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『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より

まずはじめに、今回の『童貞。をプロデュース』の制作・公開の経緯において、加賀賢三さんを傷つけ、その後具体的な対応をしないまま時間を経過させてしまい、さらに周りの人まで巻き込み、多大なご迷惑・ご心配をおかけしたことを心より謝罪させていただきます。

2017年8月25日に池袋シネマ・ロサで起きた出来事の後、声明以外の満足な説明もせず長い時間が過ぎてしまったことを、お詫びいたします。
ここで、最初の加賀さんとの出会いから、先日加賀さんと2年ぶりに対面したこと、そして今思っていること等、私の瑕疵をなるべく詳細に時系列で記していこうと思っております。
一つずつの章で振り返り、必要な章は【後顧】として、本件に対する瑕疵やすれ違い、説明などを付け加えていきたいと思います。かなりの長文になってしまうことをお許しください。

1 加賀さんとの出会い
00年代半ば、私がバンタン映画映像学院で講師を務めていた頃、学生たちが制作した実習上映会を鑑賞する機会がありました。そこで印象的なアニメーション作品に出会います。他の上映作品と違い、強烈な個性、そして自身が「作り手」であることを強く意識した作風が心に残りました。監督した学生は「加賀賢三」。加賀さんとは、本人と同時に「加賀賢三作品」と出会ったことが最初となります。人物にも作品にも興味を惹かれたというのが第一印象でした。

その年の夏、調布映画祭へ観客として出かけた折、同じく足を運んでいた加賀さんと再会しました。私はバンタン映画映像学院で鑑賞した強烈な作品をすぐに思い出し声をかけ、映画祭後の飲み会では(後に『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』の出演者となる梅澤さんも一緒でした)賑やかに楽しく会話をしたのを覚えています。

加賀さんは私に「僕は童貞なんです」と言いました。

加賀さんより、5つ上の私の世代では「童貞」を告白をすることは非常にネガティブな要素として捉えられていましたが、ゼロ年代半ばはちょうど「童貞感」「童貞アピール」というサブカル的文脈が、ポジティブワードとして流行していました。その影響は音楽や文学、深夜ラジオ、映画にまで及んでおりました。自虐的な言葉を使いストレートに気持ちを吐露する行為の潔さと痛さ、「DT」などという言葉も生まれ、それらのことを肯定していくことが、当時のサブカルチャーの一つの文脈にありました。
私には彼がそのカルチャーの真ん中にいる若者として映ったのを覚えています。以降、加賀さんとはmixiでマイミクになり、そこからリンクを貼られていたブログ(彼の日記)を更新されるたびに読んでいました。

彼の日記には日常の何気ない出来事のほか、恋の話や童貞であることなど、赤裸々にオープンに綴られていました。加賀さんに対する私の興味は、私にない部分を持っているからだったのかもしれません。そしてどこか昔の自分を見ているようでもありました。

【後顧】

後述することになりますが、加賀さんと先日お会いした時、私のこういった加賀さんへの初期の記憶を「美化している」と指摘されましたが、実際の私の記憶と印象は前述のようなものであり、それに対して偽りはありません。ジェネレーションギャップを感じつつも同一性を感じていたことは事実です。今回の件で本作を「童貞を嘲笑する映画」との意見がSNSで散見されますが、制作者も時代もそのような意図はなく、逆に肯定する風潮であったことを記しておきます。


2 『童貞。をプロデュース』制作開始

『童貞。をプロデュース』制作は、第一回ガンダーラ映画祭の上映作品として依頼を受けたことが発端となります。ガンダーラ映画祭とは、イメージリングスのしまだゆきやすさん(故人)が中心となって始まった映画祭です。まずはじめに、しまださんと私の関係について記します。

しまだゆきやすさんはイメージリングスという自主上映・制作をしている団体の代表で、実験映画やセルフドキュメンタリー、AVといった当時映画館では上映されないような、刺激的な映像作品の上映イベントを企画する人でした。当時学生だった私にとって「映画には多様な可能性がある」と教えてくれた人でもあります。一作目の監督作品『あんにょんキムチ』を高く評価していただいたり、イメージリングス主催の上映会でも旧作を上映していただくなど、深く交流を持つことになります。しまださんのイメージリングスにはプロアマ問わず、多くの映画人が集まるトキワ荘のような「映画を好きで映画を信じる人」が毎日のように出入りしている場所でした。しまださんが西新宿に事務所を構えていた時代には日常的に通うなど、公私ともに本当によく可愛がっていただき、そこで出会った人々とは今でも深い付き合いをしている人もおります。

そういった状況の中で、しまださんからガンダーラ映画祭を開催すること、ついては私に監督として、30分の上映作品を出さないか?というお声がけをいただきました。

第一回ガンダーラ映画祭は、山下敦弘・しまだゆきやす・村上賢司・いまおかしんじ・森達也等、商業映画で活躍する監督たちが招集され、自由な表現形態で制作されたデジタルビデオ作品を上映する場として準備が進んでいました。映画祭のコンセプトは『探偵ナイトスクープ』のように各監督がカメラを持って「自分のガンダーラを探しに行く」というものです。様々な規定はありましたが、ドキュメンタリー作品で、作家性を自由に出していくルールでした。
私は依頼の話を聞いてすぐに、加賀さんの日記に書かれた恋の話を思い出し、一緒に出品作品を制作したい旨、連絡しました。加賀さんは私の話をじっくり聞き、一緒に制作することを承諾してくれました。そこで私は加賀さんを自宅に呼び、どのような作品を制作していくかについてコンセプトを説明しました。

【後顧】

“コンセプトの話し合い”からカメラは回ります。つまり、制作過程を記録し本編でも使用しております。その前に事前に電話で“一緒にやらないか”と伝えてあり、カメラを回しながら、お互いに話し合って作品の全体のトーンと方向性を決めていきました。そこで加賀さんは納得し、作品参加について前向きだと私は思っていました。

そして初期の打ち合わせ段階で、作品の大きな二つの軸「AVの撮影現場に行く」「好きな子に告白する」という話を共有しました。ここでの反省点は、本作の撮影趣旨が100パーセント加賀さんに伝わり、受け入れられていたかどうかをより注意深く確認するべきだったことだと思います。もっと踏み込み、同意書を作成するくらいの丁寧な確認が「撮る側」と「撮られる側」の関係性として必要だったかもしれません。その後、加賀さんは日常を記録した映像素材を、私のところへ持参してきてくれたりなどして「この企画を主体的に一緒に進めてくれているんだな」と思い、一切の疑問はありませんでした。映像素材の使用と企画の続行は、この時点では了解を得ていないと疑う理由はありませんでした。加賀さんも映像作家を目指す作り手なので、いわゆる「阿吽の呼吸」で物事が進んでいったというのが私の印象です。しかし加賀さんのインタビュー(後述する対話など)を読むにつけ、そうではなかったということは、今認識しております。


3 『童貞。をプロデュース』の内容

『童貞。をプロデュース』はDVD化も上映機会もないため、未見の方のために共有する前提情報として、簡単な内容を説明させていただきます。(一部の方には不愉快な内容が含まれるかと思いますが、この前提なしでは進められないのでご了承ください。)

<あらすじ>

引きこもりがちの自転車メッセンジャーの若者・加賀賢三は、長年想いを寄せる女性に気持ちを伝えられないでいた。ドキュメンタリー監督・松江哲明は、彼が童貞であるが故の自信のなさが、女性に対する勇気を阻んでいたと考える。そこで松江哲明は加賀に二つの提案をする。一つは「AVの撮影現場へ行って、女性に対する恐怖心を克服すること」、そしてもう一つはその後「片思いに終止符を打つべく、勇気を出して意中の女性に告白すること」そして……

悶々とする青年の「克服」と「実行」という構成が『童貞。をプロデュース(1と呼ばれる加賀さんのパート)』 (約32分)の簡単な骨子です。

加賀さん自身によって撮影された自撮りの日常風景と、加賀さんと私のやりとりを中心に監督である松江哲明の編集で“切り取った”作品です。

制作・公開当時はドキュメンタリー映画と銘打って発表しましたが、私がこの時点まで考えてきたドキュメンタリーというものへの解釈を経ての銘打ち、発表でした。
ドキュメンタリー=「真実の記録」的な流れと思いきやフェイク混じりのエンタメ作品であるという、現在の私の一つの作風でもあります。

