鳥山明の訃報を聞いての喪失感。

宮城県白石市立白石第二小学校。片田舎の小学校の道路向かい。狭い階段を上っていくとファミコンショップがあった。
それまで、ファミコンソフトというのはデパートや玩具屋や模型屋の中のガラスケースに少数のタイトルが並ぶものであったが、それが大量に棚に並んでるのだ。これがワクワクしないはずがない。

階段の壁から様々なチラシが張られている。その中に買取の価格表が張られていたりする。ファミコンブームはやがて中古市場を形成、その波が宮城の片田舎まで届くようになったのだ。

当然。僕はそこに入り浸るようになる。ファミコンショップって入り浸るようなところか?と思うかもしれないが、当時のファミコンショップは、ファミコンの新品ソフトや中古ソフトを扱うほかに、テレビとゲーム機があって100円で20分(確か)でゲームができたりしたのである。

なので、まぁ、白石時代の僕は、吉村の家にいるか、このファミコンショップにいるか、駅前のエンドーチェーンの本屋かゲームコーナーにいた。

で。人が集まれば、誰かがジャンプを持ち込む。それでジャンプを読む。そしてドラゴンボールも読む。だいたいこれが当時の小学生のルーチンじゃなかろうか。たぶん中学生も。
だから僕は、鳥山明の訃報を聞いて真っ先に思い出したのが、この名もなきファミコンショップなのだ。というか、たぶん名はあったんだろうけど、30年前以上の宮城の片田舎の得体のしれない兄ちゃんが一人でやってるファミコンショップなんて検索かけても出てこないのよ。

僕は、なんかそのお兄ちゃんと仲良くなった。土日なんかはお金を持たされて昼ごはんの買い出しとかもやった気がする。そして店にあるジャンプを読んだ。

ジャンプをあまり買った記憶はない。ファミコンショップで読むか、吉村ん家で読むか、書店で立ち読みするか。だ。
家と職場(学校)以外の落ち着けるばしょを「サードプレイス」と呼んだのはスターバックスだが、その何年も前から、小学生のサードプレイスは存在し、そこに鳥山明が存在したのだ。

だから鳥山明の訃報は、僕が過ごしたサードプレイスが消滅したことを教えてくれた。もちろん、それはとっくに死んでいたのだ。

吉村は大河原に引っ越したし(何やってんだろ今)、ジャンプを立ち読みさせてくれる本屋の軒先もない。
僕はその後すぐ白石を離れたので、ファミコンショップの行方は知らない。だが、その後、ファミコン業界は任天堂が販路を絞り(金のマリオを置いて任天堂コーナーを作らないとソフトを卸してもらえないのだ)、TVパニックやわんぱくこぞうといったチェーン店型ファミコンショップが台頭し、個人の店舗はどんどんと姿を消していくことになる。
だから、あの、僕がジャンプを読んでていた、ドラゴンボールを読んでいた、20分100円でファミコン(メガドラとかもできたっけよ)を遊ばせてくれていたファミコンショップは先がなかったと思う。

僕らが確かにすごした小学生という時間。そして、今でいうサードプレイス。それこそが鳥山明だったのだ。

合掌。



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