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『VRおじさんの初恋』が、私の心を惹きつけて離さない理由

この記事は、漫画『VRおじさんの初恋』のネタバレを含みまくっているので、もしまだ読んでないのでしたら、第一部がまるごと(+第二部の途中までが)無料で読める ので、是非一度読んでみてください!

pixivコミック VRおじさんの初恋 暴力とも子
https://comic.pixiv.net/works/7200

 こちらは、第一部・第二部・書き下ろしエピローグ全部入った単行本


という事で、スクロールでネタバレ感想がはじまります。





いや





いやね、もう…






ラストシーン、美しすぎんか…





最初読み終わったとき、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、正直判断できず、ただただ心が揺さぶられていたのですが、1つだけ鮮明に感じていたことは、とにかく「ラストシーンが美しい」でした。
そして、とても切ないのですが同時に、「温かさ」「希望」のようなものも不思議と胸の奥に感じていました。

そもそも、なぜ紹介記事と感想を分けているのか?
ネタバレなしで感想書けばいいし、そもそも感想だけでいいじゃないの?と思われる方もいるかもしれませんが、やっぱりネタバレ無しだと書けることが少なすぎるのと、「なるべく前知識を入れずに、沢山の人にこのエピローグを感じて欲しかった」というのが大きいです。

エピローグに辿り着いたときの感じ方、その後ほかの人の感想を見た時の共感だったり差異は、この漫画のめちゃくちゃ面白い部分だと私は思っているので、できるだけそこを奪いたくないな…と。

紹介記事を書いた2つ目の理由は、先ほどの「人それぞれ捉え方が違う」ところにも掛かってくるのですが、「優しくて温かい物語」という感想がある一方で、「救われないシビアな物語」という感想も存在します。

感想については、各々が感じた感想なので私がとやかく言うつもりはないですし、様々な人の反応が見れるとその分だけ「VRおじさんの初恋」という物語に厚みが出て、個人的にも嬉しかったりもするのですが、
一方で、「第一部よかったのに救われないエンドなんだ…蛇足じゃん、買うのやめよ」「いや~、心に余裕がないと救われない話はキツイっす!」と、読まず嫌いをおこす人が出てくることが頭をよぎりました。

自分は作者さんでも出版社の人間でもないので、単行本の売り上げを気にする立場ではないのですが、もし誰かに「VRおじさんの初恋でいちばん美味しい部分はどこか?」と聞かれたら、間違いなくエピローグと答えます。

それほどこのエピローグ(とそれまでの物語)を沢山の方に読んで欲しいですし、第一部しか読んでいない人や、連載時に第二部の最終回(エピローグではない)まで追って読んだ人が、たった1話のエピローグの為に1,100円出すのはちょっと…と考えていたのなら、「そこまで読んでいるのに、エピローグを読んでないのは勿体なさすぎる!!」と声を大にして言いたい!!!

そしてなにより、この漫画は決して読者をイヤな気持ちにさせてハイ終わりという漫画ではない、そのことを伝えたくてこの記事を書きました。

3つ目の理由はこの本が広まることで、「作者さんの次回作が読みたい」というシンプルな理由です。

VRおじさんの初恋の第一部(1~6話)って「これ以上ないほど」、めちゃくちゃ綺麗に終わるんですよね、映画もゲームも漫画も1作目が好評だったあとの2作目(第二部)ってすごくハードルが上がって、それを超えられない2作目も多いですし、VRおじさんの初恋の第二部に関しては「完全に続きモノ」なので、設定や関係性のリセットもできないため、さらにハードルが上がります、第二部連載のアナウンスがあったとき、安牌を踏んでファンの妄想みたいな同人誌的な話を公式がやるという、蛇足的な展開もありえるなと、一瞬頭をよぎりました。

結果、第一部で先延ばしにした宿題に見事に決着をつけ、ちゃんと現実を見つめたうえで、読者に納得感を感じさせながらも、優しさや、ほのかな希望も同時に感じさせる素晴らしい物語に仕上がっていて、もう、脱帽以外の言葉が見つからなかったです。

そもそも、第一部の最終回(第6話)の時点で、個人的には「この作者さん、すごい…なにこれ…」と感じずにはいられませんでした。

「冴えないおじさんがVRで恋愛する」って設定自体は割とありがちなものですし、話の流れ自体も今まで無かった超斬新な展開なのかと言われるとそうではないのかも知れないですが、果たして自分に同じ設定、同じ流れでこの漫画のような読後感を生み出せる作品が作れるのか、と言われれば「これは…正直、無理かもしれない…」と思わざるえないです。

