上学クラブ」という集まりを作りました。この集まりにおいて、初めてプラグマティズムという言葉が用いられたと言われています。

時は1870年。当時のアメリカには、終わったばかりの南北戦争による悲惨な損失と分断が色濃く残っていました。まさにこれからアメリカが成長していく、そんな時代だったのですね。

また、ヨーロッパにおいてはパリ=コミューンに見られるような革命の機運が高まっていました。

世界が明らかに変わっていこうとしている中で、アメリカに根ざす哲学者たちはヨーロッパとはまた違った、アメリカの成長の形と、その前提となる思想を求めていたのかもしれません。そういう意味で、プラグマティズムはアメリカと一緒に成長してきた思想と言えます。

話を戻しましょう。

パースはまず、デカルト的な真理観に疑問を持ちます。デカルトは、あらゆるものを疑った先に「Cogito ergo sum」つまり、どうやっても疑うことができない「今まさに疑っている自分」を見つけました。そして、その確実な真理を足がかりに演繹的に真理を積み重ねていくわけです。しかし、そもそもデカルトのいうCogitoは絶対的な真理なのでしょうか。

パースは違うと考えます。私たちは、何かを認識する際に必ず記号(言語)を用いてそれを理解します。「赤い感じ」を印象として感じたとき、私たちは普通「赤い」という言語とセットで認識を作りますよね。そういう意味で、私たちは記号抜きで何かを認識することができない。もっと言えば、私たちは記号抜きで思考することができない。

そして、記号(言語)は絶対的なものではなく共同体によって変化する相対的なものです。相対的なものによって立ち上がる認識を、真理と呼べるのだろうか。

その前提に立ってデカルトのCogito ergo sumを考えてみると「疑う私」という認識すら記号の上に立脚された概念だと言えるため、これを絶対的な真理としてしまうのは、やり過ぎなように思えます。

そもそも、パースは「純粋な内面的意識」を否定しています。それそのものとして純粋に存在する内面的な意識などは存在せず、意識と呼ばれるものは常に外界に影響される、外在的な存在である。

ですから、あたかも内面的意識がそれ単体で存在していて、それを絶対的な真理として道具立てするデカルトの主張は方法的に無理がある自己欺瞞だと考えられるのです。

そして、パースの立場を採用すると、デカルトがCogitoを前提に積み上げた演繹的な観念の明晰性も否定されることになります。

つまり、デカルト的な絶対的真理は存在しない。

とはいえ、絶対的真理を否定した後に待っているのは相対主義です。パースは相対主義を提唱したかったのでしょうか。

これは個人的な感想ですが、パースの主張は「相対主義でもあり、相対主義ではない」と理解しています。

パースが提唱したプラグマティズムは、一般的な定義に照らすと、間違いなく相対主義です。

しかし、パースはそもそも「真理の定義」に手を突っ込んだ人であり、新しい「真理の定義」においてパースの主張は相対主義ではないと解釈できるのです *5

それまでの(デカルト的な)真理観はドゥルーズの用語を援用すると「ツリー型」の真理と表現できます。まずはじめに絶対的な真理や定理が存在し、そこから成長するように新しい真理が生まれていく。

それに対してパースは「リゾーム型」の真理観を提示します。絶対的な真理ではなく、共同体というネットワークにおける複合したコミュニケーションの中で暫定的な真理が設定され、それが破壊と再生を繰り返しながら最終的な真理へと収束していく。

つまり、パース的な真理とは真理なのに改定可能なのです。しかしながらその改定可能な真理は、最終的な収束地点に向かっているので、その意味において「真理」と定義することができる。

そういう意味で「相対主義だけど相対主義ではない」のですね。

こうした前提の上で、パースはデカルト的な「真理の格率」に変わる「書き換えの図式」という新しい「プラグマティックな真理の格率」を提唱します。

曰く「平叙文を条件文に書き換えられるような経験が得られるならば、
それは真理的なものである」

例えば「光速は宇宙における最大の速さである」という平叙文があったとき、これは「あらゆる速さを光速と比較すると、光速の方が常に早い」という条件文に書き換えることができます。ここでいう「書き換える」とは、ただそのように文章を変換できるということではなく、実際の観察によってその条件の正当性が担保されるという意味です。

このように、実験や探究によって得られた結果をもとに、条件文に変換可能な平叙文はプラグマティズム的な真理と言えます。

そして、このプラグマティズム的な真理は改定可能です。後に新しい観察結果が現れれば、この真理は書き換えられます。つまり、条件文に変更が加えられ、それに伴って平叙文も変わるのですね。

共同体における探究の繰り返しの中でプラグマティズム的な真理は破壊と再生を繰り返し、より強固な真理として収束していきます。

パースはこのように、特に科学的な方法論において「科学は、デカルト的な絶対的真理を見つけることはできないが、プラグマティズム的な真理を探究することは可能であり、その限りにおいて科学的方法は優れたスキームである」ということを主張しました

そういう意味で、パースの仕事は哲学と科学の橋渡しであり、哲学的方法と科学的方法の共存を模索する作業でもありました。

とはいえ、パースは元々科学者だったということもあり、彼が提唱するプラグマティズム的な真理への解釈はあくまでも科学的方法論と対応した限定付きのものでした。

その解釈を科学以外の広い範囲に広げようとしたのが、パースの盟友でもあった心理学者のウィリアム・ジェームズです。

次回はウィリアム・ジェームズとジョン・デューイを取り上げます。



注釈と引用

*1 動画シリーズの全体構成には伊藤 邦武先生の『プラグマティズム入門』をかなり参考にさせていただきました。非常に良い本ですので、ご興味があればぜひご一読ください。

*2 とはいえ、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』が発表されたのは1620年、デカルトの『方法序説』が発表されたのは1637年なので、当時は大陸合理論という完成した流れがあったわけではありません。あくまでも後世から見たときに、ベーコンの主張は合理論に対立しているという意味です。

*3 責務があったというか、彼らはそれが責務だと思い込んでいた、が正しい表現ですね。この辺りはプラグマティズムの中で議論され「そんな責務はないで」という意見も現れたりします。

*4 サイモン・ニューカムは若い頃、パースの父親であるベンジャミン・パースから薫陶を受けていました。その恩義に勝るほどの嫌悪感をパースに抱いていたようで、この辺りはわりとドロドロです。(ちなみにこの20年後にもカーネギー助成金を受け取ろうとするパースを妨害したことも知られています。どんだけ嫌いなんだよ・・・)

*5 そもそも、プラグマティズムはそれそのものが「真理の定義」を再解釈する目的を持った哲学だと言えます。



参考文献

プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ
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プラグマティズム入門 (ちくま新書)
https://amzn.to/422NggC