映画作りの定義、大事にしていることは作り手によって、万別あると思います。私が今でも大事にしていることとは、分かりやすく言えば「フェイクドキュメンタリー」という手法であり、ドキュメンタリーを装ったドラマ作品のことで、ノンフィクション(現実)とフィクション(虚構)の狭間ギリギリを意識した表現手法を用いることが多く、その境界が融解することーそうした瞬間に作り手として、賭けていました。

作品の本質(「フェイク」)と宣伝文句(「ドキュメンタリー」)に差があったのは「これは本当なのか、嘘なのか」という部分を観客に委ね、それを含めて作品を楽しんで欲しい、という思いがありました。
当時『ドキュメンタリーは嘘をつく』をテレビでやっていた時代でもあり、時代背景としてはドキュメンタリーのエンターテインメント性、バラエティー性(多様性)がスクリーンで表現され始めた頃です。「タネも仕掛けもある」のに「タネも仕掛けもありません」と言ってマジックを始めるようなこと、さらには「あなたがタネと仕掛けを探してみてください」という作品の思想背景でした。


4 「とあるAVの撮影現場」シーン

□「とあるAVの撮影現場」シーンを撮影する前

加賀さんは本作品用にと自撮りの素材を何本も私に見せてくれ、その度に本作の方向性についての指示(演出)を行っていました。そこには彼の日常が映し出されており、クリスマスに友人と語らう様子や、アルバイトの自転車メッセンジャーで苦戦する姿、彼女を思って歌を歌うなど、彼独自の視点で撮影された映像がとても面白いと感じました。日記同様「童貞の自意識」が表現されていました。もしその撮影現場に私がいたとしても、そういった彼独自の視点を持った映像は撮影できないです。自撮りによる加賀さんならではの個性と視点が映し出されていたからこそ、私には魅力的に見えました。

2006年の年明けに加賀さんの自宅で行われた新年会では(作品でも使用)私も参加し、加賀さんから意中の女性とデートの報告や、意中の女性と一緒に観た映画の感想などを共有し、私と加賀さん二人の間にある関係性はどんどん深まり、良好なものとして制作が進んでいました。そう、思い込んでいました。

【後顧】

私は加賀さんと一緒に映画を制作をしている仲間として、良好な関係を築いていると感じていたことは、当時を振り返った今でも良き思い出の一つとなっています。共同で映画を制作している時間、それ以外の一緒に過ごしている時間は自分にとっては忘れがたい思い出で、とてもキラキラした時間でした。
先日(後述の2019年12月31日)加賀さんにお会いした際「それは綺麗事だ」「記憶の美化だ」と言われましたが、私の中では今でもこの気持ちは変わっていません。

しかしよくよく振り返ってみれば、出会いは、加賀さんはバンタン映画映像学院の学生であり、私は同校の講師という立場であったことをもっと考慮すべきでした。彼にとって私は映画制作を共に行う“同等の仲間”ではなく、先達として「支配的な存在」と感じていたようです。そのようなことを思いつきもしなかった私が、加賀さんにかけた言葉や提案の数々を、支配的な表現として受け取られていたことについて、今では後悔の念を抱かずにはいられません。歩み寄りがなかったと捉えられるとしたら、そういう関係性の大前提の齟齬があったからなのかもしれないと猛省しております。
一方、ガジェット通信の藤本洋輔さんによるインタビュー記事に出ていた加賀さんの【普通に考えたら、何か話をするときって、こちらが意見を呑んだら、相手も譲歩してくれるだろうと思うじゃないですか。そうすることで、人の関係性って成り立つはずなので。】という発言についてですが、当時一度もそのようなことを彼の口から聞いたこともなく、私とは関係性構築の方法論が違うんだと気づかされました。また、加賀さんが言う『普通』と私が思う『普通』の乖離に大きく悩み考えさせられ、後述するような決意のきっかけとなりました。

□「とあるAVの撮影現場」シーンの撮影前日

AVの撮影現場を訪れる前日、イメージリングスの事務所にて、私は加賀さんから相談したいことがある、との連絡を受けました。その場(イメージリングス)にはしまださんのほか、編集作業をしている別のスタッフが1人同室にいました。

加賀さんの相談は(作品内でも発せられていますが)、バイトを直前にクビになったりなどし、撮影が始まって以降、自分が動いていることが裏目裏目になってしまっていることについてでした。そこでしばし私達は談笑した後、その場を盛り上げようと加賀さんに「明日の撮影を実行するかしないか、コイントスで決めよう」と提案しました。作中の該当シーンでは、コイントスの結果が明示されるギリギリのタイミングで次のカットへ切り替わってAVの撮影現場当日へ繋がっていますが、実際の撮影現場ではコイントスは「撮影をやめる」という結果を示していました。しかし企画内容として私は「AVの撮影現場へ行くシーン」は絶対撮ろうと決めていたこと、コイントスはその場の雰囲気を盛り上げるための演出手法の一つでしたので、私は「やっぱり明日は撮影現場へ行こう」と説得しました。そして翌日。加賀さんは約束通り現場(カンパニー松尾さんの事務所)に来てくれました。

ご協力いただいたカンパニー松尾さんには、以前より撮影について詳細(上映予定と作品趣旨、撮影内容について)を伝えていました。そして撮影内容の上限行為として「性交は行わないが、口淫はあるかもしれない」という可能性をお伝えしました。それは本作へ協力していただく女優さん事務所と、松尾さん制作サイドとの取り決めが必要だからです。
実際のAV現場を間借りして私の「とあるAVの撮影現場」のシーンを撮影するわけなので、その女優さんは実際のAV現場で契約した女優さんになります。
なので、プラスしてこちらの撮影にも協力してもらうにはきちんと取り決めが必要です。
その取り決めが「脱ぎなし」「絡みなし」「顔出しなし」でした。
そして「ストップワード」についても撮影前に、4者で共有しました。

「ストップワード」とは、現場で起こる出来事について、本当に拒否したい状況・止めて欲しい状況が訪れた際に発する単語のことです。AVの撮影現場ではローカルルールとして広く使用されています。作品の性質上「嫌がっているように見える演出」と「本当に嫌がっている現実」をうまく分けるために役者さんにお伝えするもので、例えば女優さんがお芝居で「嫌よ」「やめて」といっても、芝居か本心なのか判断つきません。なので「その流れで発せられない」ありえない言葉を「ストップワード」として設定し、その警報の効力は絶対的で、発せられたら何があっても撮影現場の全てはストップします。

私は今回の現場においてこの「ストップワード」を、「お弁当」にしますと決めてお伝えしました。

【後顧】

前述しましたが、虚実の微妙な狭間をゆく作風と、(直接担任する立場にはありませんでしたが)“講師と学生”という関係性(立場の違い)のもと、こういった私の演出法の提案が、加賀さんにとって支配的に機能していったことについて、本意ではなかったというのが実際の私の思いです。しかし加賀さんにとって私の演出法が支配的な命令として機能した、という主張について否定することは出来ません。彼と私が演出意図について共有したつもりでしたが、共有できていなかったことは、(今更ではありますが)今日までの加賀さんの主張に従って事実として受け入れざるを得ません。大変申し訳ございませんでした。

また「とあるAVの撮影現場」の撮影内容の上限行為として「口淫の可能性」を加賀さんに明示的に伝えないという演出法を選択したことが、結果として大変大きな問題に繋がったことについて、後悔の念を持たずにはいられません。「明日、あらかじめシャワー浴びてきてね」「もしかしたら絡み(セックス)のシーンあるかもよ」と言葉で伝えました。
ここでは「口淫の可能性」ではなく「セックスの可能性」を伝えていました。