漫画家と素人で比べたら技術的にそりゃそうでしょ、という言葉もあるかと思いますが、そういった技術的な意味だけではなく、
第6話ラストのような展開(とくにホナミの描写)をやる勇気が、自分には果たしてあるのか?、という気持ちに苛まれました。

私は漫画を読むとき、読みながら先の展開をある程度予想して答え合わせみたいな感覚で読むのですが、第6話のラストはまさに「思いついてはいたけど、受け入れられるように描けるか分からないし、この感覚を読者に上手く伝える見通しがつかない」から、「こうだったらエモいけど、難しいな…」と思って、頭の中でボツにしたものでした。

VRの事をよく知らない人も読む媒体での連載、そこでお仕事として依頼された漫画で、「よく分からん、しかも気持ち悪いし」の一言で片付けられそうな可能性が高いものを出す勇気が、自分にはない…。

もちろん、一般ウケなんて関係ない!と半ば暴走のように描くことはできても、そこに無理やり感やご都合主義感があれば、作者の独りよがりになってしまいますし、読者はそういうものを敏感に感じ取り、いっきに冷めて心が離れていきます。

これって漫画の上手さ(絵が上手い、設定が上手い、無理なく頭に入ってくる、次のページをめくりたくなる、などなど)という要素ももちろん絡んできますが、第6話がこんなに心に刺さるのは、作者の漫画に対する向き合い方が真摯だから、という理由にほかならないと私は思います。

自分が描きたいエゴだけではなく、読者を置いていかず、現実的なシビアな目線も合わせ持ちながら、安易なご都合主義や、身も蓋もない現実を見せてハイ終了ではなく、ちゃんと読者を納得させたうえで、その先に伝えたい想いがある。

言うが易し 行うが難し、分かってはいるけどこれは難しい…
これってまさに「漫画に対する真摯さ」がないとできない、繊細で複雑で何度も頭を抱えながら、それでも諦めず向き合った先にあるものだと私は思います。技術や才能ももちろんですが、自分は暴力ともこさんの漫画を読んで、この「真摯さ」に刺さったと言っても過言ではありません。とくにエピローグではこの真摯さがさらに色濃く出ています。

暴力ともこさんの漫画には、夕暮れのような寂しくも温かい雰囲気がありつつ、読者の胸に向かってちゃんとボールを投げてくれる感じがあります。

見当違いの所にボールを投げて「ボール投げたでしょ?ハイおしまい」ではないというか、言葉にしづらいのですが漫画から「諦めていない感じ」が、少し言い方を変えると「投げ出していない感じ」がとても伝わってきて、自分はすごく好き…というか心に染みるんですよね、出来れば暴力ともこさんの次回作がまた読みたいです。


pixivコミック VRおじさんの初恋 暴力とも子
https://comic.pixiv.net/works/7200






と、ここまで
この記事を読みだして、なんとなくで読み進めちゃっている人がいるかもしれないのでネタバレは控えて書いてきましたが、ここからはガッツリとネタバレしていきます


えっ! 感想まだ続くの!!?



と思われている方もいるかもしれませんが、続きます!!
むしろ、ここからが感想の本題です!!!

エピローグを読んだとあと、感動の余韻の中で私は、どうも引っ掛かりというか「違和感」を感じていました。
違和感を感じるのは「エピローグでのナオキの行動」です。
なんだろう? なんか分からんけど引っかかる! この気持ち is なに??


ナオキはずっと白馬の王子様を待っていた

白馬のお姫様でも、ダメダメな僕のもとに舞い降りた天使でも、自分の目の前に綾波やカヲルくんが現れるとかでもいいんですけどね、つまりは自分を変えてくれたり、変わるきっかけをくれる存在です。
ナオキ自身、そんな自分に都合のいい存在がこの世に存在しないってことは頭では分かっています。
だから物語の序章では、自分を納得させる「一人になりたくてVRに来ている」という大義名分のもとで、「もしかしたら誰か来るかもしれない」という気持ちで一人、サービス終了間近のVR世界で過ごしていたのだと思うのですが、この「一人になりにVRに来る」目線だと、ナオキの行動ってちょっと変というか、矛盾を感じることになります。