アメリカ哲学入門 (現代プラグマティズム叢書)
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真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議
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ウィリアム・ジェームズとジョン・デューイ【プラグマティズム#2】



本編


チャールズ・パースが作り、プラグマティズムが生まれた場所となった「形而上学クラブ」

クラブの一員であり、パースの良き友人でもあった心理学者のウィリアム・ジェームズは、パースが提唱した科学方法論的プラグマティズムをもっと広い範囲に適用しようと試みた人物です。

ジェームズはプラグマティズムの提唱者としてだけでなく「意識」に関する重要な思想を主張した心理学者としても知られています。

彼はこう主張します。

人間の意識は静的な部分の配列によって生まれるものではなく、動的な印象や観念が、流動的に連なったものである。

哲学に詳しい方は、この主張がベルクソンの「持続」の概念と非常に似通ったものだとお気づきになったかもしれません *1

彼が提唱した「意識の流れ」という概念は特に文学界に受容され、文学的な手法を表す言葉として定着しました *2

ちなみに、ジェームズは若い頃、画家を目指していましたが、才能がないことに気づいて断念。その後、ハーバード大学で医学の学位を取得し同大学で教鞭を取ります。ジェームズ同様、パースもハーバード大学に属していましたし、そもそも「形而上学クラブ」自体が同大学の関係者の集まりです。プラグマティズムに関わる哲学者のほとんどはハーバード大学に関係しており、その意味で同大学はプラグマティズムの総本山と言えるかもしれません。

ジェームズは最初、生理学の講師として働いていましたが、1875年に「生理学と心理学の関係」という題で講義を始め、アメリカに初めての心理学実験所を作ります。こうした功績から、彼は「アメリカ心理学の祖」とも呼ばれています *3

ジェームズがプラグマティズムの思想を世に発信したのは1897年、彼が55歳の頃です。

プラグマティズムの生みの親であるパースは、デカルト的な絶対的公理に根差した演繹的な真理を否定し、探究によってリゾーム的に破壊と再生を繰り返し、より強固な結論に収束していくような真理観を提示しました。

しかしこれはあくまでも、科学的方法論をはじめとした観察・検証可能な学問においての話であり、道徳や倫理、形而上学的な真理について言及するものではありませんでした。

ジェームズはこの適用範囲を広げようとしたわけですね。

彼は著書『信じようとする意志』にて「信念」に関する新しい解釈を提示します。

彼と同時代の学者にW.K.クリフォードという人物がいます *4

クリフォードは「証拠がない信念は倫理的に悪である」と言いました。確かに、これはもっともな意見だと感じます。証拠がない信念を認めてしまうと、それはすなわち「なんでもあり」です。「なんでもあり」な信念のもと、人々が行動を起こすと、大きな混乱が生まれますし「なんでもあり」な信念を政治などに適用したら社会は成り立たたないでしょう。だから、信念には確固たる証拠が必要である。非常にデカルト的な考え方です。

しかしジェームズは「必要があるならばいかなる場合も信じて良い」という極めて反デカルト的な信念に対する解釈を提示します。

これはどういう意味なのか。

まず前提として、私たちには「何かを信じる権利」があります。「正当性」ではなく「権利」ですね。これは確かにあると言えるでしょう。

そして、人間は「信念」を源泉として「行為」をします。
それが「歩く」みたいなとても単純な「行為」でも「人に暴力を振るう」みたいな大きな「行為」でも、基本的には何かしらの「信念」がないと「行為」には至りません。

この前提にパース的な主張を照らし合わせると「信念」に対して反デカルト的な解釈が可能となります。

パースが主張したプラグマティックな書き換えの図式では、平叙文が条件文に書き換えられるとき、それを真理と置くことができるとされていました。

そして、その書き換えの際には必ず「行為」すなわち探究や観察が必要になります。当然、探究や観察という「行為」の前提には「信念」がありますね。

最初に「信念」があって、それが「行為」に変化する。行為によって得られた観察結果により「信念」であった平叙文が条件文に書き換えられる。言い換えると「信念」が有用なものであると確かめられる。

このような場合、最初にあった「信念」は「行為」によって、それが真理的なものであったことを”後ろ向き”に肯定します。

多くの人が「太陽が地球の周りを回っている」と思っている時代に「いや、地球が太陽の周りを回っている」と信じることには権利があります。

この権利を侵害することは少なくとも今の時代の多くの国では認められていません。

そして、その「信念」はそれ自体を検証しようという「行為」につながります。

結果的に「地球が太陽の周りを回っている」という有用な観察結果を得られた場合、元の「信念」は”後ろ向き”に認められることになる。

つまり、以前自分が持っていた「信念」はその「信念」を持った瞬間から真理であったと。

むしろ「証拠がない信念を持つことはいけない」としてしまうことは、既存の真理とされている言説を覆す可能性のある「行為」を全て未然に摘んでしまうことになりかねないのです。

ジェームズのこの主張は、科学的方法論だけでなく、道徳や哲学など、答えが一義的に定まらない学問に対しても適用できます *5

まずはじめに「こうした方が良い」という「信念」があり、それを探究という「行為」に転化する。その後、何かしらの有用な結果が得られた場合、元の「信念」は後ろ向きに真理的なものとして肯定される。

確かに、この主張を前提に物事を捉えると、道徳や倫理における新しいアイディアを自由闊達に探究していくことが可能になりそうです(もちろん、この主張には少なくない危険性があるわけですが)

さて。

最初に述べたとおり、ジェームズは人間の「意識」を動的で・連続していて・関係性的なものであると捉えていました。それはつまり、ネットワークの中で刻一刻と変化していく外在的な生き物のようなイメージです。

その思想のもとでは、それまでの哲学が明確に峻別してきた真理と価値、または事実と有用性の境界線が曖昧になります。

通常、物事の「真理」と「価値」のレイヤーはそれぞれ違うものと見做されます。

真理は客観的なもの、価値は主観的なものですから、二つの重要度には大きな開きがあるというわけです。極めて一般的な解釈だと思います。

しかし、ジェームズの真理観を採用すると、主観的な価値、すなわち主観的な信念は真理になり得るので、真理と価値は同じレイヤーに属す概念だと捉えられるのです。

これは古くからの哲学における真理/価値の二分法だけではなく主観/客観の二分法をも否定する考え方と言えます。そして主観/客観の二分法を否定することは、それまでの哲学者それ自体を否定することと同義です。