「とあるAVの撮影現場」の監督役であるカンパニー松尾さんには「最大で口淫の可能性があること」を伝えて、加賀さんには「とあるAVの撮影現場」の前日に「松尾さんはちゃんとした人だからスーツで来てね」と緊張感を煽るような演出をしております(加賀さんがスーツ姿なのはこのような理由です)。つまり松尾さんに言っている情報と、加賀さんに言っている情報は違っています。それは“手法”であり、松尾さんとは“手法”である事を共有できていて、加賀さんとは出来ていなかったということになります。
『緊張する童貞 VS ベテランAV監督』という関係性の図式を演出しました。それを“手法”と捉えるか“圧力”と捉えるかの問題ですが、今は当事者が“圧力”と捉え傷ついているという現実があることを自覚いたしました。
加賀さんには「ストップワード」の「お弁当」という事をお伝えしていました。先日お会いした際に「ストップワード」と尋ねたところ「覚えていない」という返答を受けました。松尾さんは「お弁当」という単語まではっきりと覚えておりました。

□「とあるAVの撮影現場」シーンの撮影当日

本作中で加賀さんが参加した「とあるAVの撮影現場」シーンでの私の演出意図は、“とあるAVの撮影現場に一日ADとして参加した青年”役といったものでした。同じシーンに登場したのは、“とあるAV監督”役のカンパニー松尾さんと“その現場にいるAV女優”役の女優さんです。カンパニー松尾さんの作品撮影現場をそのままお借りし、協力していただいた上での本作撮影だったため、二重構造(イレコ構造)の作りになっています。松尾さんの作品内のシーンではないため「とあるAV」という表現を使っております。
加賀さんによる、慣れない手つきの小道具・制作備品の準備風景を経て、タクシー内での松尾さんとの会話シーンには、覇気のない青年の迷いと、人生の厳しさと優しさを語るAV監督の人生の経験値の違いのコントラストが描かれていています。

ホテル到着後の撮影では、加賀さんはスタッフ兼エキストラ(スチール男優役)を体験している若者として撮影していきました。通常、スチールには現場スタッフ(AD等)がエキストラ(内トラといいます)として、参加します。

□︎当該シーンの撮影について

加賀さんが「性的な表現を強要された」として指摘しているシーンとは、作品内では下記のようになります。

とあるAV現場の監督が青年加賀に「シャワー浴びてきて」と声がけするところから始まります。AV業界のローカルルールで「シャワーを浴びる=本番行為をする」という意味があります。青年加賀は拒否し、ドキュメンタリー監督と一緒に室外の廊下へ出て作戦会議をします。震える青年に激励のビンタを飛ばし、部屋に戻った青年加賀は、AV女優の積極的な手助けやその場にいたスタッフ(松江・松尾)がズボンを下ろすという珍場面の後、口淫シーンへと続きます。ここでも口淫行為への拒否行動を見せた青年加賀でしたが、女優は実行し、口淫は数秒触れる程度で終わります。その後、勃起していることを指摘され、AV監督がじゃれて抱きつき、この場面は終わります。

以上の撮影において、さらに詳しく詳細を書きます。
物語の演出として以下のことがありました。

1) 『童貞。をプロデュース』企画の初期段階で「AVの撮影現場へ行く」ということがコンセプトの一つであり共有されていた。

2) 加賀さんには前日に「シャワー浴びてきて」「本番行為あるかもよ」と伝え、松尾さんには「上限で口淫行為まで(それ以上はしない)」と取り決めしていた。また、出演者の安全性担保として「ストップワード」(=お弁当)を現場参加者全員で共有していた。

3) 「シャワー浴びてきて」の指示は劇中の台詞である(※性交行為はしないことを撮影前に現場サイドには確認済み、エスカレートしたり現場のノリでセックスを撮影することは絶対にない)。

4) 松江作品中に登場する「AV監督」「AV女優」「青年加賀」「ドキュメンタリー監督」は全て実際の松尾さんのAV作品用のものではなく、あくまでも現場を間借りして撮影した独立したシーンである。リアルと虚構の境界線が観客に見えにくくするという意図があります。

「カンパニー松尾の撮影現場に、脱ニートの童貞青年が放り込まれたぞ!女優もいるし、一体何が起こるんだ?」

というシークエンスです。その期待を想起させることが、この「本職をキャスティングする」という手法の持つ効果です。

実際の松尾さんは、シャワーや性行為を強要しませんし、嫌がる若者を背後から押さえつけたりもしません。横柄な発言で業界の先輩風を吹かせる話もしません。カレーとバイクを愛する「普通」に優しい社会人です。

各出演者の実際に持っている属性や雰囲気を拝借して、再構築してフェイクドキュメンタリーとして作り上げました。ここで重要なのは、この「フェイク」の“約束事の共有”が完全に全て行われていたかどうかということになりますが、加賀さんの主張では、行われていないということになるので、責任者たる監督の私に落ち度があり、確認や詰めが甘かったと痛感しております。

“約束事の共有”があったと思った幾つかの理由は「青年加賀にドキュメンタリー監督がビンタする」シーンでは、加賀さんは現場で「今のビンタは音が小さかったので、もう一度撮り直してもいいですよ」と私に提案しました。彼が作品の演出意図について理解している発言であったと認識しています。結局、現場判断で再度ビンタはせず、後で音を足しました。
そして本人もブログで書いている通り、加賀さんはこの撮影の前に、AV撮影の現場にスタッフとして参加したり、モザイクをつけるアルバイトをしていたと書いております。
つまりAV現場の雰囲気や習慣などは、一切行ったことがない人よりは知っていたことになります。ですので「AV女優は汚い」「女性器は見たことない(テロップ表現)」というのは、作品上の“セリフ”と言葉になります。前者の「AV女優は汚い」という“セリフ”は、作品冒頭のコタツのシーンでの加賀さんが言った「風俗嬢は汚い」という“セリフ”を、繰り返すことを私が現場で思いつき指示しました。

現場での私からの提案、加賀さんのそれを受けての応えには、“約束事の共有”を感じる瞬間はとても多くありました。

そして一つだけ、観た方には分かりますが、加賀さんが主張したりSNSやメディアで拡散されているような「やめましょうと言っているのに羽交い締めにされて、無理やり口淫されたシーン」というのは一切ございません。
作品上では嫌がる青年加賀が、非常階段でのやりとりとビンタの撮影のあと、嫌々ながらホテルの部屋に戻り直立している状態で、パンツを降ろされ、女優さんから口淫を受けるのを十数秒撮影しました。その十数秒で加賀さんが「やめましょう」と身体を離すところで、松尾さんが後ろからじゃれて抱きつき、そこで撮影は終わる、という流れになります。
「口淫シーン」も「やめましょう」という言葉も「羽交い締め(とされる)シーン」もありますが(時系列ではこの順番です)、加賀さんが主張されている「やめましょうと言っているのに、羽交い締めされて、やられる」というシーンはございません。
この「口淫シーン」は「ストップワード」が出れば、そこで必ず止まっていました。


5) 作風として「現実とフィクションの境界を“曖昧”にした手法」を用いている。

曖昧な手法の持つリアリティ(現実味)が映像作品に与える効果については、ドキュメンタリーだけでなく様々な映像メディアで体験しているかと思います。この手法について詳細に話すことは手品師が手品の仕掛けを観客に見せてしまうのと同じ興ざめした行為であると思っていますが、創作表現において「リアル」と「リアリティ」は映像で視認できる範囲を超えて存在しています。それの種明かしは監督としてここではしません。近いうちに別の場所で話します。

□当該シーンの撮影後

私は加賀さんが、加賀さん自身が映像作家の1人であることを前提とし今回の企画を進めてきたつもりでした。上記シーンを撮影した直後も加賀さんとの撮影は続き、私が加賀さんの日記に載せてあった印象的な写真(ベンチに書かれた「野ブタ。パワー注入」という言葉)を撮影してきてほしい旨お願いしたところ、加賀さんはその日のうちに(赤坂から小岩に移動して)撮影してきてくれました。さらにその日の夜に渋谷に集合し「好きな子に告白するシーン」を撮影することになりました。この時は「好きな子役」の女性(松江の知人)にお願いし実際に撮影しましたが、満足のいくリアルな表現に繋がらなかったと判断しました。この後、好きな人役の女性と三人で夕飯(焼き鳥)を食べに行き、加賀さんが「犬に話しかけるシーン」を撮影し解散しました。「とあるAVの撮影現場」のシーン以降も私の思う良好な関係性で撮影は続行しておりました。(先日その時の女性に話を伺ったところ、その時の状況を「詳しく証言できる」ほど記憶していました。)