ここで少しVR世界の説明になるのですが、VR世界って現実世界と違って一人だけの空間を簡単に作りだすことができるんですよね。

例えば、現実世界で遊園地を自分一人の貸し切りにする。なんてとてもじゃないけど一般人にはできないですが、VR世界なら簡単な設定で自分だけしかいない遊園地や、自分と友達しかいない遊園地なんてものが作りだせちゃいます。
例えるなら、ドラえもんの道具の「入りこみ鏡」みたいなもので、これは今いる世界とそっくりそのままの鏡の世界を作りだす道具なのですが、鏡の中の世界には人は住んでいない、というものです。

つまり、本当に心から一人になりたいと思っているのなら、恐らくそういう設定もできたハズなんです。(実際にVRではそういう方もおられます)
じゃあ、なぜそれをしなかったかというと、「誰も来ないはずの世界で、誰かと出会って、この寂しさや美しさを共有したかった」ことに他ならないと私は思います。

もちろん、登場するVRサービスは架空のものですし、現実のVRサービスの中にも、自分だけしか居ない世界、が作れないサービスもあります。

VR世界とは・・・VR世界とは、現実世界のように地球があって、その上に色んな人が暮らしている・・・という1つの世界でみんなが暮らしているというものではなく、ほとんどが企業が運営しているサービスです。

つまり、企業がVR世界を運用しているということは、運営が立ち行かなくなればオンラインゲームやソシャゲのようにサービス終了し、もうその世界には行くことが出来なくなります。

この物語は、VRChatというVRサービス最大手を下地に舞台設定されているとの事なので、作者さんにもその辺の知識はあったと考えていますし、この方の描くVRの世界はちゃんと調べられていると感じるほど、リアリティがすごいので、おそらく分かったうえで描いているんだと私は予想しました。

また、そういうVRサービスの細かいところまで描こうとすると、VRをあまり知らない人を置いてきぼりしかねないので、作者さんがあえてその辺の要素は簡略化したのかな?という線もぜんぜんありますが、ナオキが自分のアバターがなぜ制服姿の少女なのか?についてホナミと話すシーンでも、自分自身でも気づいていない無意識的な願望があって、それは恥ずかしいことなので無意識で別の理由で隠す、的なことをしていたので、分かっていて作者さんがやっている可能性もありえるなと思いました…続けます。

エピローグの在りし日のホナミの映像ってかなりプライベートかつナイーブな映像だと私は思うんです、そんな大切なものをVR世界の誰にでも、もしくは、知人程度の関係性の人の前で普通見るかな…と。

気軽に見られていいような映像でない気がする。
そもそもわざわざVRで見なくても、部屋でスマホやPCで見たほうが手軽だし、泣いても誰にも見られないし、なにより邪魔されないです(VRの誰でも出入りできる空間だと爆音でクラブミュージック流す人や、わざと笑わせにくるアバターを使う人など様々な人がいます、周りの話し声も結構聞こえてきますし)

もしホナミと出会った時のような夕焼けのワールドで大画面で見たいという理由だったり、VRで遊んでいる時に衝動的にホナミの映像を見たくなったとしても、自分だけしか居ないワールドを作ってそこへ行くことは簡単なハズ。

しかも、スクリーンを出す際にナオキが周りを気にする素振りがないところを見ても、ナオキは周囲の目をあまり気にしていないような気がします。

ではなぜ、わざわざ誰にでも見えるような場所でナオキはそんなことをしていたのか、それってやっぱり心の中では「この気持ちを共有したかった」んじゃないかなぁ…もっといえば「見つけて欲しかった」

ホナミはもういないのに、一体誰に見つけて欲しかったのでしょうか?
きっとそれは、葵君に見つけて欲しかったんだと思います。

自分と同じ気持ちを共有できるのは葵君ですが、葵君にナオキから声をかけるのって、葵君の親からしたらあまり好ましくない状況だと思いますし、ナオキ自身もその自覚はあるので、仮にもし葵君からLineで連絡が来ても、ナオキがVR上で会うかどうかは・・・実際問題微妙なところだと思います。

そんなことはナオキも分かっているのですが、心の奥には物語の最初のように、誰もいないワールドで誰かを待っているときと同じ想いも同時にあったんだと思います。

最初にホナミと出会った時、ホナミが「この寂しい美しさを 共有できるあなたと出会えてよかった」と言うシーンがありますが、これってそのままナオキが自分自身では気づいていない、ナオキの心の声の代弁でもあるんだと思います。