哲学の歴史の中では、さまざまな対立がありました。

例えば普遍論争における実在論と唯名論の対立
また、デカルトからはじまる合理論と経験論の対立

このような対立において、それぞれの論者は「自分こそが世界を理性的・客観的に捉えられている」と主張するわけですが、主観/客観の絶対的区別を否定するジェームズからすると、それはそれぞれの哲学者における「こんなふうに世界を見たい」という自我の表れであり、極端な話、好み(信念)の問題だと解釈できてしまうのです *6

ジェームズはそれ自体がダメだとは言いません。その営みの結果を絶対的な真理として固定するのがダメだと言うのです。

「好み(信念)」を主張するのはなんら問題ない。大事なのは、その「信念」を暫定的な真理として仮定し、後の「行為」によって、有用性を確かめることである。

これがいわゆる「有用なものは真理である」というプラグマティズム的な真理観の根底にある思想です。

ジェームズのこの思想は(なんとなく想像できると思いますが)当時の哲学界から非常に冷たい目で見られていました。特にラッセルなどはこの思想を「キャッシュバリュー」「現金化」と表現し、経済合理性に擦り寄った哲学未満の自己啓発だと厳しく批判しました *7

とはいえ、ことアメリカにおいては、ジェームズのプラグマティックな思想が好意的に受け入れられ、最終的には19世紀末から20世紀初頭における西洋の有力な思潮の一つであると評価されるに至ります。

そして、そのような評価を得ることができた背景には、ジェームズの後にプラグマティズムをブラッシュアップしたジョン・デューイの存在がありました。

元々親しい間柄だったパースとジェームズは、それぞれ違う方向からプラグマティズムの基礎となる主張をしました。

パースはデカルト的な絶対的真理を否定します。完全に客観的な絶対的真理は原理的に不可能であり、真理とは探究の過程で更新され続けていく動的なものである。そして、科学的方法論はそのような真理を見つけることが可能である。

ジェームズはパースの真理観を拡張します。人間が抱く信念は、その有用性が後に確認されることにより後ろ向きに真理として肯定することができる。したがって、科学を代表とする明晰な観察が可能な学問以外においても、パース的な真理観を適用することが可能である。

このようなプラグマティックな思想は当時アメリカ国内で受け入れられたものの、ヨーロッパ系の哲学者たちからの批判も多く、特にラッセルなどは「キャッシュバリュー」と断罪しました。

こうした議論に対してプラグマティズムを擁護したのがジョン・デューイです *8

次回以降の動画で紹介するネオプラグマティズムの哲学者、ローティやパトナムは彼のことを大変評価していて、特にローティは「われわれをプラトンとイマヌエル・カントの呪縛から解放した人物」と、最大限の賛辞を送っています。

ジョン・デューイは1859年、バーモント州にある食料品店の息子として生まれます。裕福な過程ではなかったので、小さい頃は家の手伝いをしながら学校に通っていました。15歳のとき、名門バーモント大学に入学。そこで、ダーウィンやヘーゲルの思想を学びます。この二人の思想には「進化」という共通点があります。

特にヘーゲルにおける螺旋階段を登っていくような進化のイメージは、プラグマティズムと相性が良く、デューイの思想に大きな影響を与えました。

社会が進化するのと同じように、共同体の常識も進化する。それに伴って「真理」すらも変化していく可能性があり、それはまさに反デカルト的な真理観を表しているのです。このようにしてデューイは自然とプラグマティズム寄りの思想に傾いていくことになります。

デューイのヘーゲルへの傾倒はしばらく続きますが、1891年にドイツから帰国して大学講師をしていたジョン・ハーバード・ミードと仲良くなると、急速にヘーゲルの思想から距離をとるようになります。

ミードはウィリアム・ジェームズの教え子でもあったので、ここにもプラグマティズムの影響があったと考えられます。

1894年
新設されたシカゴ大学に招かれたデューイは哲学科の主任教授としてのキャリアをスタートさせます。1904年からはコロンビア大学の哲学教授となり
晩年まで、おおよそ50年近く同職を務めます *8

彼は1919年に発表した『哲学の改造』という著作で、これまでの哲学とプラグマティズムを比較し、プラグマティズムの意義を提示します。

ちなみにこの著作は、デューイが日本に滞在していた際、東京帝国大学で行った講義が元になっています。その頃彼は、新渡戸稲造の自宅で暮らしていたみたいです。

デューイはまず、これまでの哲学で主題とされていた「経験領域における二元論」を問題とします。

西洋哲学の歴史において「経験の領域」は
①自然/不安定/感覚的なもの
②数学的/安定/理性的なもの
の二つに分類されてきました。

私たちが感覚的に感じる自然的な印象には誤謬の余地がある。一方で、数学的/論理的な理性の所作には誤謬は入り込まない。とても普通の感覚のような気がしますね。

しかし、デューイはこの二分法自体に誤りがあるのではないかと考えます。

このような二分法を設定してしまったが故に、哲学は科学という感覚/経験的な学問が示す結論をありのままに受け入れられなくなってしまった。

そして、この二分法を頑なに守ろうとする保守主義の最たるものがデカルトであるというのです。これは痛烈な批判です。

プラグマティズムの生みの親であるパースはデカルトを批判することで新しい思想を提示しました。しかし、デューイはデカルトのみならず、それまでの西洋哲学全てを否定しようとしたのです。

デカルト的な保守主義
つまり主客の分離を絶対的なものとし、それによって客観的な真理を手に入れようとする方法。これはカントによって一つの体系として大成しました。

しかし、このような保守主義には自然科学の成果をありのままに受け止める余白がありません。

デューイは、探究/進化はカント的な超越論主義ではなく、ダーウィン的な自然主義で行われるべきだと考えます。それはまさにパースとジェームズが提示したような共同体の中で変化を繰り返すリゾーム的な真理観です。

そのような共関係性のネットワークの中で科学的な言明を全面的に受け入れることが、哲学における進化には必須なのではないか。

彼はそのように考えるのです。

とはいえ、これまでの論者と同様にデカルト的な真理観を否定してしまうと、相対主義に陥ってしまう危険性があります。

しかし、デューイをはじめとしたプラグマティストは自身の思想を相対主義だとは認めません。

彼は著書『論理学ー探究としての理論』にてプラグマティズムにおける真理観を提示します。

まず彼は「探究」という行為を、トラブル/懐疑/不安定と解決/安定/真理の間に位置付けます。

まずはじめに不安定なトラブル状態があり、、探究をすることによって、不安定だったトラブルが安定し、解決に至り、得られた結果を真理と呼ぶことがある。

つまり「探究」とは、状況への介入や操作を通じた不安定→安定への転化の作業であるとするのです *10

彼は、こうした探究のプロセスを「科学の方法」と呼び、その探究によって得られた結論のことを「保証つきの言明可能性」と表現します。

「保証つきの言明可能性」とは文字どおり、元々の仮説が「保証つき」になったということであり、現時点では全くもって正しいと判断できるけれども将来その言明が覆される可能性も内包しています。