後日改めて「本当に加賀さんが好きだった女性」で撮影したい旨、加賀さんに相談しました。そしてその方には実際にご協力いただき、出演していただきました。本編ラストカットです。(彼女には企画意図を説明し「好きな子役として出演してほしい」と依頼して快諾いただいた経緯があります。「本当の告白ではなくセリフによるお芝居」という意味です。)

本作のクライマックスとなる「青年加賀が好きな子に告白する」シーンは、告白するかしないかを観客の鑑賞体験にゆだねる形で直前でカット、加賀さんの弾き語り(劇中で歌われる『穴奴隷』という歌)と共にエンドクレジットへと向かいます。ガンダーラ映画祭に出品したバージョンはここで作品が終わります。

【後顧】

加賀さんにとって彼と私の関係は、私が思っていた「了解の取れた共犯関係ではなかった」ことが、今回の一連の出来事を経てようやく理解できました。
(注:共犯関係という言葉は映画業界でいう“約束事を共有している”仲間の意味であり、“共に犯罪を行う仲間”という意味ではありません。)

意識の共有と目的の明確化が不十分であったこと、それによって加賀さんに多大なる精神的負荷を与えてしまったことに、今改めて反省と後悔の念を抱かずにいられません。

彼が映像制作を学ぶ専門学校の学生であったことに「映像制作というものの前提が、当然私と同じ理解であろう」という慢心があったのだと思います。このことが加賀さんに「強要された」という思いを感じさせた、最も大きな齟齬であったと思います。一つ一つの了解を丁寧に行う作業をしなければいけなかったという情けない思いでいっぱいです。


5 『童貞。をプロデュース』ガンダーラ映画祭での上映

映画祭の上映前、宣伝の一環として参加者による文章を加賀さんにお願いしました。加賀さんが書いてきた最初の文章は、私に対して何処か遠慮がちな内容に感じられたので、私は「もっと松江が悪者であるような印象で書いてほしい」とお願いしました。本作にとって私が悪者に見えるという“アングル”が、映画の内容的に観客により楽しんでもらえると思ったからです。それから本作の編集を経て、一旦完成した物を加賀さんにチェックしてもらい、その後、完成した作品をしまださんにお預けしました。

2006年1月に第一回ガンダーラ映画祭が下北沢LA CAMERAにて開催されます。加賀さんは初日から参加してくれました。

キャパシティ50人程度の会場で、本作上映には当初十数人の観客が訪れていたのですが、口コミで評判が広がり上映を重ねるたびに観客数がどんどん伸びていきました。加速度的に動員数が増え、会場のキャパシティーをオーバーするほどでした。

この映画祭の上映で私が最も印象的だった出来事があります。その日は雪が降っていました。客席には加賀さんの好きな女性(劇中同一人物)が来ていました。上映後、彼女は私と加賀さんに感想を伝えず、すぐに帰って行きました。作品を観て、加賀さんの想いに気づいたんだと思います。

加賀さんは「彼女に気づかれました。どうしましょう」と動揺した様子で私に相談にきました。あくまでも彼女は「お芝居(フリ)」での撮影であったため、他のシーンを見て加賀さんの本心を知ることになりました。
私は「ここまできたら本当に告白するしかない」と言いました。加賀さんは彼女のあとを追って傘もささずに雪の中を駆け出しました。降りしきる雪の中、一心不乱に下北沢駅に向かって追いかけていく加賀さんの背中を、今でも鮮明に覚えております。
そして後に加賀さんから、彼女と本当に付き合うことになった、と連絡を受けました。当時の私は、虚構から始まった物語が現実になった奇跡に震えたのを覚えております。私の中では今でも素敵な記憶ですし、現在の虚構と現実の境界を探るという作風は、この体験が大きかったのかもしれません。本当に私の人生で忘れられない出来事でした。

映画祭後も、私と加賀さんの交流は続きました。

加賀さんは私の監督するホラー作品の現場にも参加し、私が編集を担当した『ドキュメンタリーは嘘をつく』にも出演してくれました(出演シーンは全カットされましたが、クレジットでは「協力」として名前が入っています)。私の映画上映会にも足を運んでくれましたし、映画仲間が集まる飲み会の席でも一緒になるなど交流は続きました。
「童貞アーティスト」という名前で出演していた、加賀さんの監督作品の上映会に私とカンパニー松尾さんが呼ばれて、ゲストとしてトークショーに出たこともあります。

『童貞。をプロデュース』に出ていた加賀さん、として紹介されるイベントにいくつも出ていたし、大阪、新潟などの地方上映にも出演者として一緒に参加してくれていました。
こういった出来事の数々から、私は加賀さんとは“講師と学生”という関係ではなく、“良き映画仲間”であるとの認識したのでした。

この時期のことを加賀さんは、ガジェット通信のインタビューで【松江さんのいいなりだった時期】と答えていましたが、私にはまったくその意識はありませんでした。 加賀さんの上映会に「ゲストに呼べ」と言ったこともなく、呼んでくれたから参加したのです。

前述したホラー作品のロケ地探しの縁で、加賀さんから梅澤さんを改めて紹介してもらいました。加賀さん、梅澤さんの両方とも、このホラー作品には出演しています。この出会いは第二回ガンダーラ映画祭に向けた『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』の制作に繋がるきっかけとなりました。ちなみに2では、加賀さんは梅澤さんを紹介するシーンとして冒頭に出演し、加賀さんに音楽を担当してもらいました。

音楽担当の名前としてクレジットしているのは「加賀賢三」ではなく「山口美甘子」となっています。クレジット表記で同じ名前が頻出するのがあまり良くないと思った私は、何か別名義の表記にできないか、と思いました。名義を変えることは、加賀さんに了承をとっております。というより、本名が検索ワードに引っかかることで家族バレしたと『童貞。をプロデュース2』内でも言っているので、クレジット変更は本人の希望と、私の配慮でした。

そこで、加賀さんと私が共通して大のお気に入りだった小説『グミ・チョコレート・パイン』のヒロインの名前を拝借することを思いつきました。確かに私は「山口美甘子」は事後承諾でしたが、「山口美甘子」という名前だったら喜んでくれるだろうという思いでした。『グミ・チョコ』の作者からも喜んでいただきました。これはいわゆる制作者の“遊び”であり“オマージュ”です。
他、ガジェット通信の藤本洋輔さんによるインタビュー記事に書かれている様々なことについても説明できますが、後述の理由につき、ここでは割愛させていただきます。

【後顧】

第一回ガンダーラ映画祭用の文章で私に遠慮がちな文章を用意していたこと、映画祭でのリアル告白の様子に感動したこと、その後の交流の様子から、私は加賀さんとは良好な関係での交流ができていると疑いを持ちませんでした。『童貞。をプロデュース』上映後も私に対して否定的な態度や発言もなく、また私を避けるような行為も見受けられませんでした。後に加賀さんは口淫シーンについてのポエム(当時、加賀さんのブログに投稿)しており、その内容が行為に対して肯定的なロマンチックな詞・表現だったので、まさかこの撮影でこれほど深い傷を受けていたとは気づきもしませんでした。私たちはあの時、映画制作仲間として同じ時間・同じ空間を過ごしていると思っていました。しかし加賀さんの当時も現在も、本心は私とは全く異なった状態にあったことを、今回(2019年12月31日)お会いして話されました。本当にショックでした。私にとっては良い思い出として記憶されていたことまでもが、加賀さんには【いいなりの時期】だったのです。私はまるで「いじめている自覚のないいじめっ子」だったのか、と気づかされました。当時加賀さんを思いやる対話ができていなかったことを、今でもこれからも深く思いを巡らせて、一生向き合っていこうと思っております。