最初このシーンを見たとき私は、「ホナミに褒められて、ナオキは恥ずかしかった」くらいにしか思っていなかったのですが、このセリフはこの漫画における超重要ワードで、ラストシーンでも登場します。

そうこの、葵君と並んで在りし日のホナミの映像を見るラストシーン。
最後にホナミが言った、「この寂しい美しさを 共有できるあなたがいて よかった」という言葉ですが、
実はこのセリフ、最初にホナミと出会った時のものから微妙に変わってるんです

出会い「この寂しい美しさを 共有できるあなたと出会えて よかった」
ラスト「この寂しい美しさを 共有できるあなたがいて よかった」

このセリフは、一見ホナミの声として描かれているように思えますが、最初の出会いのときは、ナオキからホナミに向けられたものでもあり、最後のセリフは、ナオキから葵君に向けられたものでもある、と私は感じました。

「いや、それは普通に作者の書きミスでしょ…もしくは文字数的にそっちの方が収まりがいいとかあるし…」

という方も居るかもしれませんが、このシーンってこのVRおじさんの初恋の一番盛り上がるシーンの1つだと思います(もうひとつは1部ラストでホナミと再会するシーン)、そんな大事なシーンでそんなミスするかな…と

もう一つは、このVRおじさんの初恋って、第一部の最終回~ラストと、第二部の最終回~ラストが対になっていたり・第一部に対するアンサーのような表現になっていることが多いです。
これはおそらく作者が狙ってやっていると思うので、そう考えるとセリフが変わっている事も「何か理由がある」と思いました。
そう考えると、やはりこの言葉はナオキの心の声の代弁なんだと私は感じます。
それになんというかこの表現って、ナオキの不器用さや恥ずかしがり屋なところがすごく詰まっていて、個人的にとても納得感があって、なんかそうだったら嬉しいな、とさえ思うんですよね。

ただ、冷静にこのシーンを見てみると、葵君は現実で友達ができて人生が好転し始めていて、これからもナオキとは違うライフステージで生きていくと思うし、なにより忙しいと思うので、葵君との関わりはもしかしたらこのひと時だけになるのかもしれない、それでも、このひと時を共有できたことの美しさ、そしてその儚さがこのシーンに詰まっていて、そこがまた何とも言えない味わい深さを感じさせて、とてもお気に入りのシーンです。


ナオキは結局変わったのか

もうひとつ、私がエピローグで好きな部分のひとつに、ナオキの変化があります。
え、ナオキって変わったっけ? と思われる方もいると思いますのでその部分について書いていこうと思います。

ナオキってホナミと出会うまで恋人はおろか、異性・同性問わず誰かと深く心を通わせた経験がなく、仕事や趣味に打ち込んでいるわけでもなく、会社で他の人と円滑なコミュニケーション出来ているのかと言われれば、それもギリギリ最低ラインという感じで、なんとか首の皮一枚で社会と繋がっている存在として描かれていました。

ナオキは3Dの洋服を作る才能はありますが、それを人前にひけらかす事もしたくない、そもそも他人とも極力関わりたくない(関わるのが怖い)というキャラクターでした。

第一部の最終回、ナオキとホナミとの関係は不完全燃焼のまま、ナオキの前からホナミはいなくなります、ホナミが最後に言い残した、
「せめて、私とナオキが過ごした日々が、ナオキのこれからの人生の糧になればと願っています」

この言葉にナオキは「より良く生きる現実の人生なんてどうでもいい 現実だろうがVRだろうが、どこだって人生をもてあます」とホナミの言葉を受け入れることが出来ず、現実のホナミを探して会いに行きます。
結果はホナミと無事再会することができ、想いを伝えることができました。

そして第二部、最終回でホナミはもう会えない場所に旅立ってしまうのですが、その前にナオキとホナミはこの想いに決着をつけています。
もちろん、まだまだ二人でやりたい事は沢山あったでしょうが、第一部のような不完全燃焼ではなく、ちゃんと決着をつけた形になっています。

ナオキが作ったあのウェディングドレスと指輪のシーンもとても良かったですが、自分の心にさらに響いたのは、現実世界でホナミが「VRでは恋人、現実世界では友人 手をつなぐわけでもなく…」とナオキがVRと現実を切り離して考えているような素振りに、ホナミが少しの寂しさを覚える場面で