要は、これまで客観的な真理とされてきたものも結局は「保証つきの言明可能性」であり、人間が持ちうる真理的なものはどこまで行っても「保証つきの言明可能性」に留まるということですね。

これを前提に考えると「絶対的真理」と「相対的真理」をわざわざ二分して議論する動機が失われます。確かにこのように解釈すれば「プラグマティズムは相対主義に陥っている」という命題自体が無意味になるわけです。

少なくともデューイのいう「科学的方法」である「探究」はどこまで行っても記号的で言語的です。すなわち、記号や言語を規定する共同体に属した行為であると。

それはとても民主主義的な手続きであり、共同体という流動的・主観的な影響を受けているため、どう足掻いても客観的な絶対真理にはなり得ません。

探究という行為が、共同体の言語や常識や文化に根ざしている以上、そこで得られる結論は「保証つきの言明可能性」に留まります。しかし、それ以上のものがないのであればそれで十分ではないか、デューイはそう考えるのですね。

このように真理に対する解釈を変化させることでそれは「探究」に対する姿勢をも変容させます。

デューイは「探究」の方法を「科学の方法」と呼びましたが、この方法は科学以外にも適用することができます。まさにこれはジェームズが提示したパラダイムチェンジです。

そして、科学以外の答えが曖昧な諸学問に関しても、そこで得られる答えを「保証つきの言明可能性」と認識すれば十分に整合性のある運用ができる。

つまり「探究によって有用性が認められるものは対象がなんであれ真理と呼べるものである」

結論はジェームズと同じようなものですから、依然その主張を「キャッシュバリュー」と批判することができます。

しかしデューイの真理に対する捉え方を採用すると、仮にプラグマティズムがキャッシュバリューだとしても、それに変わる高尚な真理観は存在しないのだから、結果的にプラグマティズムを採用するしかないという結論を導き出せてしまいます。

このようにパース〜ジェイムズ〜デューイと続いたプラグマティズムにおける議論の旅は一旦妥当な地点での着地を成功させました。

そして、この思想はアメリカの発展に大きな影響を与えます。

しかし、少しすると大陸から「論理実証主義」の波が押し寄せ、プラグマティズムはその影響力を極端に削がれてしまいます。

そんな状況の中、プラグマティズムの再興に貢献したのが論理学者のクワインでした。

次回は論理実証主義と、クワインについて取り上げます。



注釈と引用

*1 とはいえ、両者の思想は互いに影響を受けておらず、独立したものだと考えられています。

*2 登場人物の「意識」を描く際、注釈によって説明するのではなく、連続した移ろいの一部として表現する手法のことを「意識の流れ」と呼びます。

*3 1885年、彼が43歳の時にハーバード大学の哲学教授になります。彼の元ではジョージ・ハーバート・ミードなども学んだとされています。

*4 イギリスの数学者・哲学者。ハーマン・グラスマンの業績を基にして幾何代数における「クリフォード代数」というものを導入した。ロンドン大学の数学と力学の教授。

*5 とはいえ、ジェームズはクリフォードの主張を「科学的方法論においては支持できる」と考えていたようです。私個人としては、科学的方法論においても「いかなる信念も前提ありで許されて」良いのではないかと思います。

*6 もちろん過去の哲学者たちの「信念」は一つの「真理」ではあります。

*7 ジェイムズは、プラグマティズム的な思想を発展させた上で「多元的宇宙論」という、世界が信念のネットワークで複雑に絡み合っているようなモデルを提唱しました。彼のことを徹底的に批判していたラッセルですが、後年「論理的原子論」として自身の哲学をまとめようとした際、世界と心の関係を説明するために、ジェイムズの「多元的宇宙論」と非常に似た解釈を用いていました。そういう意味で、ラッセルにとってもプラグマティズムの影響は(良い意味で)大きかったものと思われます。

*8 デューイの貢献といえば、プラグマティズムに対するそれよりも、機能主義心理学に対するものを思い浮かべる人の方が多いかもしれません。彼は1896年に「心理学における反射弓の概念(The Reflex Arc Concept in Psychology)」という論文を発表し、刺激と反応の体系を明らかにしました。同年、実験学校を作り(のちのシカゴ大学付属実験学校)機能主義心理学におけるさまざまなデータを収集しました。この学校は後に「デューイスクール」と呼ばれ、彼の教育者としての思想を継承しました。

*9 この間、1934年に『経験としての芸術』『誰でもの信仰』などを発表。1935年には『自由主義と社会的行動』を発表。これらの著作で提示された実験主義的な思想は、1937年の『論理学:探究の理論』で体系化されます。一連の思想の変移は、同時期に実行されたニューディール政策に対応したものであったとされています。

*10 探究とは、不確定な状況を、確定した状況に、すなわちもとの状況の諸要素を一つの統一された全体に変えてしまうほど、状況を構成している区別や関係が確定した状況に、コントロールされ方向づけられた仕方で転化させることである
論理学ー探究の理論 (世界の名著 59巻 491)


参考文献

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論理実証主義とクワイン【プラグマティズム#3】



本編


一口にプラグマティズムと言っても、それぞれの哲学者の主張は多種多様です。

しかし、これまでに見てきた3人の哲学者の主張においては、共通してデカルト的な真理観を否定するという特徴があります。

知的活動とは、絶対的で静的な真理を探し求めるような行為ではなく、動的で改定可能性がある真理を、前進しながら探求する行為である。

その上で、パースは真理を「科学的探究の最終的な収束点において見出される信念」と表現し、ジェイムズは「行為において信頼しうる有用な道具」デューイは「探究の共同体に認められる保証つきの言明可能性」と表したわけです。

デューイが完成させたプラグマティズムは、その後50年ほどして「ネオプラグマティズム」として再興することになります。

しかし「再興」というぐらいですから、それまでの50年間におけるプラグマティズムの位置付けは、それほど良いものではありませんでした。

アメリカでは、20世紀頭にプラグマティズムが興盛を誇った後、論理実証主義がその流行を飲み込み、哲学研究の最前線を担いました。

「論理実証主義」とはその名の通り「論理主義」と「実証主義」が融合した言葉です。

「論理主義」とは、前期ウィトゲンシュタインに始まる言語に関する論理分析を重視する立場です。

「実証主義」とは「経験できるものが全てである」と考える、主にドイツやフランスで作られた科学知識に対する哲学的な立場のことです。

この立場はカント的な「事物の裏には認知できない物自体がある」というような超越論的言明を認めません。あくまでも経験によって実証できることだけを重視しようとするのです。