6 『童貞。をプロデュース』その後の展開

□池袋シネマ・ロサでの初めての上映

『童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー』のラストで「映画館のスクリーンを使用」するシーンが必要となり、私は(後に配給担当となる)直井卓俊さんに相談をしたところ、池袋シネマ・ロサを紹介してもらいました。劇場からは撮影場所協力だけでなく「作品が完成したら、ぜひ観せてほしい」と言われていました。この頃から劇場上映の話が出てきたと記憶しています。第二回ガンダーラ映画祭の後、1と2をつなげたバージョン(1の直後にインターミッション映像を新たに追加し、2を少し長い物に編集し直しています。)も完成し、池袋シネマ・ロサにて公開することが決まりました。

池袋シネマ・ロサ公開が決定し、加賀さんにインターミッション映像の撮影や、劇場公開用の特別映像、予告編の撮影参加を依頼した際、加賀さんは現場に来てくれていました。しかしいま思い返せば、時折、加賀さんの上映協力への姿勢に揺れが出ている様子も記憶しています。私は加賀さんの言動が時によって変わるため本意がどこにあるか分かりかねましたが、結果として加賀さんも公開の準備に参加していたので、劇場公開について加賀さんも概ね好意的な気持ちでいると、私は解釈していました。そう解釈するに至る理由はいろいろ具体的な出来事や発言がありますが、ここでは後述の理由で割愛します。

池袋シネマ・ロサでの上映は、ものすごい盛況ぶりでした。初日こそ満員ではありませんでしたが、日を追うごとに観客動員数が伸びていきました。平日でもその伸びは変わらず、右肩上がりで伸びていきました。当時はmixiの日記が口コミの主流で、たくさんの人が感想を書いてくれていました。そのほとんどが作品を支持してくれていました。

上映の期間中、加賀さんは何度も劇場に足を運び、舞台挨拶に登壇してくれました。お客さんと握手を交わしたり、サインしたり、話をするなど、積極的に上映活動に関わってくれている姿を見て嬉しい気持ちになりました。一つの映画が自分の手を離れてムーブオーバーを繰り返して大きくなっていく高揚感に、関係者一同で身震いしていたのを覚えております。この勢いのあるムーブメントに、加賀さんも乗ってくれていると感じていました。

この劇場公開におけるポジティブな反応を見て、私や配給担当は「この作品はもっと広く支持され、公開できるのではないか」と考えました。そして実際に次々と、上映オファーが来ました。

ところがロサの上映最終日(ガジェット通信の記事にも記載有り)、飲み会の席で加賀さんと大喧嘩をすることになります。加賀さんから「今後の上映中止」との申し出を受けたのです。私たちは作品の手ごたえを感じ、加賀さんもそれを好意的に思ってくれていると感じていた矢先のことです。当時の私は大いに戸惑い動揺し、加賀さんとその場ですごい口論に発展しました。加賀さんは「ガンダーラ映画祭より広めないでほしい。制作当初の約束を守ってほしい」と言いました。その場には直井さん、勝村さん(当時のロサ支配人)や、映画仲間が同席していましたが、最後まで話の折り合いがつかず、加賀さんの主張の真意が全く理解できず、私は「もう加賀とはコミュニケーションを取るのをやめるので、直井さんと話してほしい」と言い、加賀さんからの連絡を受けないことにしました。

【後顧】

当時の私は加賀さんがなぜ今後の上映について否定的なのか、本当に全く理解できませんでした。作品が世の中に大きく羽ばたこうとする姿は、まさに「たくさんの人に作品を観てもらいたい」という映画制作者の夢そのものです。そして上映を支える副次的なイベントに協力していた加賀さんの姿にも、私と同じ志を感じていました。現在の加賀さんは当時の心境を観客からの好意的な感想も苦しかったと振り返っていますが、私たちにはその様子を全く感じ取ることができませんでしたし、実際に加賀さんが喜んでいたという話も耳にしていました。例えば「童貞のイメージをつけられたくない」と言われれば理解はできます。しかし、そのような具体的な理由の発言はなく、「映画が広まることを止める映画人」というのが理解できませんでした。

結果として私は、熱狂的な上映フィーバーの中で(都内ミニシアターの延長上映や地方の映画館公開が決定していました)彼の気持ちに寄り添う努力を怠ったことになります。大喧嘩した時、もっとよく彼の本意を掘り下げて聞くべきでしたが、話し合いをするというより、お互いの主張をただ怒鳴ってぶつけ合うだけの状況が朝まで続きました。当時の私は、加賀さんを説得することも、上映続行に納得してもらうこともできませんでした。

劇場と配給は、上映権のある監督に判断を求めます。そこで私はGOを出しました。これは、映画の出演者に上映権や上映形態について、作り手が逐一お伺いを立てない、ということは慣例・常識です。とはいえ、小さな、ごく少数で作った作品であり、お互いに納得いくまで話し合うべきでした。

(ちなみに、加賀さんが「童貞アーティスト」として名乗った彼の監督作品のイベントに私と松尾さんがゲストで呼ばれたのはこの後のことです。そこには【映画『童貞。をプロデュース』に「童貞」として出演、前代未聞の童貞アーティストとして今話題騒然の加賀賢三。】と書かれていました。)

□その後の展開について

その後、加賀さんが私に電話をかけてきました。私は加賀さんの電話は出ないと決めていたので、加賀さんは友人の携帯電話を使って連絡してきたとのことでした。(この電話での会話は“編集”されYouTubeでアップロードされています。)ここで加賀さんの主張に同調する仲間がいることがわかりました。

加賀さんは、本作のDVD化の話について聞いたと連絡をしてきました。大喧嘩後から加賀さんとはいくつかの上映会ツアーでしか話していなかったので、この時の電話でも話し合いの進展はありませんでした。(別の問題でDVD化は無くなります。)

その後、池袋シネマ・ロサでは周年上映イベントを続けていました。それ以外の場所での上映会や、海外の上映会もありました。私は本作の監督、加賀さんは出演者という立場で考えていましたので、上映会ごとに加賀さんの許可を取る連絡はしませんでした。(先にも書きましたが、作品上映の許可について、出演者に許諾を取る、という行為は通常行いません。)

その間、加賀さんとは直接の連絡を取らないまま時が経ちましたが、友人・知人など私の周辺にいる人たちから“加賀さんが私に会いたがっている”という話や、“『童貞。をプロデュース』の感想を伝えたら喜んでいた”など、間接的に加賀さんの思いを感じ取れるような言葉を耳にしていました。ある上映会では、加賀さんの友人が「加賀さんからのメッセージです」と歌を代唱して、現場が暖かい拍手に包まれたこともあります。ここに加賀さんを呼べばよかったなと心から思いましたし、本当に嬉しかったです。

2015年夏、私は国会前デモの様子を見に行きました。そこで偶然に加賀さんと再会しました。加賀さんは私が結婚したことを知っていて「結婚おめでとうございます」と言い、極私的な話について、いくつかの言葉を交わしました。『童貞。をプロデュース』についてお互いの関係がこじれていると思っていたので、素直に本当に嬉しかったのを覚えています。そのあとの加賀さんのTwitterには「やっと松江さんにお祝いの言葉が言えた」といった趣旨のツイートがされていること、周囲の人たちから「二人とも仲直りしてください」との声がけをいただいていたこともあり、加賀さんとの関係修復の可能性を感じました。

池袋シネマ・ロサでのイベント上映は10周年を迎えるという相談が、直井さんから来ました。10周年でこのイベント上映は最後にしようということを私たちは決めていましたので、舞台挨拶に加賀さんと梅澤さんに来てもらえないかと考えました。
直井さんに相談すると、梅澤さん経由で加賀さんに連絡してみましょう、と言ってくれ、加賀さんは来てくれる、との返答を受けました。私は謝礼をお渡ししたかったので、加賀さんに「印鑑を持ってきてほしい」という事務的な連絡をしたかったのですが(謝礼を渡す時に領収書に印鑑が必要なため)、何度かけても加賀さんにはつながりませんでした。(「松江さんから鬼のように電話が来ていた」と加賀さんが言っていたのはこのことです。)梅澤さんに加賀さんがなぜ電話に出ないのか?と聞いたりもしましたが、ついに連絡がつながることはありませんでした。それでも「当日劇場に行く」という約束は取り付けていましたので、実際に謝礼の準備をしていました。

