見出し画像

金を稼ぎたい

提供:ハイッテイル株式会社

こんにちは。哲学チャンネルです。

めっきり寒くなってきましたね。みなさま、元気にお過ごしでしょうか。

さて。

今回はお金にまつわるモチベーションについて書きたいと思います。

ちょうどこの前、年末最後の動画を撮っていまして、そこで話した内容(主に哲学との出会いについて話しました)の中で、話していてすごく自分自身で納得できるロジックを見つけたんですね。

簡単にいうと「自分がお金稼ぎに頑張れない理由を今までで一番スッキリ説明できた」という感じ。

これ、他の人にも共通するケースがわりとあるんじゃないかな。

てなことで、そんなことについて書きますので、よろしければ最後までご覧ください。



⭐︎メインチャンネルでは哲学系の動画を投稿しています。


⭐︎サブチャンネルでは主に本の話を


⭐︎Twitterもやってます。


⭐︎読みたい本など(支援うれしいです)


まず、これまでの状況を簡潔に説明しておきます。

・19-22歳 和食の板前(極貧)
・22-25歳 内勤営業(高収入)
・25-26歳 一般社会からドロップアウト&起業(超極貧)
・27-29歳 それなりにうまくいく(高収入)
・29-34歳 安定期(普通の収入)
・34-37歳 哲学チャンネル開始&仕事のセーブ(損益分岐割る、貯金切り崩し)
・37歳-  事業のほとんどを手放してフリーランス的な生き方に(毎月ちょいマイナス、貯金もだいぶ少なくなってきた、このままの状態が続くと半年〜一年後に破綻)

とまぁこんな感じで生きてきたんですね。
今はちょうど毎月ちょっとずつ貯金が減っていくモードになっていまして、これをどうにかせねばなぁなどと思いながら、特に何の対策も講じていません。

念のため補足しておきますが、今私は過去最高に幸福です。だから、上記状況はネガティブなものでは一切ありません。ただお金が足りない。それだけの瑣末なことです。

とはいえ、お金がなくなれば不自由な生活を送ることになってしまいます。まぁ、私としてはやりたいことが出来ていればそれでも良いと思うのですが。

ただ、家族のことを考えると、水準以下の貧乏になってしまうのはちょっと申し訳ないなと思うのです。


それで、これまでの人生を振り返ってみると、全体を通して(特にここ5年ぐらいが顕著だが)私は「お金を稼ぐ」という行為とあまり折り合いがついていなかったんですね。
お金は必要だし、あればあるだけ色々なことができるのは分かっているけど、どうもお金稼ぎに一生懸命になることができない。

今まではそれを

・資本主義的なものが嫌いだから
・お金は本質ではないと思っているから
・お金にまつわる人間の感情が嫌いだから

などのように説明してきたんですけど、もっとクリアにそれを説明できて、しかもその他の要素も包括するような理由が見つかりました。

それが

私は「手段」が苦手である

ということなんですね。


「お金を稼ぐ」って多くの場合「手段」ですよね。稀に「お金を稼ぐ」こと自体が「目的」になることはありますが、99%以上は「手段」だと思います。

だって、お金そのものには意味がないですからね。お金は交換のためのツールであり、そういう意味で価値があるのは交換して手に入れるモノそれ自体です。だから「お金を稼ぐ」ということで、それ自体が価値となるようなケース(ただただお金を稼ぎたいとか?)でない限り、それが「目的」になることはあり得ない。

で、私はそもそも「手段」に対してモチベーションを作るのが非常に苦手だということが分かったのです。


それがよく分かるのが旅行に対する自分の対応です。

私が旅行に行くとき「旅行に行く」ことそれ自体が「目的」です。(まぁ厳密にはもっと奥に無限の目的の連鎖があると考えられるのですが、それは無視します)

それで、旅行のために「準備」をするという行為は「手段」ですね。

実は私、「準備」というものがとても苦手なんです。できないわけではないです。やろうとすればちゃんとできる。でも「準備をしよう」という気持ちが全く湧かないのです。だから、いつも準備は出かける直前に行います。なんなら出かける直前にすら準備をしたくないので、本当は手ぶらで飛び出したいぐらい。

これはまさに「手段」に対してモチベーションが湧かない端的な例だと思います。


「お金を稼ぐ」に関しても全く一緒なんです。私が「お金を稼ぎたい」と思うとき、その思考の先には「もっと生活を楽にしたい」とか「欲しいものがある」とか「やりたいことがある」とか、そういう「目的」があります。

でも、その「目的」が如何に重要なものでも、そのために「手段」が必要で、その「手段」にそれなりの労力がかかる場合、どうしてもそれを選びたくないと思ってしまうんですよね。


逆に言えば、私が抵抗なく実行できている行為。例えばまさに「哲学チャンネル」などは、「手段」ではなく「目的」なんですよ。
(この辺りについては年末にアップするサブチャンネルの音声を聞いて欲しい)

普段している発信それ自体が「目的」で、そういった「目的」に直結した行為(または行為が目的そのもの)には俄然モチベーションが湧くのですね。

だから、仮に「哲学チャンネル」が「お金稼ぎ」のツールになってしまうと、それは「哲学チャンネル」がなんらかの「手段」に変化することであり、そうなったら私はこの活動をやめてしまうと思うんですよね。ほぼ確実に。(「やめてしまう」という表現は少し能動的すぎますね。モチベーションが湧かなくなって「やめざるを得ない」が正しい表現です)


この解釈がめちゃくちゃしっくりきたんです。

つまるところ私がこれまでの人生でしてきたことって「人生から手段的な行為を減らし、目的的な行為を増やしていく試み」だったわけです。

カントでいうところの定言命法。
「〇〇のために行為する」ではなく、「そう思ったから行為する」「ただ行為する」という行為を、人生の中でどれだけ増やしていけるか。もしかしたら、これが私の人生における大きなテーマだったのかもしれません。

そして、それが理解できた上で、今後の人生に関しても「行為=目的の人生」を模索し、生きていきたいなと強く思います。


ですから、私はお金に対して執着が無いわけではなく、ましてやお金を世俗的な誤謬のツールだと見做している聖者でもなんでもありません。

普通にもっとお金があったら良いなと思うし、稼げるもんならいくらでもお金を稼ぎたいし、それによってもっと楽をしたいし、贅沢しても良いかなとか思ったりもします。

でも、そのために頑張ることがどうしてもできない。そんな自分の性質に納得し(むしろ好き)ているとはいえ、資本主義の世の中においては完全に弱者ですよね。それは凄く感じます。

なので、出来たらやりたい活動だけをやっていたら「いつのまにか」お金持ちになっていたい。そんな夢見る10代のような想いをいまだに抱いている38歳のおじさんの独り言でした。

※ということで、この記事に関しても記事を書いて投稿するのが「目的」であり、この記事が何かのためになると言った「手段」ではありません。受け取る方が自分なりに解釈し、それが何かになれば良いなぁとは思ってますけども!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?