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『反知性主義とは何か【反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体|森本あんり】』に関する動画のテキスト版

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今回は国際基督教大学名誉教授である森本あんり先生の『反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体』を下敷きに、昨今とりわけ話題に上がることが多い「反知性主義」について解説したいと思います。

この本では、日本においての反知性主義は、本来の意味とは異なった使い方をされていると指摘されます。

反知性主義の本来の意味とはどのようなものなのでしょうか。また、そもそも「知性」とは何を示しているのでしょうか。

ぜひ最後までご視聴ください。
それでは本編にまいります。


「反知性主義」という言葉を聞いて、みなさんはどのようなイメージを持つでしょうか。

例えば「若者の本離れ」などを揶揄して「近頃の若いものは知性を蔑ろにする傾向がある」という意味で反知性主義という言葉が使われたりします。

また「実証性や客観性を軽んじて、自分が理解したいように世界を理解する態度」*1 という意味で反知性主義という言葉が使われるケースも目にします。

つまり日本では「知性的なことに反対する様」を反知性主義と呼称する傾向があると考えられるのですね。

しかし『反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体』では、反知性主義の本来の意味から考えると、日本でなされている理解には誤りがあると指摘されます。

では、その誤りとは具体的にどのようなものなのでしょうか。反知性主義の生まれ故郷であるアメリカの歴史を辿りながら、その本来の意味を紐解いてみましょう。

アメリカの政治史家であるリチャード・ホフスタッターは1963年に出版した著書にてはじめて反知性主義という言葉を用いました *2
これが反知性主義という言葉の起源だとされています。

とはいえ反知性主義という言葉が現れるずっと前から、アメリカではその萌芽となるような出来事が繰り返されてきました。それが信仰復興(リバイバル)運動です。

一般に信仰復興運動は、18世紀前半のアメリカ植民地における宗教運動のことを指します。しかし森本先生は(広い意味で捉えると)信仰復興運動は18世紀~19世紀にかけて複数回行われたと指摘します。そして、この信仰復興運動と、その前提にあるキリスト教が反知性主義と密接に関わり合っていると言うのですね。

アメリカは元々、主にイギリスからの入植者によって(先住民を駆逐する形で)成立した国です。ルターやカルヴァンにはじまる宗教改革は、それまで絶対的だったカトリック協会を弾糾し、新教の分離を促進しました。その中でもカルヴァンの流れを組むイギリスのプロテスタント、いわゆるピューリタンの一部は、アメリカに入植し植民地開拓を行いました。

カトリック教会においては教会が絶対的な力を持っていましたが、プロテスタントはそれに異議を唱え、聖書にこそ権威があると主張しました。そして教会によって制限されていた自由を求めて、彼らはアメリカ大陸に希望を見出したのです。

このように、アメリカに入植したピューリタンたちは「反体制」側の人間だったわけですが、入植後、その立ち位置が変化していきます。聖書を重んじるプロテスタントの牧師には、典礼の作法を覚えれば務まるカトリックの神父とは違い、聖書解釈/解説という高い能力が求められます *3そのため、ピューリタンが入植したニューイングランドでは大卒でなければ牧師になれないという不文律があり、人口に対しての大学卒業者が異常に多かったというデータが残っています*4

そもそもハーバード、イェール、プリンストンなどの名門大学は、はじめ、牧師を養成する神学校として始まったとされています。マサチューセッツに大量に移民が流れ着いたたった6年後にハーバード大学が作られていることからも、それが分かりますね。

こうしてプロテスタントの牧師は「知的エリート」が担うことになるわけですが、一部の知的エリートが聖書についての解釈を、それも学術的に難しい内容を庶民に聞かせていたと考えると、聴講者が置いてけぼりになるのが容易に想像できます。

このようにしてプロテスタントの牧師はいつの間にか体制側的な権威を身につけていくのです。

同時に、彼らには「二世三世への信仰の継承」という大問題がありました。キリスト教においては、生まれながらのキリスト教徒は存在しません。誰しもが必ずある瞬間にキリスト教徒に「なる」のであり、そのためには何らかの「回心」の体験がなくてはならないのです。

例えば、17世紀のマサチューセッツには「正規の教会員籍を持つ者にしか公民資格がない」という法律がありました。「回心」の体験がなく、正式に信仰告白をしていない市民は、政治に参加することを許されていなかったのです。

そういう状況でしたから、二世三世は信仰告白をしたいわけです。しかし、彼らは真にキリスト教に回心した体験がないですし、教会に行っても聞かされるのはお堅い学術系の話ばかり。