【後顧】

今現在も、様々なことを振り返っています。

どうしてこうなってしまったのか。

私にとって決定的なことがありました。加賀さんがブログで、この映画の演出をこと細かくシーンごとに「ウソ」である「ヤラセ」であると書き連ねました。私はそれを読んでいましたが、複雑な思いを抱きました。

私には「映画の解釈は観客に委ねるべきものであって、作り手が決めるものではない」という考えがあるからです。映画を制作するのは私たち制作者ですが、完成させてくれるのは観客のみなさんです。

加賀さんのブログが、その観客の“権利”に踏み込んだのを見て、「映画と観客」の絶対的関係性の考え方が、決定的に違うと思った出来事です。

私の記憶する加賀さんと、時間とともに変容していく加賀さんの差異に戸惑いを覚えました。そして、国会前デモで「おめでとう」と言ってくれた加賀さん、それを「社交辞令」と記事で公開する加賀さん……。
この時、私の印象は、この言動の一致していない様も含めて、加賀さんらしいとさえ思ってました。そう思うことで自分を納得させていたのかもしれません。

私なりに、選択肢を選んできたつもりです。しかし、後述のロサでの出来事のようなことが結局は起きてしまいました。

連絡を取らないまま過ごした日々について、今振り返ると周りの方からたくさんのチャンス・アドバイスをいただいておりました。加賀さんの様子を伝えてくれていた方々、仲直りを提案してくれた方々、その優しさは感じておりましたが、結局、行動や現象として、後述の、あのような事態になってしまったことは、本当に申し訳ありませんでした。

そして、そこまで加賀さんを追い詰めていたことも今では猛省しております。

どこでボタンを掛け違えてしまったのか……。一生かけて考えていこうと思っております。


7 『童貞。をプロデュース』2017年8月25日のこと

イベント当日は客席でみなさんと一緒に、本作を観ました。エンドクレジットの後、私はステージ脇へと移動し、そこに加賀さんもいました。国会前デモ以来の再会となります。

私と加賀さんは、握手を交わしました。この後、私たちは舞台挨拶へと出て行きます。その後の様子は、いろんな人のYouTubeのアップロード動画で観た方もいると思います。

加賀さんは登壇後、「今日は許しに来た」と自ら下半身を露出して、私の髪を掴み、「あの時と同じことをしろ」とその場で、私が加賀さんへ口淫することを求めました。正直「同じこと」の意味がよくわからず、なぜ、加賀さんが脱いでいるのか理解することができませんでした。

そして私は、加賀さんに「裏へ行こう」または「ここ(客前)で話すことじゃない」という趣旨の発言をしました。これは前述のような「観客に委ねる」というスタンスで映画を作っていることもあり、何より上映後のお客さんのそれぞれの気持ちは、とても大切な映画的な体験です。舞台挨拶も含め、観客の唯一無二の時間だと考えているからです。

【後顧】

重要なことは、映画館において観客の前で下半身露出や暴力行為を行うことはいけないことなのです。お金を払い、対価として安全が確保された状態で、鑑賞体験を提供するのが劇場です。この時起きた出来事は、劇場と観客の関係性を大きく逸脱した行動であり、決して許されることではありません。

池袋シネマ・ロサは、『童貞。をプロデュース』が10年間歴史を刻み続けてきた大切な場所でした。舞台上に立つ私に見えているお客さんの姿は、その日実際にいる人だけでなく10年間のお客さんの姿が積み重なった、重層的な光景でした。
だから「この映画を観て笑った人も同罪」、その後の「沈黙する映画関係者も同罪」との発言には今でも同意できません。観客には、ルールの中で、どのような感想や感情表現をする自由も等しくあります。

ここで強く言っておきたいのは、「観たことが罪になるような映画はありません」。
観て生まれた情動は全て個々の観客の自由であり、何にも制限されてはいけないと思っております。例え制作者や出演者が全否定しても観客が罪になるということはありません。

「映画制作者は観客に観客であること以上の記号を求めてはいけない」という劇場論という考え方に基づいても、許しがたいことだと思っております。映画の鑑賞体験や感想は作り手の意図を超えているものであり、その方向性を制作者は“強要”してはいけないのです。

もう事が起こってしまった以上、楽しい時間はなくなってしまいました。とにかく観客の前でして良いことと悪いこと、劇場でして良いことと悪いことの線引きは守り抜こうと思いました。しかし出来ませんでした。この気持ちは今でも変わりません。今までやこれからの“ロサの舞台”に立つ人たちの気持ちを考えると、言葉が見つからないです。歴史あるロサの場を私は汚してしまいました。
観客の中には、煽動してヤジを飛ばしていた人もいます。後日知人に、「あの時、大変な事が起こったとわかった瞬間で、どうして仲介者が出てこなかったのか」と聞かれましたが、あまりにも突然のことで、状況把握ができていない状態であったと聞いております。劇場のスタッフも配給・直井さんも、想定外のことなので、あっけにとられ呆然としておりました。


8 『童貞をプロデュース』ロサ後の声明一つ目について

池袋シネマ・ロサの出来事があってからも、いったい何が起こったのかの状況把握は完全にはできていませんでした。加賀さんには何度も連絡をしましたが、電話に出てもらえませんでした。その後8月31日、弁護士に正式に書いてもらった文章を、直井さんと一緒に加筆して発表しました。「ストップワード」の共有や撮影時のやりとり、その後の交流で事実認識の齟齬が多々あったのが「強要がなかった」と書いた根拠です。
それから「複数の証言」という記述がありましたが、これはカンパニー松尾さんのことです。「単数」です。訂正して謝罪いたします。

【後顧】

この時の声明文は、本当は加賀さんと会って話し真意をきちんと知ってから出したかったのですが、加賀さんから連絡拒否されどうしても叶わず、メディアに“事件”として扱われたので、プレスリリースを大至急出す必要がありました。
人づてに、加賀さんから「ロフトプラスワンを押さえて公開討論にしてほしい」と言う希望があると聞きましたが、メディア対応が喫緊の課題であったため、その件とは別でリリースを急ぎました。
「公の場で公開討論」についてですが、上映中止になった主な理由が「公の場」ともいえる劇場で起きた“事件”を鑑み、十分な安全を担保できないということです。
なので、「公の場」という設定での公開討論が難しく(これは最後の方に記します)、加賀さんの案は受けられないという判断をした次第です。
(池袋シネマ・ロサと配給:直井さんの見解はそれぞれ出ると思うので、私から言うのは差し控えます。)
私には確固たる代案も思いつかず、提示もできませんでした。そして何より、今となってはですが、下手でも言葉足らずでも、生身の人間の言葉として一生懸命自分で体温の伝わる文章を書けばよかったです。当時はそれすらも出来ない、混乱した状況でした。


9 『童貞をプロデュース』ガジェット通信の記事について

去年の夏(2019年07月31日)、加賀さんと私はやりとりをしています。(このことは加賀さんのtwitterにスクリーンショットがあると思います。)

そのきっかけは、私と加賀さんを知る共通の監督がブログに「お二人に話をしてほしい」といった趣旨の文章を書いてくれたことでした。
この監督が「先日、加賀さんとtwitterでやりとりしました。松江さんが2年前から仲介者をお願いして話し合いを望んでいることは聴いていましたが、いまは私が間に立ってもいい。一歩でも進んで欲しい。」と言ってくれていたので、藁をもつかむ思いで加賀さんにショートメールを送りました。加賀さんの返信には、いくつかの条件が出されていました。(加賀さんのtwitterにはアップされていましたが、現在は削除してます。)結局条件面での折り合いがつかず、話し合いには至りませんでした。
双方、話し合いはしたいとのことで合意しておりましたが、条件面では「録画すること」「公の場を使う」「声明文を取り消すこと」です。
まず「録画すること」は、記録(メモ)ならまだしも、個人間の話を収録することは、いろんな意味で危険だと感じていました(詳細は後述の理由で割愛します)。
「公の場」で、についてですが、ロサの出来事の前に加賀さんが「ロサの舞台挨拶は見ものになるよ」と仲間に決行予告していたり、実際にそれを無断録画している人が複数いた事実から、一対一の落ち着いた話し合いではなく、劇場型のファナティックな手法でやろうとしているのだと思ったからです。前にも書いておりますが、そこで、冷静で建設的な話し合いができるとは思えませんでした。しかし加賀さんが提示した条件は、頑なでした。
その時に出た“ある言葉”が決定的に断る理由になりましたが、最後に述べる理由で、ここでは詳細を割愛させていただきます。