ナオキがそんなホナミに「…これ言ったからってなんだって感じなんだけど… あの日、あの世界で俺のことを見つけてくれてありがとう」
と伝えるこのシーン、これがね…もう、めちゃくちゃいいんですよね…

恋愛とか性別とか、そういうものを飛び超え
ナオキにとってホナミはとても大事な人だという事が凄く伝わってくるんですよね、これをアバターの少女のナオキではなく、現実のおじさんのナオキが言うところがまた凄く響いて…現実のナオキって自分に自信がある要素がほぼない状態なんですよね、もっと言えば絶対にそんなセリフを言えるタイプではないので、そんなナオキがそれでも勇気を振り絞って、感謝の気持ちをホナミに伝える…

そして実はこのシーン、第一部の最終回のナオキの言葉とも掛かってきていて、第一部最終回、病を患っているホナミは手術をすることを決め、結果がどうあってもその後の人生はロスタイムのようなものなので、ナオキとはもう会わないという選択をします、そしてナオキに別れを告げるシーンで、
ナオキが
「ここにきて『全部夢でした』みたいな話をするの やめてくれよ…」


そう涙ながらにホナミに言うシーンがあります、これが13話では立場が逆になってるんですね、「もしかしたら、あれらは全部、私が夢の中の出来事かもしれない…」と寂しく思ったホナミに、現実のナオキが自分の想いを伝えることで、あれは夢じゃないんだ、形は変われど想いは同じなんだ、と。

その後、ホナミが作中で言った「体が変われば 心が触れ合う場所も変わる あれは確かに同じ私たちだ」という表現も素敵ですね

個人的には、12話・13話のナオキを見ていると、ナオキはもう最初の頃のナオキとは別のように感じます。
もしかしたら、第一部の終わりにホナミに会いに行った時から既にナオキは変わっていたのだと思います。

ホナミと確かに心が繋がったという実感、壁にぶちあたり、悩み、決断した事実。ホナミと関わる中で得られた様々な経験、そして生まれた小さな自信。そんなかけがえのないものがナオキの心の中には、確かに芽吹いていたんだと思います。

人は、実際に体験した経験からしか、実感というものが湧いてきません。

ナオキのような人って現代では、特別珍しいわけでも、ロスジェネ世代だから~とかでもなく、どんな世代でも起こり得るものだと思います、そしてナオキとホナミのような、奇跡のめぐり逢いが出来ないまま一生を終える人も多い中で、ナオキは本当にかけがえのない素晴らしい経験をさせてもらったんだと、この物語の尊さに胸を打たれます。

エピローグの話に戻るのですが、ナオキを探しに来た葵君は、ナオキが他の少女達と笑顔で楽しそうに遊んでいるのを目撃します、一見するとナオキは自分の新たな居場所を見つけたように見えるが、実はナオキは無理をして頑張っている状態で、少女達と別れたあと人気のない離れた場所で「今日もがんばったぞー…」という言葉と共にナオキの瞳からは生気が消え、在りし日のホナミの記録映像をひとり見る、というシーンなのですが…

(ちなみに作者さんいわく、一緒にいた少女達の中身は全員おじさん)


この一連のシーン、初見時の私は「天国のホナミが安心できるように、自分はちゃんとやれてるよ、というのをナオキなりに実践している」
と思ったのですが、どうにも引っかかる。
「(ホナミが安心できるように)今日もがんばったぞー…」という風に見えるこのシーンですが、そもそも作中でホナミがナオキの内面的な部分や人間関係に苦言を呈した事ってないんですよね、ナオキの不安定な経済状況をなんとかしたい、という気持ちなら、そことなくありそうですが。

それを思うとこのシーンって、ナオキと似た読者と同じ状況に、あえてナオキを置いた描写のように感じました。
この本を読んだ読者の方の中には、こう思った方もいらっしゃのではないでしょうか?

