『短!っていう長さのエスカレーターをつかう人の心』を考えてみた
タイトルは長いですが、内容は短くサクッと書きたいと思います。
ミラクルスーパー短いエスカレーター
え?この距離!?この距離なのにエスカレーターつかうんかーい!(しかも行列)っていうシーン見かけたことないですか?私、結構遭遇するんです。(例えば秋葉原駅。JRからの乗り換えで地下鉄いくときの下りエスカレーターとか)
一応前もってお断りしますが、短い距離だからって乗るのおかしいでしょ!?とか、この距離なんだから歩けよ!とか言いたいわけでもないですし、思ってもいません。人はそれぞれですから。でも「短!え?ここエスカレーターに行列?!」と、その事実には毎度びっくりしてます笑
『短!っていう長さのエスカレーターをつかう人の心』を考えてみた
で、みんななんで短いエスカレーターに行列に並んででも乗りたいんだろうと考えたわけです。(並んで乗るより、階段使ったほうが断然早いレベルの短さなんです)で、いろいろ考えた結果がこちら。
その人にとっての『短いエスカレーター』とは?
・心のオアシス
・電車
・食堂
・仕事場
・休憩場所
・タイムマシン
・車
・中継ポイント
・充電器
もはや意味わからないですね。なんかすみません笑
『今、この瞬間ベストを生きている』という前提で人を見る
私がなぜ、『短!っていう長さのエスカレーターをつかう人の心を考える』ということをしたのかというと、『今、この瞬間ベストを生きている』という前提で人を見ていたんです。自分が『え!』と思うことでも、相手は『肯定的意図』を持って生きていて、その人とっては当たり前のことかもしれない。これまで生きてきたすべてが『今、この瞬間』をつくっているわけですよね。だとするとその人は、どんなことをしていたとしても、肯定的意図を持った”自分”で”選択”しているわけですからきっとベストなんですよ。(それが違う人からみたワーストであっても)
昨日、10年ほど前に亡くなったおばあちゃんが夢に出てきてくれました。でも誰かと喧嘩していました。そして私が小さいころ、おばあちゃんと喧嘩したことを思い出しました。当時私は「なんでそんなこと言うのよー泣」みたいな感じでぷりぷりしながら泣いていました。時を遡れないからこそ改めて、「どっちが悪いなんてことはないよ、二人ともベストだったんだよ」ということを当時の2人にお知らせしよう。過去の出来事だけじゃなくて、今もそうなんですよね。喧嘩みたいになっても、何かすごいミスをしてもみーんなベストなんですよね。みんな。
そもそも人は生きているだけで奇跡だし、目の前にいるひとは一人でも、その人にはたーくさんの人が関わっていて、たくさんの愛に包まれているんだってことを、『今、ここ』で思い出そうと思う。憎しみあったり否定し合ったりするよりも、思い出そう。うん。
というわけで、私は明日からも短いエスカレーターに乗っている人を見かけたら、自分もみんなも『今、この瞬間ベストを生きている』って思い出そう。そして心の中でベホマズンを唱えよう。
つづくよ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?