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今、僕が女川にいることを両親は知らない。 #2

どうも。てるです。


女川に来て本当に良かった。と
ふと思ったので、その勢いでnoteを
更新しています。


僕の家庭事情が話の中心です。
良かったら、最後までお付き合い下さい。

僕の父親は、食生活には特に
厳しい人だった。


幸せに生きるために、
身体の健康を何より大切にしてほしい。
そのための食生活だ。と
いつ会っても父は言っていた。

人工甘味料、添加物、農薬のない生活。
無添加の食品、オーガニック野菜、
遺伝子組み換えのないものに囲まれた実家。

ファストフード、コンビニは無縁で
父親の認知していない店での外食や
友人宅に招かれた食事会も、
父の一言で何度も無しになった。


実際に、父は読書が好きで
栄養や危険な食べ物についての本が
何十冊も家にはあった。
知識も経験も豊富なのは確からしい。
我が家に来客があるたびに
食生活を絶賛されることに慣れていた。

実家での食生活は、
悪くなかったと思う。
むしろ、大家族と思えないくらい
豊かであった。


東日本大震災以降、
東北の食材は我が家に入らなくなった。
チェルノブイリの件への関心も強く
放射能汚染を恐れた父は、
断固として許さなかった。

今、僕が女川にいることを
両親は知らない。

東北に住むことが、何を意味するのか
父の反応が目に見えたからだ。
激怒するのが怖いとかではなく、
ショックを与えることが不安だった。

父方の祖父が亡くなって、相続や家業やらで
てんてこ舞いだったこともあり
言わずに女川に行く、と僕の意思を中心に
兄弟姉妹への確認の後決断した。


健康が大切なのは同意見だ。
放射能汚染の可能性がある地に行くことが
身体への危険な影響を与えるかも知れない。
わかっている。

それでも、東北にだって
京都に生まれ育った僕と同じように
人が今も住んでいるのだから。
100%不安のない訳がない、
それでも前を向いて生きているのだから。
と自分に何度も言い聞かせた。

断固とした意思のある父に代わって、
僕は自分の目でみてみようと決意した。


女川で出会った人たちから
家族や家が流された。なんて話を聞くことは
少なくなかった。

兄弟がいるかという質問をするかどうか、
これほど気を使うことは京都にいたら
ありえないことだと思う。
7人いる兄弟姉妹が、一人でも欠けるなど
僕には想像の出来ないことだ。

それでも前を向いて生きている。
生きるという選択を今日も選ぶ。
楽しく、毎日笑っている。

なんて強いんだろうと思った。
多くの説明はいらない生命エネルギーを
肌で感じた。

僕は、今年の年末には女川を出る。
半年の女川生活は絶対に無駄じゃなくて、
前向きに生きることへの
意思の大切さを女川で再確認した。

人は脆くて、弱い生き物だ。
いくら食生活に気をつけていても
天災を前には、手も足も出ない。
だからこそ
大変な時には手を取り合って生きていく。
僕が助けてもらう日だって
突然来るかもしれないので、
(もちろん、今も沢山の方々に支えられて
生きているのですが)
できる支えはしておきたい。

僕が、女川に来たことが、
この記事を書くことが、誰かのために
なってたら良いな。


僕は、例えば放射能に汚染されて
寿命が短くなってしまったとて
女川での生活に悔いはない。


ひょんな事の連続から
女川に来ることになった今までの
出会いと繋がりが今の僕を作っている。
とても幸せなことだと思う。

ありがとうございます。

言える時に、言っておかないとですね。


(小さな神たちの祭りをみて、この記事を
綴ることになった。って言い忘れてた。)
(とても心動かされました。)


締め方グダグダになっちゃいますが、

僕が出会った人に、
この人と出会えて良かったと
思わせられるようになることが
僕の夢ですね。
あと、女川での生活についてを
いつか父や母、兄弟にすることです。

これからもよろしくお願いします。

せーの、


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