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【雑記】私はまだ、何者かになりたいのだろう。

今回は思ったより長くなってしまいました。
なんだか、思い思いに文章を綴るとごっちゃごちゃになりますね。同じことをずっと言っている感じになっちゃいました。もっと上手く文章をまとめられるようになりたいものです。



家長むぎさんが「何者かになりたいと思わなくなった」と話しているのを聞いてから、ずっと考えていることがある。

私はまだ、何者かになりたいのだろう。

家長むぎさんをちゃんと知ったのはnoteの記事(現在はほぼ非公開になってるみたいです)を読んでからで、当時はまぎれもなく足掻いている彼女に惹かれた。それはきっと、自分も同じように足掻いているからだったのかもしれない。まだあの時(「たった200文字の課題を提出できない大学生」を書いていた頃)は、怠惰でいる自分を自分として認めたくなかった。だから、その怠惰を克服しようと努力している彼女に尊敬の意をもって好きになったのだと思う。

だからこそ、私は、置いて行かれたような気持ちになった。足掻くフェーズを抜け出した彼女と、まだそのフェーズに足を浸からせている自分。
私は、今の自分に満足していない。
いつかは一次創作を描きたいし、それをいつか誰かに「いいね」と思ってもらいたい。あわよくば、誰かのこころの支えになりたい。
だからこそ、FAを褒められる時「この人が誰かは知らないけど」と添えられると、より一層嬉しくなってしまう自分がいる。ファンアートとは?失礼極まりない、ごめんなさい。
もちろん、ちゃんと好きな気持ちも応援したい気持ちがあって、それを表現したくてFAを描いている。いいねやフォローが目的ではないと思えている。
でもやっぱり、それ以外の所で誰かに認められたいと思っている自分も確かにいる。

このnoteを始めたのも、「にじさんじのFAを描いている豊島」からはちょっと外れた部分で自分を見てほしかったからだと思う。(そのくせ、Vtuberのことを何度か触れてしまっているから、完全に外れ切れてはいないけれど)
だから、Xでnoteのことを発信するのは鍵垢での一回で終わり。これ以降は訊かれない限り言うつもりはない。


実を言えば、彼女の「何者かになりたいと思わなくなった」という話を聞いた時「私もそう!」と思った。これ、社会心理では社会的勢力の影響による「同調」と言うらしい。輝かしい存在を目の当たりにして、さも自分も同じだと捉えてしまう認知の歪み。
それまでは怠惰でいる自分を認めたくなくて足掻いていたのに、今度は足掻いている自分を簡単に見捨てた。それがとっても悲しいことだと気付けたのは、大学で培ったメタ的認知力のおかげだと思う。大学通っていてよかったな…


足掻くフェーズを抜け出せている彼女が単純に羨ましくもある。素晴らしい成長で、傍から見ているこっちが誇らしくなるほどで。
でも、だんだん、彼女と自分は違っていいんだと思えてきた。ようやくすぎる。彼女が言うことはすべて正しいとして、さも自分も同じように考えていたかのように振る舞うことの愚かさに気付いた。違って良くて、違うからこそ刺激を受けて、それがきっと人間の面白さなのね。


足掻いている自分がいたって良いんだ。何者かになりたい自分がいたって良い。こころが苦しくない限りは、ずっと思っていたい。それが自分の原動力になっているのは明らかなのだし。

この創作意欲は「数分間のエールを」を観て再燃した。本当にヤボだけれど、この映画の挿入曲を歌っている方は意外なところで知っていた方だと発覚して震えた。あたたかい気持ちになった。以下はその時の感想メモである。(読み飛ばしても全然良いです)

『数分間のエールを』を見て

この物語は、MVを作る男子高校生の主人公、朝屋 彼方(あさや かなた)が、女性教員の織江 夕(おりえ ゆう)が作詞作曲した曲に一目惚れし、その曲のMVを作るというもの。最終的にできたMVが上に引用したこちら。映画館の大きなスクリーンでみるMVの迫力と言ったら!本当にとんでもなかった。本編では、このMVは300回再生くらいしかなくて(相対的には少ないのかなと思う)、それがまたこの作品の本質なのだと思った。
きっと観てみたら「え!?めちゃくちゃ良いじゃん!なんでこんなに伸びてないの!?」と思う人がたくさんいると思うのだが、これこそまさに織江の経験そのものであり、ものづくりに励む人の大半が経験することだと思う。この世にはまだまだ素晴らしいものが数えきれないほどたくさんあって、それを生み続ける人がいて、それを多くの人が見逃している。誰にも見つからず、その手を止めた人がたくさんいるのだと思う。
きっと、ものづくりには彼方のような「まだ全然認められていない。でも作りたいんだ」という気持ちが大事だということ、それが最後のMVに込められていたように思う。自分と同じようにものづくりに励む人たちがいる。でも、途中でそれをあきらめる人が出てくる。

私も、絵の道を半ばあきらめているようなものなので、こころが痛くなった。本当は、私だって。
まだ、自分が表現したいことを作品に昇華しきれていない。もっと描きたい物語があって、それは二次創作ではできないことだと確信している。私の、私だけの言葉で、私だけの作品で、誰かのこころを動かしたい。夢見がちかもしれないけれど、そう思える作品だった。観てよかった。



最後の段落が何よりも本心。まだまだ、欲張ってもいい。大勢の人に認められることに何か意味があるかはもはやわからないけれど、それでも自分が行ける最高の場所を目指したい。こころが折れない程度でも良い。あと数年だけでも良い。
良い歳してだいぶ恥ずかしい奴だと思われるだろうけれど。
何度でも言える。
私はまだ、何者かになりたい。
もう少し、もう少しだけ、そんな自分を応援したい。

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