よわくてごめんなさい。
※書き殴ります。乱雑でまとまってないです。ネガティブな話です。全てにおいて謝りますごめんなさい。
ちいさいときから心が‥いや、全てにおいて弱かった。弱さを隠すために生まれ持っていた適応能力でやってきたつもり、無理だったら逃げる。逃げる。逃げる。やる<逃げる だった。
子供として育てられたのではなく、大人として育てられたおかげで甘えるのが苦手なのに甘えたいという八方塞がりな悩みをいつしか持つようになっていった。だからこそ甘えるのは家族(母や祖母)にしか出せない。
たくさん甘えられる人は才能だと思う。
自分のように"大人として"育ってくると誰かの機嫌を伺い、限られた人にしか甘えることができない。子供の頃は可愛いかもしれないけど大人になると疎ましく思われてしまう。親も、祖母もより一層高齢化し子供のことより自分のことを考えるのが多くなってくる時期なのだ。
だから、より寂しくて甘えるという負の連鎖が起こって甘えたいのに甘えられないというのに陥ってしまう。一種のループだ。
母はずっと私を赤ちゃん扱いをする。それが困る。自身は自立したいのにそれをされると甘えが加速する気がする。でも、祖母が「赤ちゃんではないのだから」というと「そうよ。嫌われちゃうよ。」と矛盾した発言をする。同調しているだけかもしれないがあなたがよくいう「○○あかちゃん」というのに縛られているのだ。
そう動くと、それに甘えると自分で決断しているのに。誰かが言ったからとその人のせいにするのは良くないと思う、思うが。自分の過去とそれを促してきたのはその人なのだ。だけど、だからこそ、生返事で同調されるのは嫌だ。自立したいんだよ。つよくなりたいよ。でもね、言っていいかわかんないの。小さい時からそう。顔を伺うのは、そう動かなきゃと考えていたから。いつかあなたが泣いた日「父親がいなくてごめんねに」私は(泣いたってしょうがない)と虚無顔で思っていた。幼少期の方が大人で今の方が子供なの。よわくてごめんなさい。聞いていいか言っていいかぜんぶわかんないんだよ。嫌だよこんな自分が。そうしているのは自分なのにね。
私は、思う。私自身が人に甘えるというのは難しいと。
友達が先生にくっついてるのを見たとき、すごいなというのと羨ましいという感情が出てきた。
でも自分がそれをすると嫌だろうなってそういうニンゲンの側を作っていればできていたろうに。
「やろうと思えばやれるのにやらなかっただけでいつだってなんだってできたんだよな」というとある漫画の一コマがすごく刺さった。でも、行動はしない。そういうところがよわいんだよ。愚図で鈍間でなにもしないゴミ。
ずっと我慢してきたね。そこを解放できる相手を探しているね。どうしたらいいんだろう。行き着く先はどうしたって「いきていたくないな。」ってことだった。全てにおいてごめんなさい。そして、ありがとうございましたと言える日を目指して。ごめんなさいを何度も、何度も何度も何度も幾度も幾度も。最近になって言えるようになってきたのもあっていっぱい言うなぁもう言う必要はないくらい言うのやめたい。
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