当時のヨーロッパでは、このような「実証性」のもと、科学だけではなく、すべての学問を包括するようなスキームである「統一科学」を達成することが掲げられていました。そして、そのための方法として「論理主義」が必要だったわけですね。

論理実証主義は「それまでの哲学に対する否定的立ち位置」や「カント的な物自体を批判すること」などの要素において、プラグマティズムと似たような思想を持っています。

しかし、両者の決定的な違いは、真理に対する解釈です。論理実証主義においての真理は、実証可能な客観的な存在です。そこに主観的な価値が入り込むことは禁忌なのです。

一方で、ジェームズなどは主観的な価値や信念を含めた真理観を提唱していました。これによって、道徳や宗教といった、普通実証が不可能な事柄についても真理を追求することが可能になると考えたわけですね。プラグマティストたちに言わせれば、論理実証主義では道徳や宗教を探究することができないのです。

また、プラグマティズムにおいては真理が明かされる過程として、ある種のネットワークを想定していました。リゾーム的なネットワークの中で、真理が改定され、より有用なものに収束していく。プラグマティズムにおいては、ネットワークという「全体」が非常に重要なものだったのです。

一方で論理実証主義は、そのような「全体」を重視しません。その点においては、デカルト的なツリー型の演繹的真理を支持していると考えることができるでしょう。

とはいえ、ネオプラグマティズム前夜。アメリカでは論理実証主義が強い力を持っていました。これを覆し、新しいスキームを社会に浸透させるためには、論理実証主義の脆弱性を明らかにしないといけないわけです。

そこで、ネオプラグマティスト達は以下の2点に着目します。

①真理と価値
②全体性と個別性

論理実証主義においては「真理」と「価値」が絶対的に区別されます。
「真理」と「価値」を区別し、「価値」の上に「真理」を置く論理実証主義の思想は、果たして正しいのか。

また、論理実証主義は全体性よりも個別性を重視します。全体性と個別性の違いは真理観の違いでもあります。論理実証主義における分析的な真理は「個別的」です。全体がどうであれ、個別的に分析的な真理を規定できるとするわけですね。一方でプラグマティズムにおける総合的な真理は「全体的」です。彼らが定義する真理が、リゾーム的なものである以上、それは必ず全体の影響を受けてしまいます。真理とは個別的なものなのか、それとも全体的なものなのか。もっといえば、個別/全体という二分法に意味はあるのか。

ネオプラグマティスト達はこれらの課題に答えることで、プラグマティズムが論理実証主義に替わる思想であることを証明しようとします。

その第一歩として「②全体性と個別性」に言及したのが、アメリカの論理学者、クワインです。

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、1908年生まれのアメリカの哲学者・論理学者です。

ハーバード大学の教授であった彼は、ネオプラグマティズムだけでなく、数理論理学の世界でも非常に大きな貢献をしています *1

彼は1951年に発表した『経験主義の二つのドグマ』という論文で、論理実証主義における「個別性と全体性」に対しての批判をします。

論理実証主義は端的に以下の二つの主張をしていました。

1.分析的命題(個別性)と総合的命題(全体性)は明確に区別できる
2.経験的な言明は、実証的な言明に換言できる

クワインは、このどちらの主張も間違っていると考えます。

彼は、そのことを証明するために、フランスの実証主義物理学者であるピエール・デュエムの主張を援用します。

デュエムは、個別の経験的言明が、感覚上の事実に照らし合わされて何らかの客観的真理の候補になったとき、その仮説のテストにおいて、個別的な検証は不可能であると考えました。例えば、光子の観測に観測機器の存在が必ず影響してしまうように *2

簡単な実験一つとっても、その実験には個別的な経験的言明以外のさまざまな要素が含まれてしまいます。

よって、経験的言明の検証において個別の命題との一対一の照合は原理的に不可能なのです。この主張を「決定実験の不可能性」と呼称します。

クワインはデュエムが想定していた科学にとっての「決定実験の不可能性」を、その他の学問における信念にも適用できるような主張をします。これが俗にいう「デュエム=クワインのテーゼ」です。この論を前提に考えると、認識に対する検証はどこまで行っても全体的な性質を持つことになります。

よって

2.経験的な言明は、実証的な言明に換言できる

これは難しい。

また、論理実証主義においては真理を大きく二つに峻別します。

一つは経験に根ざした事実的情報による真理。もう一つは経験に根ざしていないが形式的な整合性を保っている真理。前者は「光速度は不変である」みたいなもので、後者は「AはAである」みたいなもの。

先ほどの主張により、前者の真理に関しては個別の経験と事実の照合が不可能なため、個別的・客観的に存在するとは言えない。

では、後者の真理はどうか。

クワインは後者の真理に関してもダメだと言います。

例えば「子供がいる女性は母親である」という文。普通「子供がいる女性」と「母親」は同義なので、これは同語反復だから形式的に真となります。

しかし「母親」という言葉が「子供がいる女性」と理解されるのは、その言葉が使われている共同体の中のみの話であり、それを考えると、実はこれ、絶対的な真理とは言えないのです。

よって、分析的な真理(個別)と総合的な真理(全体)のどちらに関しても必ず全体の影響を受けるわけであって、

1.分析的命題(個別性)と総合的命題(全体性)は明確に区別できる

という前提も棄却されます。

クワインは、以上の主張をもって論理実証主義が根底に持っている

1.分析的命題(個別性)と総合的命題(全体性)は明確に区別できる
2.経験的な言明は、実証的な言明に換言できる

という前提を否定し、プラグマティズム的な信念のネットワークにおける暫定的な真理観を復活させました。

真理とは永続的に改定されるシステムの一部である。

彼はこの主張を、著書『言葉と対象』において「根底的翻訳」という概念を用いて補完します。

「根底的翻訳」とは、その言語についての知識を全く持ち合わせていない状態で翻訳作業を試みる状況のことです。

例えば、あなたがある部族の発話行為を研究していたとします。あなたはその部族についての情報を何も知りません。このとき、部族の一人がゾウを見て「バルス」と発話しました。あなたはそれを見て「ゾウ」と「バルス」を紐付け「バルス」は「ゾウ」を表す言葉だと理解するかもしれません。