そんなときに颯爽と現れたのが「巡回伝道者」と言われる、いわゆる「流し」の説教師です。

彼らはひとりで馬に乗ってやって来て、広場や森の中に台を置いて即席の集会所とし、牧師たちが行う説教とは対照的な情熱的・庶民的・分かりやすい説教を行いました。

こうした活動は庶民の中に熱狂を作り出し、多数の回心者を生み出したとされています。

これが第一次信仰復興運動です。

「巡回伝道者」は必ずしも大学卒業者ではありませんでした。平たく言ってしまえば「学がない」人々だったのです。しかし、聖書に対する信仰は人一倍強く、彼らのその「反知性的な情熱」が人々を動かしました。

ここに反知性主義の萌芽が見て取れます。


同様の構図のもと、開拓が進みアメリカの国土が急速に広がり始めた19世紀前半には、当時まだ多数派ではなかったメソジストとバプテストがその信徒を大きく増やしました。

これが第二次信仰復興運動です。

特にバプテスト協会においては、中央集権的な全国組織が存在しません*5

忙しい彼らには大学に行く時間も、本を読む時間もありません。彼らが牧師になるための条件は「仲間から認められること」であり、そのようにして牧師になった人間は、組織から給与をもらうこともありませんでした。

当然、そのような閉鎖的なコミュニティは、例えば隣町のバプテストのコミュニティと親密な関係を築きません。ですから、A町の牧師がB町に行ったとき、そこで「牧師」という肩書きは通用しないのです。このような状況を「各個協会主義」と呼びます。

彼らはコミュニティ外からの干渉を好まず、中央的な政治的・宗教的権威を拒否します。本書では、アメリカ人の根底に流れている反権威的な志向は、このような歴史的背景から連綿と続いていると主張されます。

19世紀末には第三次信仰復興運動が起きます。
アメリカが農業社会から工業社会へ、農村中心から都市中心の国家へと変化しようとしていた時代。その変化を支えるために、アメリカには大量の移民が流れつき、それによって経済的な格差が広がっていきました。こうして、素朴な田舎出身の、満足に教育も受けていない都会の喧騒の中で不安と共に毎日を生きる「名もなき大衆」が生まれたのです。

第三次信仰復興運動は、このような人々の心に浸透し、大きなうねりを作り出していくことになります。


反知性主義と信仰復興運動の繋がりを考える上でとても重要なポイントが二つあります。

一つは「チャーチとセクト」です。

教会が社会と深く融合し、その社会に生まれた者はもれなく教会員となるような体制を、宗教社会学においては「チャーチ類型」と呼びます。これはキリスト教に限ったものではなく、例えば仏教の檀家制や、神道における氏子制など、多くの宗教に見られる普遍的な類型です。

対して、自分たちを生んだ母集団に常に否定的で自ら独自の高い倫理意識を持ち、入会資格を厳格にし、選りすぐりの成員だけで構成される体制を、宗教社会学において「セクト類型」と表現します。

平たく言えば、チャーチ類型は中央集権的な組織であり、セクト類型は地方分権もしくは無政府的な集団なのですね。

アメリカにおける信仰復興運動は、常に両類型のぶつかり合いによって起こりました。

元々セクト類型に近い性質を持っていたピューリタンたちは、アメリカに入植し、そこでの立場を固めていく中で自然とチャーチ類型的な性質を獲得していきます。

すると、組織内部からセクト類型的な集団が発生し、そこで信仰復興が起こるというわけです。

これら二つの類型に見られる精神はアメリカにおける「保守」と「リベラル」にも現れています。多くのアメリカ人は「政府というものは必要である」と思っているものの、同時にそれは最小限でなければならないし、できることならなくなった方が良いとも考えています *6

この権力に対する二律背反的な精神は、アメリカの信仰復興運動の歴史から生まれているわけですね。

そもそも、アメリカにおける政教分離の原則は、宗教を国から排除するために作られたものではなく、国家が特定の教会や教派を公のものとして定めることを禁止し、各人が自由に自分の思うままの宗教を実践することができるようにするためのシステムです。

これはまさにセクト類型的な精神を表したものではないでしょうか。

反知性主義と信仰復興運動の繋がりを考える上で重要なポイントの二つ目は「信仰復興とビジネス」です。

アメリカでは信仰復興運動とビジネスが密接に結びついていました。

第三次信仰復興運動の立役者とされているドワイト・ムーディーは、信仰復興運動によって起こる熱狂的な回心は、すぐに冷めると言いました*7

回心した人間が冷めてしまうということは、その人間にはもう一度回心のチャンスが作られるわけです。ビジネス的に捉えると、これは僥倖ともいえる「仕組み」です。スマホを購入した顧客に対して、すぐに新しいスマホを販売することは非常に困難ですが、その顧客がスマホを「無くして」しまった場合は、また新しいスマホを販売する「余地」が生まれます。

