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【ヒプノセラピー体験談②】パートナーとの前世から見えてくる母との関係

 ここからは、わたしが見に行ったパートナーとの前世の話をしよう。

 木陰の前にたたずんでいる。わたしは17歳。モンペを履いていて、足元は砂利。時代はわからないけれど、戦前の日本のようだ。神社の境内にいるらしい。
 パートナーとの記憶でまず思いだされたのは、その境内で、わたしより少し年上の女性の横に座って、本を片手に話をしている姿だった。そう、そのかのじょが、いまのわたしのパートナーだ。かのじょは、暮らしのなかで女性たちが直面してきた問題を政治の話として語り、社会を変えていく必要性を説いていた。

 つぎに、二人で過ごした印象的な場面に誘導される。かのじょは街頭で演説していて、たまたまそこを通りがかったわたしは、かのじょの話に耳を傾け、聴衆の一人になった。初めてかのじょに出会った瞬間だった。わたしはその話に聴き入り、のめり込んでいく。そこに集う女性たちも熱気を帯びているのがわかる。
 どうしてかのじょの話に引き込まれてしまったのか。それは、抑圧されてきた経験の断片をことばにしてくれたからだ。わたしが経験してきたことは、わたし一人の経験ではなく、ここにいるだれもがわかる痛みであり、それがことばを得て、たしかにあるものとして共有されていく。そのことに胸が熱くなっていた。わたしは演説が終わってから、かのじょのもとに駆け寄り、感動したことを伝え、いっしょに活動しはじめる。

 そこから飛んで、臨終のとき。わたしは結核で28歳で亡くなる。死の床にはだれもいない。肉体を離れるとき、これから社会がどう変わっていくのか暗じるとともに、心のなかにぽっかりと穴が空いたような寂しさを覚える。心残りだったのは、かのじょといい別れ方をしなかったこと。かのじょといっしょに活動していたのは、そんなに長い期間ではなく、わたしはかのじょの元を去っていた。もっとちゃんと対話をしておけばよかった。目を見て、話しておけばよかった、そう後悔していた。
 わたしは、かのじょが高い志をもって社会を変えようとしていることを評価していたし、ちからになりたかった。だが、そのやり方には疑問を持っていた。かのじょに周りの声を無視する傾向があったからだ。これ以上いっしょにやっていけないと思い、その活動から脱退した。自分が思っていたこと、本音は、さいごまで言えなかった。
 
 催眠から覚めるまえに、前世の自分に抱きしめてもらう。その自分から言われたのはこんな内容だった。

「そのパートナーと別れてもいいけれど、もしいっしょにいたいと思うなら、自分の思っていることを自信を持って伝えなさい」

たしかに、わたしには自信がなかった。相手の顔色をうかがい、否定されることを恐れていた。でも、自分が感じていることや考えていることをもっと大事にしていいし、届けようと思って伝えようと思えた。当たり前のことなのかもしれないけれど、そのときのわたしにとっては大きな気づきだった。

 催眠が解けたあと、セラピストから聞かれたのは、親のことだった。「ありのままの自分を受け入れてもらえたことはない」ということばがわたしの口をついて出る。そのセラピストが言うには、パートナーが親との関係で負った傷を癒してくれているらしい。

 教会の教えを理由に、母から暴力による支配を受けてきたわたしは、幼いころから自分の気持ちや考えに蓋をしてきた。母の言うことが絶対の家庭環境では、極端な話、自分の意見はいらなかった。振り返ってみれば、それは母の考えを体現することが、わたしの役目だったと言える。母に聞けば、なんでも答えてくれて、その答えはいつだって正しかった。正しい生き方を教え、導いてくれた。だが、それはだれにとっての「正しさ」だったのか。その「正しさ」のまえに、わたしはどうしたかったのか。いまなら問うことができる。そう問いを立てることができるということが、自由を手に入れるはじめの一歩なのかもしれない。
 しかし、そのわたしはどうしたいかがわからなくなってしまうことがよくある。同じようなことを、旧統一教会元2世信者の小川さゆりさんも言っていた。自分はなにが好きかわからない、どんな服を着たらいいかわからない、というようなことを。
 しかも、自分で選べるようになってきてからも、母のことばでつまづいてしまうことがある。最近だと年に1回くらい実家に帰っているのだが、自分が好きでつかっていたものを、母に「なにこれ、」と言われ、それがいかによくないかあげつらわれて、持ち歩けなくなることがあった。良かれと思って言ってくれているのかもしれないけれど、過去の傷が癒える間もなく、記憶のなかから呼び起こされる痛みとともに、新しい傷は増えていく。

 何十年と変わらずにつづいてきた関係を変えていくには、「違い」をことばにしていく必要がある。ことばによってかけられた呪いを、ことばによって解いていくのだ。
 自分のなかにあるモヤモヤをことばにして、現実を変えていく。わたしはパートナーと過ごす日々を通して、その訓練をしているのだろう。こうあらねばならないという「正しさ」のものさしに合わせて生きていくのではなく、自分の失敗やまちがいを許しながら、味わいながら、全部ひっくるめて愛することができるようになるには、自分と他者、両方との対話が必要で、そこにパートナーは深くかかわってくれていた。

 前回投稿したように、わたしは実家から戻ってから、パートナーを拒絶していた。それは、きっと母の思いにこたえ、母が思う「正しさ」を生きようとしていたからなのだと思う。かのじょは経済力のないパートナーに価値がないと思っているようだが、わたしにとってかれと過ごす時間は、「正しさ」の呪いを解いて、ありのままの自分を受容して生きていく営みそのものであり、そのために必要なことばを育てていく、かけがえのないものだった。

 今回ヒプノセラピーを受けてみて、いまパートナーと暮らす日々を通して、暴力による支配がなくなってもなおつづく「かくあるべき」という考え方から解放されていっていることに気づかされた。
 目には見えないが、日々の暮らしのなかにその価値は息づいている。
 そのかがやきは、だれにも奪えないはずだ。

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