結局ナオキは、ホナミと葵君の2人に「見つけてもらってる」けど、これを読んでいる俺のところにはそんな白馬の王子様なんて来ないし、そもそも白馬の王子様とか存在しないし、結局はこれフィクションだから…はぁ…

こう感じられている方は、多いと思います。

そこに、ナオキが自分から一歩踏み出し、コミュニティの輪の中で、笑顔でコミュニケーションして、誰かに受け入れてもらっている状況があって、でも実は気を使ったり無理をしたりで、疲れていたりもする、という描写が入ります

これって、「ホナミのいない世界でも、他者と一緒に生きる」という描写だと私は感じました。
そして「今日もがんばったぞー…」という言葉は、ホナミの為だけにやっている行為ではなく、他者と関わり合っていくことをナオキ自身が選び、自分なりにもがきながらも頑張っているよっていう「ホナミへの報告」なんじゃないか、と私は感じました。(仏壇で近況報告しているイメージです)

他者と関わり合うのって疲れるし、面倒くさい部分も多いし、昔のナオキならその場に居るだけで辛くなり、逃げだしてしまうほどの精神的苦痛を伴っていたため、ナオキは長年そこから逃げ続けてきました。

そんな辛すぎる行為を、別にホナミに頼まれたわけでもないのに続けるものだろうか? 私は、ふと疑問に思いました。
最初の時と同じように、誰も居ないワールドでひとりで過ごしてもいいのでは?
そう考えた時、これはきっとナオキが自分の意思で一歩踏み出した、のではないのか、という思いが強くなりました。

また、心の動きの焦点がブレないようする為なのか、作中ではナオキの仕事が上手くいったり、正社員になったりといった目に見える成長要素は描かれていません、これも「白馬の王子様なんていない」という読者とナオキの目線をできるだけ近くする、というのが含まれているような気がします。
ちなみに、ナオキはこの裏で実は派遣切りにあっていて、状況は最初の頃より悪くなっています。

この雇い止めの描写も、友達もできて人生が良い方向に回りだしている未来ある葵君と、どんどん悪い方向に下っていくナオキの人生の対比の比喩、という見方もできますが。

私は、ホナミを失い、職も失い、傍から見ればすべて失ったように見える状況で、唯一誰もナオキから奪えないものがある、という意味が含まれているような気がしてなりません。
ナオキの胸の中にある、ホナミとの想い出や経験は誰にも奪えない。

そしてそんなナオキが、またゼロから他者と関わることを選び、自分から一歩踏み出して、懸命に前に進もうともがいている描写に感じました。

コミュニティや組織に属したり、人と人との人間関係って、仲がいい友達でも家族でも、気って使うと思うんですよね、気を使うだと聞こえは少し悪いですが、思いやりですね。
だって、自分にとってどうでもいい人達ではないのだから。

だから、友達と遊んでいて楽しいけど、家に帰ると気持ちが疲れるとかもありますし、その落差の部分を時間をかけて、徐々に雪解けのように溶かして距離感を縮めていくのが人間関係の構築なんだと私は思います。

だから個人的にこのシーンのナオキは
「あんな風にワイワイ絡めない 自己顕示できないし、したくない」と言っていた昔のナオキから変わったんだと私はとても感じます。
「したくない」についてはナオキの本心までは分かりませんが、少なくても「できない」については、できるようになっていますからね。

なぜ出来るようになったか、それはやはりホナミとの交流を通してナオキの心に自信がついたのと、ナオキ自身が人との触れ合いに馴れたこと、そして人と人との心の交流を実際に体験したことにより、そういったものが本当にある。という事を実感として、「心で理解できた」からじゃないかな、と思います。

第一部の最終回でホナミが「せめて、私とナオキが過ごした日々が、ナオキのこれからの人生の糧になればと願っています」
と言いナオキが否定したこの言葉が、ここに来て繋がるんですよね。

ホナミとの想い出はあまりに鮮烈で美しく、ナオキにとって大きすぎる存在で生涯忘れることはできないものだと思います、しかし、これから先のナオキのことはまだ誰にもわかりません、ただし昔のナオキから確実に変化はしているので、今までのナオキの延長線上ではない別の未来の形を感じずにはいられません。

だって、ホナミにとっては「最後の恋人」ですが
ナオキにとっては「初恋」なんですから







この感想を読んで、「なんか無理に解釈してハッピーエンドに持ってこうとしてない?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

私自身は、VRChat等を少しかじっ…少し舐めた程度くらいの経験しかありませんし、誰かと恋仲になったこともありませんが、そこで多少なりとも得た知識や経験がこの感想に影響しています。

視覚的・体感的な「その場で体験している出来事のよう」というのは、気持ちの面でも「その場で体験している出来事のよう」でもあり、幻のような夢のような感覚でも、「体験」として自分の中に残るような確かな手ごたえを感じます。