例えが下品ですが、信仰復興運動には以上のようなビジネスに有利な性質があったのです。

こうして信仰復興運動は、出版ビジネスや放送ビジネスとしてアメリカの資本主義と結びついていきます。そして、その「熱狂」は、ビジネスの世界だけではなく、政治の世界にも同様に伝播していきます。アメリカの大統領選挙が、日本では考えられないレベルで盛り上がるのには、アメリカに連綿と受け継がれるキリスト教的な精神が関係しているのです。


以上の内容を受けて、反知性主義について考えてみましょう。

そもそも「知性」とはなんでしょうか。
森本先生は「知能(intelligent)」と「知性(intellectual)」を峻別し「知能」が何かを理解する能力だとしたら、「知性」はその理解を自分に適用する「振り返り」の作業を含むものではないかと指摘します。

そういう意味で、「知能」を持った動物や機械は存在しますが、「知性」を持つのは人間だけです。

そして「知識人」は「知性」を持っていなければなりません。そういう意味で「知識人」や「インテリ」は、自分の主義主張や立ち位置に対して、自覚的にならないといけないのです。

「知能」を持っている人間が、自己の振り返りを忘れてしまったとき、その「知能」は権力や組織と結びつき、自分の「知能」を不当に拡大利用するようになります。

このような変化を敏感にチェックするのが反知性主義なのです。
つまり反知性主義とは「知性における振り返りの欠如」に対する反発であると表現できます。

ですから、例えば東京大学へ反知性主義的な反発がある場合、それは東京大学という知性に対する反発なのではなくて、東京大学(主義)が権力構造を左右する立場に居続けることへの反発なのです。

アメリカは非常に特殊な国です。
しばしばアメリカは「中世なき近代」「宗教改革なきプロテスタンティズム」「王や貴族の時代を飛び越えて共和制になった国」と言われます。伝統的な権威構造なしに生まれたアメリカにおいては知的エリートの役割が非常に大きかったと考えられます。

その知的エリートの双子の片割れとして生まれたのが反知性主義です。
ですから反知性主義は知的エリートのチェック機能を有するのです。

アメリカにはラディカルな平等意識が強く刻まれています。
だからこそ、チャーチ類型的な権威に対して、常にセクト類型的な大衆が反発をする用意があるわけです。

そして、このラディカルな平等意識の根底には、支配階級に対する宗教的な異議申し立ての権利があります。同時に、この権利は過去の宗教復興運動によって、国民一人一人の手にあることが証明されているのです。

反知性主義は、権力の暴走を食い止めるための力を持ちます。しかし一方で、反知性主義は過度なポピュリズムに繋がる性質を持っているため、その取り扱いには十分に注意せねばなりません。

これは、かの大統領を巡る問題を見れば明らかだと思います。

以上のように、反知性主義はアメリカ特有の精神であるといえるかもしれません。それをそのまま日本に輸入して運用しようとしても、そこにはキリスト教的な精神が流れていないため、全く同じ運用をすることは不可能でしょう。

しかし、反知性主義には大きな意義があると思います。

知識人は自分を自覚的に振り返ることを忘れない。
それを見ている大衆は、知識人たちの知性が権力に結びついていないかチェックする。

この、当たり前のことを願うのが反知性主義です。

単なる「アンチ知性」としてこの言葉を解釈せずに、日本なりの反知性主義を確立していくことが、今後の社会に求められる重要な宿題なのかもしれません。


◾️注釈と引用

*1 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p4
本書では元外務省主任分析官である佐藤優さんの「実証性や客観性を軽んじて、自分が理解したいように世界を理解する態度」という言葉を引いています。

*2 彼の著作『アメリカの反知性主義』は1964年にピューリッツァー賞を受賞しています。しかし、この本が邦訳されたのはそれから40年経った2003年でした。このことからもアメリカと日本の反知性主義に対する認識の重さが計り知れるのではないでしょうか。

*3 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p33
「だからカトリックの聖職者は、典礼さえ執行できればよかったのである。カトリック教会が聖職者を養成するために専門の学校を作るのはずっと後になってからで、教区の教会に仕える司祭は、ミサのためにいくつかのラテン語を覚えさえすれば、基本的な仕事をこなすことができた。ところが、プロテスタント教会では一般信徒に自分で聖書を読むことを推奨する。(中略)教会はその聖書の言葉を正しく解き明かしてくれる指導者を求めた。ピューリタン牧師たちに聖書の解釈と解説の高い能力が求められたのは、そのためである。」

*4 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p32
1946年までにアメリカに渡ったピューリタンのうち、大学卒業者は130名で、これは当時の人口から考えると、40家族に一人の割合である。

*5 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p150

*6 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p123

*7 反知性主義ーアメリカが生んだ「熱病」の正体 p190


◾️参考文献

反知性主義 (新潮選書) 森本 あんり

アメリカの反知性主義 Richard Hofstadter

日本の反知性主義 (犀の教室)

ドワイト・ムーディ (信仰に生きた人々シリーズ 4)  F.コックス・ベイリー


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