しかし、この翻訳には確たる証拠がありません。

彼らはもしかしたら「鼻が長い」ことを「バルス」と表現しているのかもしれないし「灰色い動物」のことを「バルス」と表現しているのかもしれないからです。

そして、あなたとは別に部族の言語を研究していた言語学者が、あなたとは違う「バルス」の捉え方をすることは十分に考えられるのです。

原理的に、言語の翻訳マニュアルは言語学者の数だけ無限に作ることができます。このような「一義的に決まることのない様子」を「根底的翻訳の不確実性」と呼びます。

言語とは発話者の信念であると言えます。信念であるからこそ、それはとても主観的な存在で、それを第三者が客観的に解釈しようとすると、必ず多種多様な解釈が可能になるのです。

この思考実験は、どんな命題に関しても多元的な解釈が可能であることを示しています *3

命題という存在がすでに言語に依拠している以上、その命題の答えを一義的に定めることは不可能です。命題の答え、つまり真理的なものは言語という共同体の営みに強く影響されていて、常に多元的な解釈を許容する遊びを持っているのです。

クワインは、以上のような主張を用いて論理実証主義の個別的な真理観を乗り越えようとしました。

しかし、彼のロジックは、元あったプラグマティズム的な思想を追い越して、最終的に多元解釈を許容する相対主義的な思想に帰着することになります *4

次回はクワインの多元解釈をプラグマティズム的に再構築した二人の哲学者、リチャード・ローティとヒラリー・パトナムを取り上げます。


注釈と引用


*1 彼の大学時代の指導教官は『数学原理』を書いたホワイトヘッドでした。論理学的な思想において、クワインはホワイトヘッドの影響を強く受けています。

*2 二重スリット実験などがその代表的な例

*3 もちろん、発話者が自身の信念を多元的に解釈しているわけではありません。発話者にとっての信念は、彼にとってのみ一義的なものです。しかしそれを客観的に捉えると、どうやっても多元的で相対的な解釈になってしまうのです。

*4 実際、クワインも(特にクワインのテーゼを主張した際に)自身の主張が相対主義に帰着することを認めていたようです。



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リチャード・ローティとヒラリー・パトナム【プラグマティズム#4】



本編


クワインは、論理実証主義に対抗するために多元解釈・相対主義的な思想を構築しました。

しかしこの思想は、プラグマティズム的な真理観の復興ではあったものの、パースの頃からの課題であった「相対主義の否定」には失敗しているように見えます *1

クワインの後に続いたリチャード・ローティは、クワインの多元解釈的な思想の長所をさらに伸ばし、相対主義という定義自体にメスを入れることでネオプラグマティズムの基礎を構築しました。

リチャード・ローティは1931年生まれのアメリカの哲学者です。彼は、イェール大学で博士号を取得したのちプリンストン大学やバージニア大学、スタンフォード大学で教授を務めます。

彼は著作『哲学と自然の鏡』において、近代哲学史に一貫した「認識論の伝統」に注目し、その伝統に従うことも、伝統を批判することも *2
元々の伝統に影響されているという意味で「哲学の終焉」でしかないと言います。

つまり、近代哲学を批判するということは、すでに近代哲学に縛られてしまっているわけで、それでは近代哲学を超克することはできないとするのですね。だから、ポスト哲学的な新しい「場」を作らないといけない。

これはどういう意味なのでしょうか。

彼はまず、それまでの哲学史の特徴を

認識論においての基礎づけ主義
真理においての本質主義
言語においての表象主義

と分類しました。
結論から言うと、彼は、これらを全て否定し、全ての領域において、逆方向の思考をするべきだと説きます。

「認識論においての基礎づけ主義」とは、認識の根本に、それを基礎付けるような絶対普遍で特別なものがあるとする立場です。まさに、デカルト的な主張ですね。しかし、プラグマティズム的にはそのような特別な存在を認められません。よって、反基礎づけ主義でなければならない。

「真理においての本質主義」とは、”存在”というものには目に見えない本質があり、それを客観的に解明することができるとする立場です。カントの「カテゴリー」などがこれにあたります。しかし、ローティーは客観的な本質(真理)を認めません。よって、反本質主義でなければならない。

とはいえ「基礎づけ主義」と「本質主義」に対しての批判はこれまでのプラグマティズムでも行われてきました。

ローティの主張の特異性は、反表象主義にあります。

「言語においての表象主義」とは、認識の正しさと言語の正確さを同値と捉える立場です。仮に私たちが外界を正しく認識できている場合、それを表現する言語も完全に正しいと言える。これはまさに論理実証主義的な主張です。このような主張には「人間の精神は、自然を鏡のように正しく映し出す」という前提が了解されています。

ローティは、このような表象主義を否定するために、クワインの主張と、セラーズという哲学者が提唱した「所与の神話」という概念を援用します。

所与とは、簡単にいえば”データ”や”刺激”のことです。私たちは、外界から感覚器官を用いてデータを取り込み、それを「なんらかの方法」で表象として構築して認識をします。この「なんらかの方法」には色々なパターンが考えられます。それはカント的なアプリオリな認識形式でも良いし、刺激を言語に変換する文法の形式でも構いません。

それまでの長い哲学の歴史の中では、外界からの刺激と「なんらかの方法」によって立ち上がる認識の間には誤謬の入り込む余地がないと考えられてきました。これが「所与の神話」です。

しかし、セラーズという人はこれを否定しました *3

ローティも、セラーズの主張に同意します。”データ”や”刺激”という経験は、それ自体では何も意味を持ちません。経験は、情報のネットワークの中で相互的に影響しあい、複合的な信念として形成されるからです。当然、そのような経過において刺激と認識の間には誤謬が入り込む余地が大いにあります。

簡単にいえば「印象そのもの」と「知識・認識」の間には断絶が存在するから、それを素朴に信じることはできない、ということです。

でもなぜ、哲学は表象主義に固執していたのでしょうか。その原因は科学の発展にありました。

近代以降、科学が急激に発展したことによって、哲学は日陰に追いやられることになります。

その頃から哲学は「科学という方法を保証、もしくは批判するための学問」という要素を持ったのです。つまり、科学を一つ上の観点から検討し「科学の正しさを保証するための学問が哲学である」と、哲学の存在意義を確保しようとしたのですね。だから「認識の正しさ」のような命題に必要以上にこだわる傾向があった。

しかし、ローティはその哲学の姿勢を否定します。「哲学でそんなことをする必要はない」と。

そもそも、プラグマティズム的な観点から解釈すれば、科学が他の学問に比べて特別な権威を持つ理由がありません。

もちろん、科学の知識は非常に有用です。しかしそれは、私たちの中における「対話のツール」として有用だということであり、それは間違っても「真理に近い」という意味での有用ではありません。

