「アカに染まるなら死んだほうがマシ」ー中国人王者に対する不思議な挑発の背景


UFC 261のセミファイナルとしてまもなく行われる女子ストロー級タイトルマッチ、王者ジャン・ウェイリー対挑戦者ローズ・ナマユナスに先立って、ナマユナスが両親の母国であるリトアニアのメディアに、この試合への意気込みを次のように語ったことが物議を醸した。

私は対戦相手のことを憎んだことはないし、ジャン・ウェイリーのことも嫌いでもなんでもない。ただ、そうはいっても、この試合には負けられない理由がたくさんある。ウェイリーが背負っているものを思うと、私は自分の出自や、親のことを思い起こす。ドキュメンタリー映画『The Other Dream Team』を見直して、私には負けられない理由があることを再確認した。つまり、アカに染まるなら死んだほうがマシ、ということだ。ウェイリーがアカだという事実は偶然とは思えない。だから私は自由のために戦う。私にはキリストの善意がある。私にはリトアニアの血が流れている。そして私はアメリカンドリームを背負っている。こうしたことすべてを、今回の試合に持ち込む。

「アカに染まるなら死んだほうがマシ(“better dead than red”)」は 1940年代、50年代のアメリカで使われた、反共産主義のフレーズである。こうした表現を使うことで、ナマユナスはあたかも自分を自由の戦士に、ウェイリーを悪の共産主義陣営代表のように表現し、対立関係を煽るかのような物語を紡いでみせている。

突然放たれた、まるで「鬼畜米英」並の時代錯誤なフレーズ。その背景には、一体ナマユナスのどんな事情があるのだろうか。

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リトアニアには第二次世界大戦中にナチスドイツに占領された後、1990年までソビエトに統治されていた歴史があり、13万人がシベリアでの強制労働に送り込まされるなど、圧政に苦しんできた。リトアニア人であるナマユナスの両親は、圧政を逃れるようにアメリカ移住を決断している。

私には、リトアニア語を消滅させないため、書籍の密輸に携わっていた祖先がいる。曽々祖父はシベリアで生き残り、リトアニアに戻って、母国で初めての心臓外科になった。私の父はソ連軍入隊を拒んだ罪で精神病院に入れられた。私たちはそんな経験をしてきている。そんな父の頑固さは私にも引き継がれていて、時々コーチを困らせたりしているけれど、おかげで強いファイターになれたし、私はこれからもそんな面を抱えてやっていく。

そんなナマユナスの壮絶なファミリーヒストリーや、意外に最近までソ連に占領されていたというリトアニアの歴史を知れば、一見時代錯誤とも思われる共産主義への忌避感情も、いまだ彼女にとってはリアルなものであろうことは想像がつく。

なお、ナマユナスが言っているドキュメンタリー映画『The Other Dream Team』は、1992年バルセロナ五輪でのリトアニア男子バスケットボールチームの活躍を描いた012年作品である。リトアニアはバルセロナ五輪から、ソ連チームとしてではなく、自国チームとして出場するようになった。リトアニアチームは準決勝でアメリカのいわゆる「ドリームチーム」に敗れたものの、銅メダルを獲得し、「もう一つのドリームチーム」と呼ばれたのだった。

もっとも、ナマユナスのアカ発言は、ソ連と中国を同一視している点、ウェイリー自身はこれまで政治的信条を明らかにしたことはないのにアカだと決めつけている点で、どこかピントがずれている印象も残す。UFCのタイトルマッチでウェイリーを倒したところで、自由が勝ったということになるはずもない。ESPNの『Ariel Helwani’s MMA Show』で、 「ウェイリー自身は政治的信条について明らかにしたことはないが」とインタビュワーに諭されたナマユナスは、それでも頑なに意見を変えようとはしなかった。


それはそうだし、私も彼女の信条については知らない。でも、これは彼女に直接聞くべきだけど、彼女から本当の自分の信条を聞き出すことなんてできるのかしら。ひょっとすると、言えといわれたことしか言わないかもしれない。意見を自由に表明できない、政府を批判できない、というのが、私の共産主義の経験だ。
誰しも自由に意見を持っていていいが、私は自分の経験に基づいて話をしている。YouTubeでたまたま見かけた話をしているのではない。もし私の意見の意味がわからないと言うなら、まずはドキュメンタリーを見てほしい。そうすれば、私の家族が経験してきた苦難や、私が今アメリカにいることの理由が分かってもらえると思う。
自分の歴史、自分の暗部をかけた今回の試合に、私はこれまでになくやる気になっている。ウェイリーのことはよく知らない。向こうは私と友だちになりたいと言っているらしい。そんな事が可能なら、そうなればいいなとは思う。

ウェイリーのコンデショニングコーチ、Ruben Payan氏は、ナマユナス発言に対して次のように憤る。

ナマユナスはもう少し謙虚になって、結論に飛びつかないことだ。わからないことがあるなら、ウェイリー本人と話をして、理解しあえばいいじゃないか。自分が信じたいような物語を作り上げすぎている場合には、それが間違いであることを認めさせるのはとても難しい。似たような物語がテレビや映画で繰り返し流されているからね。しかし真実はこうだ。あなたは間違っている。

UFCは今回のナマユナス発言については一切コメントをしていない。かつてコルビー・コビントンが、「Black Lives Matterの信奉者はテロリストだ」などと極端な発言をした際にも、デイナ・ホワイトは「意見は人それぞれだ」として静観を決め込んだ。

他方、SNSで共和党員をホロコーストのユダヤ人に例えたことが問題視された元女子MMAファイターで女優のジナ・カラーノは、ルーカスフィルムを解雇され、ディズニー作品『The Mandalorian』を降板させられている。

そのカラーノと、テレビ中継された初の女子MMA戦で戦ったジュリー・ケッジー(現在は解説者、ライターとして活躍)は、Twitterでナマユナス発言について次のように述べている。

米国ではヘイトを煽る白人ナショナリストのせいで、反アジアの人種差別や暴力は150%も増加している。意図があるのか、純粋な無知ゆえなのかは別として、仮定に基づいた、論理的ではない物語を強化することは、後味が悪いだけでなく、害が大きい場合がある。

 2020年3月にウェイリーと戦ったヨアンナ・ヤンジェイチェックは試合前、当時流行の兆しがあったコロナウィルスがチャイナウィルスと呼ばれていたことに着目したのか、ガスマスクを付けてファイティングポーズを取った写真をネットにアップしている。この時、無神経だと批判されたヤンジェイチェックは、直ちに謝罪をし、写真を取り下げている。

筆者は格闘技戦に先立って行われる、プロレスまがいの言葉の応酬が基本的には大好きである。しかし、UFC初の中国人チャンピオンに対する欧米人挑戦者の反応には、どこか無神経で無理解なぎこちなさが相次いでいて、心ががザワザワと落ち着かない。ケッジーが指摘する通り、そこには今まさに増加が懸念されているアメリカでのアジア人ヘイトと同根の問題があるようにも感じられるのだ。

(出所)


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