今、YouTubeでAqours5thLiveを観てるんだが

何が面白い、って、確かコレ、所謂“メディア(DVD・br)化”されてるヤツを、ランティス(ラブライブ公式チャンネル)が生放送で(然も無料で)流してるだけ、な筈なのだが、コメント(ライブチャット)観てると、皆さん頻繁に“おひねり(投げ銭)”をポンポンと出してる、んですよ、ね…。

別に、皆さんファンな筈で、既に其のメディアは持ってるだろう、にも関わらず、だ…。

そして、Aqoursと言えば、今度のライブはドーム公演なのにライブビューイング(無観客のネット配信)オンリーとか言う、非常に攻めた構成を発表して驚かせたグループとも言える訳で。

でも、此のYouTube LIVEを観るにつけ、若しかしたらネット配信ドーム公演、成功すんじゃあないのか、とも思えて仕舞う訳で、な…。

と言うか、コレはAqoursに拘らず、例えば、おちゅーんの“OKOWA(オーコワ)”の怪談ライブでも、日本中の指定ライブハウスをネットで繋いでのライブビューイング生放送(無観客)形式(因みにチケット販売もして、ソレも売り上げが好調だったそうで)で大成功を収めただけで無く、オイラの記憶が確かなら、チャット上でも投げ銭が多く観られた訳で、な…。

こう言う前例を現在進行形で見せられちまうと、ね、ハッキリ言わせて貰えば、“出来無い訳が無い”んだよね、と…。

大衆演劇界隈やら何やらの旧態然とした、所謂“自称:ゲージツ界隈”の嘗て言うてた言い訳、“劇場が無ければ演劇は出来無い、生の舞台で無ければうんたら、収益が無ければ演出家も役者もやって行けない何たら、故に劇場を開放しろ、其処に客を入れさせろ”と言う言い草に、どんだけ説得力が無いのか、と言う証明にも成っちまってる訳なんよね、コレ等の実例と言うのは、さ…。

民衆と言うモンは、面白ければ、素晴らしいと感じれば、ソレがどんな形態でも受け容れ、幾らでも付いて行くし、評価するし、支持もするし、支援もするし、金も払う。

ソレが受けられ無い事態に陥った、と言う時点で、ソレは演劇にしろ何にしろの界隈の連中は民衆を見放し続けて来た、見下し続けて来た結果でしか無いのだろうし、民衆もそんな演劇やら何やらに愛想を尽かして見捨てた、其処に面白さや素晴らしさ、美しさを見出せなく成った、と言うだけにしか過ぎんのでは無いのかな?と言う事だけは言いたいし、問いたい。

コレは何度も何度も何度も言い続けたいが、当人達は自分達のやってる事を“崇高で偉大で素晴らしい芸術”だと思ってやってんのかも知らんが、ソレを評価すんのは創った当人では無く“観客”でしか無い。

観客=即ち民衆よ。

一部のマニアの内輪受けばかりが評価じゃあ無ェんだわ。

日本人は芸術を軽んじてる、のでは無いのだよ。

日本のゲージツやら演劇やらと言った連中が自ら芸術を放棄しちまってんの。

日本のゲージツ家やら演劇家やら何やらと言った、芸術を産み出す側の人間こそが、芸術を根底から軽んじてる&蔑ろにし続けてんのよ。

ゲージツと言う肩書さえ在ればどんだけ怠けてても良い、俺達は特権階級、みてェな態度で居続けてるから、そりゃあ、そんな人間の作るモンに芸術なんぞ宿る訳も無ェやんか、と。

其処を民衆が見透かして、“あゝ、此奴等…こりゃあダメだ”と離れて行っただけに過ぎんのです。

今や、日本のゲージツ(ソレを声高に叫ぶ連中)にこそ芸術は存在しない。

ソレを自ら放棄した結果、そう成っただけに過ぎんのです。

其処に気付かん限り、旧態然とした演劇もゲージツも終わるよな。

ま、其の代わり、ソレに変わる新しい何かしら(新しい表現)が其の立場を担う(新しい次世代の芸術へと昇華する)だけ、でしか無いんだけどもね。

芸術を見出すのは民衆の側の方なんですよ、寧ろ、ね…。

前にも言いましたが“新しい酒は新しい皮袋に”ですよ。


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