プラグマティズム的にいえば、科学も道徳も政治的主張も、その全てが一種の信念の表明であり、言語を用いた対話のスタイルでしかないのです。

だから、哲学は科学の客観性や確実性を担保することにこだわる必要はない。

むしろ、哲学には、客観性や確実性にこだわるということの無意味さを積極的に議論することが求められているのではないか。

ローティはこのように考えるのです。

これはまさに、前回の動画で取り上げた、論理実証主義における「①真理と価値」を否定するような主張であり、同時に、科学に特別な権威を認める風潮に対する強い否定でもありました。

事実彼は「科学と文学は同列の学問である」というようなことも述べています *4

つまり、科学も文学も芸術も、それら全ては「有用性」のためのツールであって、どれか一つが飛び抜けて真理に近いということはあり得ないと言うわけです。

そして「有用性」は何に対してのものかというと、これはもう「人間の諸生活」「社会の円滑な運営」です。これらを「倫理」と表現しても間違っていないでしょう。

要は、科学的真理といっても、それは客観的な真理ではなく、実質的な意義は倫理的な役割にあると主張しているのです。

ローティはこの主張を「客観性と連帯」という概念で補強します。

ローティにとっての「連帯」とは、共同体の中で知的探究を行う人々が探究の規範を共有し遵守しようとする態度のことです。

科学においては、この「連帯」が顕著ですね。強制されているわけでもないのに、科学を探求する人々は科学的なルールを守り、その規範の中で領域における「語彙」を増やしていきます。

しかし、この営みは科学にだけみられるものではありません。文学や芸術にも、本質的には共有された規範があり、その領域の中で、参加者は探究を続けているのです。

その中でも、科学においては連帯と探究によって増殖した語彙を「主観的だ」とか「客観的な真理だ」などと判別する傾向があります。

そして、その中でも特に客観性が重宝されるきらいがあるわけですが、ローティはこの風潮を否定します。

知的活動の目標そのものが客観性の確保にあると考えるのは誤りである。

知的探究の目的は「連帯」そのものにあり、それがすなわちプラグマティズム的なネットワークの中での真理的なものの形成であると。

確かに、主張していることはわかるような気がします。言語という限定されたルールの中で探究を営む以上、そこに客観的な結論を求めることは無意味であり、意味があるとしたら探究というその工程自体にある。確かに理解できるのですが、この論を前提にするとやはり相対主義・多元解釈の壁にぶつかってしまいます。

ローティは「ルールが違えば結論が違う」と言っているわけで、これは「真理は人それぞれ」と主張するのと同じではないでしょうか。

しかし彼は、ネオプラグマティズムは多元解釈・相対主義に陥っているわけではないと言います。

彼は多元解釈・相対主義の代わりに「自文化中心主義」という言葉を使います。自文化中心主義とは、複数ある信念の正当化に対しては、自分を含む共同体の実践に相対的な形で優劣を設定することができる、という考え方です。

科学や文学や芸術のように、それぞれを一つの真理と認められるような複数の体系があったとき、それら全てを、価値的な意味で同列に扱う必要はありません。

私たちは複数の選択肢を前にしたとき、自分自身が属する共同体の実践の結果によりそれぞれの選択肢に優劣をつけることができます。

20世紀のアメリカの哲学者、トーマス・クーンは「パラダイム論」において、科学史の累積的な進歩史観を否定しました。科学は、正解を一つずつ積み上げてだんだんと高みに登っていくような営みではなく、それぞれのパラダイムに依存した保守的な時期と、それを打ち壊す革新的なパラダイムの登場というジグザグした交代の運動である。

天動説/地動説や古典力学/相対性理論などを見れば、それは最もな指摘だと思います。ローティは「自文化中心主義」もパラダイム論と同じような性質を持っていると主張します。

ローティによれば、共同体における真理は、共同体の”作法”の中でさまざまに成立し、共同体の”実践”を通して、それらに優劣を与えます。共同体は、その営みを通して、その時最も有用なものを真理として認めるのです。

しかしそれは、共同体がその作法や実践に固執することを表すのではなく、共同体の常識の崩壊、つまり革新的なパラダイムへの移行期間であると考えられる。

まさにプラグマティズム的な真理観ですね。

そもそも、ローティの主張においては絶対主義という概念は成立し得ません。絶対的な真理はないとしているわけですからね。あるのは相対的真理の中での「濃さ」だけです。だからそもそも絶対主義と相対主義という二分法と、それに伴った議論自体が無意味だと考えられるのです。

ローティの後、この「自文化中心主義」をよりプラグマティックにまとめ上げたのがパトナムです。


ヒラリー・パトナムは1926年生まれのアメリカの哲学者です。過去にメインチャンネルで扱った『心の哲学シリーズ』の代表的な論者としても知られています。

特に「双子地球」や「水槽の脳」などの思考実験はあまりに有名ですね *5

彼はハーバード大学時代に、論理実証主義の代表的人物であったルドルフ・カルナップなどから大陸の哲学を学びます。

その影響もあって、彼は最初「科学的実在論」を主張しました。

科学的実在論とは、科学的に導出される事柄や法則が、私たちの認識とは別に、独立して世界に存在すると考える立場です。客観的な事実が人間の外部にあると認めているので、これは反プラグマティズム的な考え方ですね。

ところが、彼はあるとき急に「内在的実在論」という、それまでとは全く逆の立場を表明するようになります。

内在的実在論とは、科学的実在論が主張する真理が外在していることや言語がそれを正しく記述できることなどを全て否定する立場です。客観を否定し、主観を重視する立場と説明しても良いかもしれません。これはまさにカント的な観念論に近い立場です。

しかし、内在的実在論は極めて相対主義的な性質を持っています。この立場は「私たちの客観世界は、私たちにとっての客観世界でしかない」と考えるわけですから、〇〇にとって、という括弧を、どこまで行っても外せないことになります。

これでは「真理」の価値が不当に切り下げられてしまう。

そこでパトナムは「自然的実在論」という立場を提案します。

「科学的実在論」は世界についての完璧な記述は可能であると考えます。一方「内在的実在論」はそれを否定します。

しかし、そもそも「世界を完全に記述できるか否か」という議論自体に何かしらの意味があるのでしょうか。

また、仮にその議論に意味があったとして、それが「達成できるか否か」を問うことに意義はあるのでしょうか。

パトナムは、この問題にジェイムズの実在論を援用して答えます。ジェイムズは「真理とは思考における有用性である」と言いました。どんな事実も、それを構築する理論を前提にしています。理論がなければ事実は存在しないという意味で、事実と理論の間には絶対的な区別はありません。