エピローグでナオキが制服女子達と遊んでいるシーンを見ても、VRの世界って自由に好きな見た目を選べるので、学校のワールドだからみんな制服を着ているわけでもないですし、基本的に各々好きなアバターで好きな服を着用しています、もっと言えば制服のアバターを持っていない人も多いと思います。

そうなるとあのシーンは、”たまたまそこではじめて会って、ただ話しただけ” ではなく、そこで「セーラー服集会」的な集会が開かれていたり、そういう趣向の人達が集まって定期的に交流している、という光景に見えます。(互いの距離感もかなり近いので、ある程度以上の仲は深まってる感)

~集会とは~
VRChat上やTwitterで、同じ趣味趣向の同士を集って、VRChatで語り合ったり、コミュニケーションして楽しんだりすること。そこから友達になる事も少なくありません。(〇〇アバター集会、〇〇好き集会、カフェやバーを開いて店員さんとお客さんごっこ遊びをする集会、VRChat初心者集会 etc..)

と想像した時に、ナオキはただ笑顔でワールドで声を掛けられるのを待っている存在ではなく。
そこに至るまでに、集会を見つけて(もしくは自分で集会を立ち上げて)、会って、定期的に交流して仲を深める、という段階があったハズなので、それを考えると、ナオキ…めっちゃ頑張ってるやん…と、なんだか胸にグッとくるものがあります。
当たり前の話といえばそうですが、VRも現実もコミュニケーションという部分では同じなので、自分から一歩踏み出す気持ちがないと、なかなか仲を深めることって難しいですし、最悪、輪の中に入ることができずにワールドの隅っこで地蔵と化す、ことだってもちろんあります。

そんなことを考えると、「ナオキは変わってない」と思うのは、やはり私の中ではちょっと違うような気がします。
もし仮に今はホナミの為に無理してやっていたとしても、夕暮れの過疎ワールドでひとり佇んでいた時とは状況が変わっているので、この先の未来が変わってくる可能性のほうが高いですし、きっとこれから他者と関わっていく中で良いこともあるだろうし、擦り傷もたくさん作るのだろうな、と。

こんな事を言うとあれですが、ホナミとの想い出だけを抱いて一人静かに過ごすというエンディングも十分ありえたと思います。

でもナオキはそれを選ばなかった、そこには人と人との心の交流の素晴らしさを知ってしまったという側面も大きいんじゃないかなぁ、と。
そう思うと、なおさら残された者の悲しさが浮きあがります…そこがまた、この作品のなんともいえない気持ちにさせる所だったりします。

夕暮れの中で、それでもまだ希望を失ってはいないナオキの行く末に、ほんの少しでも光がさすことを願ってやみません。



終わりに

この物語は恋愛的な要素も含んでいますが。
VRChatをしていると恋愛だけなく、いつか居なくなってしまうかもしれない友達や大切な人、いつか無くなってしまう場所(集まり)、そんな諸行無常を感じる出来事が増えていきます、この感覚はVRChatをすればするほどに、強く感じるものだと思います。
現実と同じで、楽しい時間であればあるほどに、いつかそれがなくなってしまうのが怖い。

自分はいつまでVRChatができるのだろう…と思う事も最近よくあります。
そんなどこにも行き場のない、解決しない想いを、この漫画でナオキと一緒に追体験できて、私は心のどこかが救われた感覚がありました。

そういう意味でも、VRを好きな人ほどこの本を読むと色々感じ取れるものがあると思うので、色々な方の手に取って欲しいです。

この漫画の面白いところって、事実はちゃんと描きながらも、読者によってどちらとも取れる「解釈のボール」を、それぞれにふわっと投げてくれるところだと思います、そのボールを受け取った人が自由に解釈できる余地があるので、是非色々な方の感想を読んでみたくなります。

もしかしたら、未読の方で最後までこの記事を読んでくれた方もいるかもしれませんが、また自分の手で読むと感じ方、受け取り方が変わってくる作品だと思いますので、もしこれを読んで「VRおじさんの初恋」に興味が出たのなら、是非一度手に取って、読んでいただけると嬉しいです。

そしてあなたが感じた想い・感想を、そっとネットの海に放流していただけるととても嬉しいです。


追記 -2023/04/25-

なんと!「VRおじさんの初恋」の描きおろしエピソードが発売されました!
こちらは、在りし日のホナミとナオキを描いた、18Pの番外編エピソードです!
さらに巻末には、VRおじさんの初恋ファンに嬉しい、暴力とも子先生の次回作の情報も・・・!?


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