その後、藤本洋輔さんという映画ライターの方から(掲載媒体:ガジェット通信)、スポッテッドプロダクションズ(配給:直井さんの会社)に連絡がきました。「加賀さんにインタビューしたので、松江さんにもインタビューしたい」という内容でした。
私は藤本さんに電話をし「『童貞。をプロデュース』は観ていますか?」と尋ねましたが観ていないとのことでしたので、まずは本作を見てほしいこと、加賀さんと先に会わせてほしい旨、お願いを出しました。

そして(本作はすでに上映予定がありませんでしたので)直井さんに連絡すれば本作を鑑賞できるよう手配しておきます、と伝えました。

実は私は、藤本さんを警戒しておりました。
というのも、藤本さんは雑誌「映画秘宝」のコーナーで「死んでほしい奴」に2年連続、私の名前を挙げていました。その理由を藤本さんにお尋ねしたところ「これは「映画秘宝」のノリですから」ということでした。
「死んでほしい奴」と名指しで二年もノリで言われた相手からの取材依頼なので構えるのも無理ありません。

私は藤本さんが本作を鑑賞してくれるのではないかと思い、連絡を待っていました。しかしその後、藤本さんからは連絡はありませんでした。
後述の2019年12月31日に藤本さんにお会いした際、本作鑑賞の有無をお聞きしましたが、「映画を観ていないとなぜダメなんですか?」とのお応えをいただきました。藤本さんの本職は映画ライターとお聞きしていたので、作品を観ずに映画にまつわる出来事の記事を書こうとする姿勢に非常に驚いたとともに、私の彼に対する信用はゼロになりました。

「死んでほしい」「作品は観ない」という“映画ライター”に、作品内で描かれているセンシティブな案件の取材を受けなければならないのか……。

作品を観ていない人は書いてはいけない、何も言ってはいけないということではありません。「映画ライター」を名乗り、映画の中で起こった出来事を「出演者」と「監督」に取材を通して記事化していくのですから、この件については、観ることは必須だと思っています。

これは私から言うのもなんですが、今回の騒動、主にネットでの広がりを見ていると、明らかに映画を観た観客ではなく、憶測や伝聞で事実とは異なることを針小棒大に拡散しているのが見受けられます。ある意味、そういう“祭り”に燃料を投下していく無責任なスタイルには、暴力的な恐ろしさを感じました。
「性犯罪者め」「松江に仕事を依頼している出版社に抗議した」「作品を笑って観た人も沈黙する人も同罪だ」などの激しい主張には強い暴力性を感じております。
起こしてしまったことや、加賀さんを結果的に傷つけてしまったことを矮小化しようという意図は、私には全くありませんし、真摯に、ふさわしい形で心から謝罪をしたいとトライしてきました。しかしそのような背景があったので、表面上はネットで書かれているように「松江ダンマリ」に見えてしまっておりました。

そして、ドキュメンタリーの作り手たちが立ち上げた同人誌『f/22』から私へ連絡が来たのも、この頃でした。

『f/22』とはドキュメンタリーの作り手たち、ドキュメンタリーの倫理性や加害性などを作り手が論じ合う『言論の場』が必要だと刊行された同人誌です。その刊行動機の一つには『童貞。をプロデュース』上映中止騒動も含まれております。
f/22は加賀さんとの対談ではなく「加賀さんのソロインタビュー掲載号の次の号で、松江さんのソロインタビューを掲載したい」という依頼でした。

f/22の編集長・満若勇咲さん(現在の本職はドキュメンタリーカメラマン)は本作を鑑賞しているとのことでした。しかしf/22は刊行が不定期であることを鑑み、記事の間隔が大きく開くことが懸念されたので、まずは「加賀さんのインタビューを読ませてください」と回答しました。そしてインタビューの前にまず、「私は個人的に加賀さんと話し合いをしたいと思っています」ということも伝えました。満若勇咲さんは「今回の松江・加賀問題はドキュメンタリー業界の作り手として共有し、モデルケースとしてずっと考え続け議論していきたい。そして加害性や、カメラと被写体との関係など、様々なテーマとして共有していきたい」と非常に意識の高い印象を受けました。
実際にf/22の既刊号でも、かなりのページを割いてこの問題を取り上げておりました。

2019年12月にf/22とガジェット通信の加賀さんのインタビュー記事を読み、今の加賀さんが考えていることが(文面からですが)初めて具体的にわかりました。

ガジェット通信の藤本洋輔さんの記事に対していくつかの疑問点がありましたが、重要なことの一つが加賀さんの発言による「電話での上映中止(の可能性)」=「電凸行為」を何も問題視していないことでした。

美術館でもどこでもそうですが、展示や上映の中止を強要する電話をかける圧力行為がどういうことなのか?作り手としてどれほどやってはいけないことなのか、何の疑問もなく書かれていました。それに対してライターの注釈もありませんでした。
他にもいろいろありますが、作品を観ていない映画ライターによる聞き取りの文章なので、一方的で強調したいところだけが書かれていました。(後述の理由につき、ここでは詳細は割愛させていただきます。)
そのタイミングで、直井さんから「間に入ってくれそうな人がいる」という話を聞きました。第三者メディアとしてガジェット通信とf/22も入ってもらい、加賀さんの望む準「公の場」に該当するだろうと思い、取材を同時に受けることにしました。

【後顧】

この時の声明ですが、非常に短かく簡素な印象を与えるもので多くの方に誤解を与えてしまいました。前回の声明でミスをしているのにもかかわらず、二回目までもある意味「不誠実」に取られるような文章になってしまい大変申し訳ございません。
素直に、自分が強引なところがあったことを認めようと思いましたが、前回の声明文の誤りなど、もっと丁寧に詳細説明すべきでした。その説明が、遅ればせながらこの文章になっております。


10 2019年12月31日加賀さんとお会いして

加賀さんはカメラを2台用意し、f/22も撮影、あとは録音機材がある状況で、加賀さんと対面しました。
私は取材という名目で行ったのですが、間に入る進行もなしで直接、加賀さんと対話する形式でした(最初は……)。私の前の日には、カンパニー松尾さん、直井さんも取材として呼ばれていましたが、同じ形式で加賀さんと対峙したそうです。

私は何よりもまず加賀さんを傷つけたことを謝罪し、嘘偽りなく向き合うと約束しました。しかし話をしていくにつれ、何を話しても「嘘だ」「保身だ」と終始言われ続けました。なぜか周りにいた藤本洋輔さん(ガジェット通信)、満若勇咲さん(f/22)、川上拓也さん(f/22)にも口々に言われました。それでも私は頭を下げ続けました。

取材なのか対話なのかわからないまま、そしてここでまさにこの瞬間「圧力」を感じました。二つのメディアとも中立的な立場ではなく、私の発言を遮り畳み掛けるように否定的な意見を次々と私に投げかけてきました。

取材ならメディアの仕切りがあり、対話なら直接話すのですが、そのどちらでもなく、あちこちから激しい否定と訂正の要求がありました。
そして、一つ一つの返答にも冷静に判断ができなくなり、これが加賀さんの主張されている「同調圧力」であり、その怖さを実感し、改めて加害性の正体に気がつきました。混乱の中矢継ぎ早に謝罪の言葉を引き出される現象。この時加賀さんの主張する「圧力」について本当に体験しました。

そんな中、私が一番直接聞きたかったのは「加賀さんと私が一緒に過ごした時間をどう感じていたのか」ということです。声明文(自体)を取り下げるかどうか迷っているポイントでもありました。