そして、どんな理論が用いられるかという判断には、理論における整合性や応用範囲など、理論についてのさまざまな価値判断が付随します。よって、理論と価値にも明確な区別はないのです。

論理実証主義をはじめ、多くの哲学的立場では事実と価値が明確に峻別されます。

しかし、ジェイムズによれば、事実も理論も価値も、全ては同じレイヤーに属す概念なのです

こういう主張に対して、周りは「キャッシュバリュー」や「相対主義」と
レッテルを貼ったわけですね。

しかし、パトナムはそうではないと言います。

そもそも「何が有用か」という価値判断に関しても、どのようなタイプの想定が予測として適当で、どんな方法が現象の制御として認められるかなど、より良い価値判断への探究が必要となります。

この探究は「事実」を見つけるための探究のスキームと全く一緒なのです。

つまり「何が有用か」の価値判断に関しても、パース的な「最終的に真理に収束する途中の事実」という概念を適用できるため、一概にそれを相対主義とすることはできません。

ジェイムズの「真理とは思考における有用性である」は、パトナムから言わせれば、「真理とは(極めて端的に言えば)思考における有用性である」という意味の言及であって、決して「有用さ」という短絡的な指標を重視する”現金な”主張ではないと考えるのです。

また、パトナムはウィトゲンシュタインにも言及します。

ウィトゲンシュタインは「われわれは語りうることは明晰に語りうるが
語りえないことは沈黙しなければらない」と言いました。

論理実証主義者たちが注目したのは、前半の「われわれは語りうることは明晰に語りうる」でした。科学的知識による「語りうるもの」に対する記述は
どこまでいっても明確なものである。それは、科学と形而上学との序列付けでもあります。

しかし後半の「語りえないことは沈黙しなければらない」に着目してみると、ここには科学以外の要素が含まれていることがわかります。~ねばならない、とするのは倫理です。ある意味、ウィトゲンシュタインはこの後半部分で真理に対する道徳観を提示しているのです。

ウィトゲンシュタインが記した「哲学探究」においては「言語ゲーム」という概念が提唱されます。

言語表現の意味は基本的に、ゲームの中での使用法として理解される。そして、そのゲームに参加しているものしか、ゲームを理解することができない。

ローティは「自文化中心主義」という概念を通して、認識や知識は、自分が属する共同体の文化を背景にしてしか理解することはできないと主張しました。そして、自文化の発展を望む共同体の知的な連帯という意味で、科学・文学・芸術には同じ価値を認めるべきであるとしたわけです。

共同体に固有のルールのもとでしか認識や知識が了解されないという「自文化中心主義」は、ウィトゲンシュタインのゲーム理論と非常に似通った性質を持っていると考えられます。

しかし、パトナムは両者の主張に違いを見出します。

ウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論は、共同体の言語理解という図式を分析することで、その帰結として「人間の理解は多元的である」や「真理の段階は複数ある」と言ったような真理の複数可能性を指摘する企てではない。

彼が指摘したのは、言語ゲームという共同体の営みの裏には、成員の感情移入的な理解の作業があり、感情移入的な相互の理解という枠組みのもとで生まれる「善きもの」を守ろうとする試みであるということです。

そして、その道徳観が直接的に現れているのが「語りえないことは沈黙しなければらない」の「~ねばならない」であると言うのです。

だから、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論は、科学的な方法を特別視し、その方法を突き詰めていくような論理実証主義的な方向性を提示したものではない。それは、哲学的認識の独自性を確保する試みであり、共同体という特殊な環境下においての「自然に生まれる善」という倫理的な存在にもっと意識を向けようという道徳の方向づけであるとも読めるのです。

そしてこの「人間としての自然的なものへの向き合い方」こそが、プラグマティズム初期にパースやジェイムズが取り戻そうとした真理観だったと考えられます。

このように、パトナムが提唱した「自然的実在論」は、プラグマティズムの源泉となるパースやジェイムズの文脈を汲み取り、論理実証主義における道徳観の脆弱性を指摘する思想だったのです。


ネオプラグマティズムにおける三者三様の主張が、論理実証主義を正当な形で乗り越えられているかはわかりません。

しかし、その”探究”はアメリカという”共同体”に認められ、アメリカというゲームに参加する人々にとって”有用”に働きました。

こうして、プラグマティズムはアメリカにおいての地位を論理実証主義から奪還したのです。

一般的に「有用なものは正しい」という、短絡的な現金主義として理解されることも多いプラグマティズムですが、成立の歴史においては、真理という概念に対しての戦い。科学的思考が奪った道徳観を取り戻すための挑戦。哲学の正しい立ち位置を模索する探究がありました。

そして現代。
未だ勢いの衰えないプラグマティズムの思想において、これまで見てきた哲学者たちの相違以上に多種多様な思想によって議論が活発化しています。

これを「プラグマティズムっぽい真理への正当な道」と見るか「プラグマティズム的な脆弱性の現れ」と見るかは人それぞれですが、それらの信念が、いずれ後ろ向きな真理を形作るための材料になることは間違いないような気がします。

本シリーズを制作するにあたって、伊藤邦武先生の『プラグマティズム入門』を特に参考にさせていただきました。本書では、パトナム以降の哲学者も多数紹介されていますので、もしご興味があれば、ぜひ本書を読んでみてください。



注釈と引用


*1 もっとも、クワインは自身の思想を相対主義だと認めているきらいがありました。決してそれを頑なに否定しようとしたわけではありません。

*2 伝統に従うとは、デカルトに始まりカントによって体系化された哲学を支持すること。伝統を批判するとは、ハイデッガーやウィトゲンシュタイン、デューイ、フーコー、クワインなどの現代の哲学者による攻撃を肯定すること。

*3 セラーズは所与の神話を否定するために「理由の空間」という概念を提唱しました。認識とは、刺激から始まる因果関係に根差したものではなく、「理由の空間」という規範領域における、相互の根拠関係や理由関係によって作られるものであるとしたのです。ある意味、非常にプラグマティズム的な主張だと言えるでしょう。

*4 『哲学の脱構築』
ープラグマティズムは、これとは対照的にかつて<神>によって占められていた場所を埋める偶像として<科学>を立てたりはしない。それは科学を文学の一ジャンルと見なすのであり、別の言い方をすれば、文学や芸術を科学と同じ足場に立つ探究と見なすのである」

*5  【水槽の脳】から見るデカルト・カントの思想
https://youtu.be/xoRmBFt9JOg




参考文献


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真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議
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論理的観点から―論理と哲学をめぐる九章
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哲学の脱構築―プラグマティズムの帰結

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