パソコンが死んだ話。


その日、突然にメインパソコンが死んだ。
フリーズを頻発し、青い画面から戻ってこれない愛機を前に、
僕は取り乱すこともなく、ただ彼(彼女)の死を受け入れていた。

それは、ああダメになったか。程度のものだった。
悲しむでもない。慌てるでもない。ただ、死を受け止めていた。
もっとも、勝手に殺してしまっていいのだろうか。マザボなら仕方ないが、メモリかもしれない。蓋をあけてえらいことになってるであろう埃を除去したら復活するかもしれない。

僕は抗うこともせず、淡々とメインパソコンの死を受け入れたのである。

震災の年に、A列車で行こう9をやろうと新調したPCだ。
FF14が死産で生まれたころとも記憶している。FF11はわりと頑張ってやったから、ネトゲもやろうと考えていたのだろう。
そこから8年である。大学7年間でPCが3回くらい変わったことを考えると、恐ろしく長期に使ったことになる。大往生だろう。具体的にいえばすでに減価償却が終わっているのだ。

そして何よりのポイントは
PCが死んだときに常につきまとう焦燥とか喪失がなかったのである。

思えば8年間でいろいろあった。最大の変化は結婚と転居であろう。僕は二重生活の開始とともにPCを分けた。つまり、職場でも家でも仕事ができる環境を整えた結果、現在進行形の仕事のデータはOneDriveにある。

ゲームをする時間がなくなった。それでも細々と再開して続けているのは艦これである。これもDMMのIDとPASSさえ覚えていればそれだけの話である。ほかにこのPCで、メインPCで、せっかくのゲーミングPCでやってるスタンドアローンのゲームはない。

メールはろくに保存していないが、もうゴミの山である。ちゃんと選別する気もない。ICQ? Yahooメッセンジャー? MSNメッセンジャー? もうそんなものを使ってるやつはいない。失う連絡先もない。

じゃあ、写真は? 音楽は?
写真は子供が生まれてからかけがえのないものになった。すべてamazon prime に内包されている prime photo に入っている。静止画は容量無限だが動画は有限なので課金して枠を広げてある。これで僕は明日から突然にprime video がクソになってもamazonから逃げることができない。
音楽に関しては、いい機会だから忘れることにした。
メインPCはiPodやiPhoneの母艦である。しかし入ってるアニソンはもう懐メロの世界である。僕はいつまで林原めぐみを聞き続けるのか。いや聞き続けるだろうけど、出所の怪しいMP3を聞くのはもうやめてもいいじゃないか。闇の中をクリックしテレホ時間で落としていた太古のもせ3はいい機会だから処分しよう。

クラウドだのサブスクだの。ちゃんと僕の世界は彼らに支配されていた。今だって、youtubeで適当に音楽を流している。もうそれでいいのだ。パソコンが壊れても平気な理由、それはもう僕が枯れ果てたからだ。

それはさておき、会社の金でさっそく新PCを発注した。12ぶりに新調するモニターでプリンツオイゲン(アズレン)MMDが踊るのを鑑賞したら僕は満足する予定である。

枯れても老いても、僕の前にはPCがあるのである。

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