しかしここで愕然とする話を聞きます。

「(松江とは)加害と被害の関係だった」

同じ時間・同じ時を過ごし、お互いの関係性に私とは全く違う心持ちでいた、と現在の加賀さんの口から発せられたことにショックを受けました。

声明文の一つ一つの件について本人と二つのメディアの三方向から、次々と、否定と訂正と謝罪を執拗に求められました。その“総括”は6時間続いたのですが、私はしてしまったことの重大さと加賀さんへの贖罪の気持ちを考え、辛い時間でしたが誠心誠意答えました。しかしいくら話しても「嘘だ」「保身だ」の堂々巡りでした。

そしてこの時、「家族のことを考えろ」と言われた後に、(詳細は控えますが)ある人物から耳を疑うような言葉を投げかけられました。

「(松江さんのやったことは)ユダヤ人をガス室へ送った人と同じ感覚ですよ」


つまり「凡庸な悪」について言ったのだと思いますが、詳細については、守るべきものがあるので明記は避けますが、私の現在の家族環境から、この言葉は絶対に承服できない最大級の差別発言で、国際的にも“アウト”なレベルのタブーワードです。
身体中の血の気が引いたのを覚えています。私の個人的事情は、彼らはこの日が取材日になった“理由”から知っているのです。

無意識に出た言葉なのか挑発したのかはわかりかねますが、人権や倫理に非常に高い意識を持っているドキュメンタリストの作り手による同人誌『f/22』、そして「正しさ」をジャッジするスタンスの藤本さん、そして、加害性を主張する加賀さん、というメンバーの中で出た発言に、挑発的な笑い顔までしている人もいました。
私は非常に動揺し、そしてこのような言葉が出ても、「倫理」「加害」と言っていた周りの人が、誰も何も指摘せず、さらに松江に猛省と謝罪を求め続けるという雰囲気がそのまま続いていきました。
この取材の後もf/22の満若勇咲編集長から「『童貞。をプロデュース』問題について考える」という単独取材の依頼があったのですが、ここで今後一切お断りします。
私の映画ではなくご自身たちの関わった過去の映画のトラブルをモデルケースにしてお考えください。

そんな状況で加賀さんとの対話も遮られながら“取材”は続きました。
そして加賀さんの要求は、要約すると「松江哲明の映画業界引退」ということでした。

「僕らの世代でこういう(サブカル的な)風潮をもうやめませんか」

「もし自分の子供が同じことをされたらどう思う?」

「家族のことを考えてください」など詰問は続きました。

そして「松江哲明が日本映画界にいる限り僕は攻撃をやめない。松江哲明を守る日本映画界が許せないから」とのことでした(あまり守ってもらっている意識はありませんが)。

私の映画監督の出処進退は、私(と家族)で決めることであり、他者に強要されることではありません。ましてやこの問題に家族のことを何度も出されるのは筋違いです。

とても「対話を通した和解」を見据えた状況ではありませんでした。加賀さんの強い発言の中には「そういうことだったのか」と思う部分もあれば「正直それは同意できない」と思う部分もありました。しかし私は加賀さんの発言のほとんどを受け入れ、謝罪する発言を繰り返すことになります。そして決定的なのは、ガジェット通信でも書かれていた「松江さんとは心のやり取りをしたいわけではない」という意思を実感したことです。そして最後に「毀損された名誉を回復しろ」と言われました。

ここで「松江だんまり」「松江逃げるな」と言われ続けながら、加賀さんの主張していた「公の場での討論」をとある理由で拒否していた判断があながち間違っていなかったとも思いました。

その時、私の目の前にいる加賀さんは一緒に映画を作っていた頃とは驚くほど異なり、このトラブルの外の、加賀さん自身以外の、何か大きなものを背負わされているように感じました。この出来事に向かい続けたことで彼をここまで変えさせてしまったことを実感し、もうこのままではいけない、はっきりと終わりを迎えないといけないと強く決意した次第です。


11 『公の場』

加賀さんと私は、たくさんの時間を共有しました。これだけは紛れもない事実です。しかしその時間に対する認識と関係性は、約14年の時を経て大きく変容してしまいました。

私たちが共に過ごした時間に何があったのか?私と加賀さんがそれぞれの「認識」「記憶」の主張をお互いに続けているだけでは「現にあった事実」を明らかにすることは不可能であり、第三者の客観的な判断が必要だと決心しました。

加賀さんはこれまで、加賀さんのポケットの中に持っているたくさんの「記憶」を机上に提示してくださいました。これからは、私が私のポケットの中に持てる全ての「記憶」を第三者の机上に提示したいと思います。

その机上は、限られた人だけが集うイベント会場や映画を題材にした同人誌、視聴環境の整った方のみが閲覧できるインターネットメディアではなく、私たちの住む国において最も客観的で妥当性を担保された「司法」という“公の場”を机上として提示したいと思います。
もはや当事者だけでは判断も解決もすることのできない問題となってしまったこと、自責も含め非常に残念に思います。『童貞。をプロデュース』を私は今でも大好きです。そこに映る「青年加賀」も大好きです。f/22とガジェット通信から連絡を受けた時に何よりもまず最初にお尋ねしたのは、加賀さんが健康な状態でいるかどうかでした。
「司法」という“公の場”においてお互いのわだかまりをなくし、全てを解き明かして“判断”もらいたい。その中で私に非があるということなら、私はそれを認めて「司法」で裁かれたいと思います。加賀さんに対して強要があったのか、加賀さんの名誉が棄損されたのか。私自身が「司法」のもと裁かれることで、加賀さんの求める「現にあった事実」が明らかになる最善の策として、私は努力を惜しまずこの問題に取り組むことを誓います。

他にも「司法」に委ねる大きな理由がありますが、それは「司法」の現場で話すことになります。(後述の理由につき、ここでは割愛させていただきます。と書いていた部分は裁判資料に載せる為ということです。)

そして今回、私の方から“公の場”として「司法」に委ねることにしますが、それはずっと加賀さんが望んでいたことであり、原告・被告としてではなく法律で瑕疵を客観的に判断してもらい、加賀さんのいう名誉回復につとめる為に私が裁かれたいと思っているからです。

私が「訴える」のではなく「裁かれる」のが今回の趣旨です。

みなさんには長い間心配をおかけしてしまい本当に申し訳ありません。みなさんからの信用と信頼を取り戻すべく、本件を解決への道へ進めます。ご協力を仰ぐ方もいると思います。『童貞。をプロデュース』を鑑賞くださった方、本当にありがとうございます。声なき応援も必ずあることを、いつも感じております。寄り添っていただきますこと、心より感謝申し上げます。

二年の沈黙で『童貞。をプロデュース』を観たこと自体に罪悪感を感じさせてしまった方々に、監督として本当に申し訳ない思いです。本当にすいませんでした。みなさんが映画を観ている間に感じた感情は誰からも侵害されるものではありません。そして、映画を観ること自体が犯罪(同罪呼ばわり)に該当することは決してありません。

今後の動向はどうぞ静かに見守って下さいますよう、よろしくお願いいたします。


12 最後に

多様な映画や表現が社会に存在し、観客や人々が自分自身で選択できることこそが「自由」で「豊かな社会」だと私は思っております。

『あってはいけない映画』『あってはいけないドキュメンタリー』を作り手側たちが合議的に決めて制限することはとても危険なことです。そして「笑ったやつも同罪だ」「黙ってるのも同罪だ」と罪を強要し萎縮させる“風潮”こそが危険思想です。

作り手側が選択肢のない“貧しい鑑賞体験”を観客に強いるのは自由な社会とは思えません。
これは映画のみならず、絵画でも、漫画でも、音楽でも、文学でも、すべての表現活動について言えることであり、表現者側が表現の萎縮と規制を過度に求めることに危険性と違和感を感じていることをここに記しておきます。



世の中に不満があるなら自分を変えろ。
それが嫌なら耳と目を閉じ、 口をつぐんで孤独に暮らせ。
それも嫌なら・・・

(「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」1話より)



                           2020年1月21日

                  映画『童貞。をプロデュース』監督
                              松江哲明

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ドキュメンタリー監督。