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共同生活と、古い建物の再生と。

こんにちは。

いきなりなのですが、適度な距離感で付き合いの長い友達が何人かいるとして。その友達とかと一緒に住めたら楽しいだろうなぁと思うことって、ありませんか?

私は、友達付き合いの幅が狭く深くの人間なんですけれども(要は友達が少ない)、お茶飲み友達とかと、時々そんな話になる時があるんですよね。

最近、そんな気の置けない友人と「お互いおばぁちゃんになって独り身同士になったら、一緒に暮らしてみるのも楽しそうだよね。」と会話を交わした後に、たまたま『オタク女子4人で暮らしてみたら。』(藤谷千明 著・幻冬社より)という本が発売された事を知りました。


ちょうど自分のキャッチーな話題だった事、コミュニティーや、古い建物の再生みたいなテーマが、元々好きだった事も絡まりまして、この記事を書いてみようかなと思い立ちました。

『オタク女子4人で暮らしてみたら。』からルームシェアやシェアハウスを知る。

こちらの本は、エッセイというかコラム的に楽しく読めるものです。

主人公は著者の「藤谷さん」。同居人は丸山さん、角田さん、星野さんの3人。

主人公の藤谷さんは長年一緒に住んでいたパートナーと同性解消した矢先、フリーランスという職業や家賃、その他もろもろの生活固定費が家計を圧迫してくるプレッシャーに不安が膨らみます。その不安解消の為、ペットを飼うか、ぬいぐるみと共に暮らしていくか(側から見ると笑っちゃうんですけど、ご本人は本気なんです)、、、と選択肢を考え、ふと「気心の知れた相手と暮らせば精神的な不安、生活コストの削減」問題は解消できるのではないか、と考え、まずTwitterから個人的にLINEでやり取りをしているお付き合い10年来年の友人の丸山さんに「シェアルームしてみない?」と勢いに任せて相談します。丸山さんは「二人だけだと揉めるのは確実だから、もう一人入れた方が良いと思います。」と。

そこで不定期で集まって遊ぶLINEグループでつながりのあるメンバーに声をかけていきます。難航するかと思った心配をよそに、挙手をしてくれたのが2人。またその4人メンバーでLINEグループを作り、理想物件の話し合い、物件探し、不動産屋さんとのやりとり、保証人の問題も乗り越え、共同生活へと入っていきます。

全員が無事に入居でき、テーブルセッティングも終わった晩に、焼肉祭り in ホットプレート。各自で好き勝手に食べたいものを食べ、焼きたいものを焼く。食後のアイスを頂きながら、4人は、この家、このリビング、『実家っぽいよね』と。
 
 何というか、このくだり。気心の知れた知人とのルームシェアって、めっちゃいいな…、お茶飲み友達との同居生活いいかも…と、てるこ妄想に拍車がかかる大切な一節となりました。

最初はやっぱり価値観の違いが出てくるし、すり合わせは必要。

最初の1、2ヶ月は家事、掃除ルール、靴箱、本棚、共有リビングの使い方など、自分たちのものを減らしたり、使う場所決めなど、都度、出てきた問題をすり合わせていく様子も本書に書かれています。

でも、それ以上に体調不良だったり、推しバンドの解散で気落ちしている所を、同居人達で分かち合う姿も、またそこにはあって、一人暮らしの時よりも寂しさを半分に、楽しさを2倍以上に楽しんでいる雰囲気が感じられます。

オタク仲間同士が住む家というのは、お互いの理解と、程よい距離感を互いに理解し合える部分があって、大変快適そのものらしい。例えトラブルが発生しても、なぁなぁな関係ではなくちゃんとストレートに伝えられたり、何と言っても、「どこかしら尊敬できるところだったり、チャーミングだなと思う所がある人と暮らすのは、いいことだと思う。」といいます。

いいな、いいな、いいなー。

個人的に気になる古い建物の再生のおはなし

この本を読んだ時に、個人的にもうひとつ気になるテーマがありました。

私は古い建物が好きなのです。正直、新築ピカピカのお家よりも、ボロッボロの古民家を、建物の基礎部分(柱とか、土台の部分は、もちろん専門業者さん頼りとして)、自分が出来る範囲で趣味を兼ねて自分で手入れしたり、DIYしながら日々の不便さを、心地良くしていくような生活に、めちゃくちゃ憧れがあったりします。(とても大変だと思うし、器用でないと、もっと不便を強いられそうだけれども、、、)

中古住宅のメリットと新築住宅のデメリットという観点から建物を見ると、新築の家というのは、契約した時点で1−2割ほど建物の資産価値が減ります。新築販売価格の中には、建築費の他に広告宣伝費、人件費が上乗せされているからです。(当然と言えば、当然。)

*参考URL


なので基本的には減価償却(年々、建物の価値が減っていく)資産の分類になります。

とは言っても、中古住宅だって既に減価償却中ですもんね。
例えば歴史的価値がある建物を、国や自治体で指定して保存していく取り組みを、有形指定文化財と言ったりするんですが、保存していくのって、国や自治体から補助金が一定額出ても、全く同じ建築素材の取り寄せが現在は入手困難だったり、専門の建築家さんの依頼をしなければいけなかったり、有形指定文化財としての価値を保ち続ける為の法律的な制約があったりと、一から建てる場合よりも費用がかさんだりして、要は現状を維持していくのも、またとても大変な事なんですよね。

まぁ、でもそんな有形指定文化財の建物を、上手く、、、と言いますか、地域住民の方達の思いや、沢山の方達の金銭的な協力が上手く(運よく?)結集して、文化財の建物を集合住宅に再生した例もありますよって事で、こちらの本もご紹介したいと思います。

求道学舎再生ー集合住宅に蘇った武田五一の大正建築 近角よう子 著 学芸出版社

こちらの本を書いたのは、近角よう子さん。「集工舎建築都市デザイン研究所所長の近角真一さん)の奥様で、よう子さんもまた、建築家の方になります。

この本に書かれている求道学舎と、その隣にある求道会館について簡単に。

建物の画像はこちらを↓



求道学舎は1926年(大正15年)に建てられた学生寮で、その隣に求道会館という教会堂(こちらはさらに古く、1915(大正4)年建築)がある建物です。求道学舎は今から、94年前、求道会館は105年前の建築です!(既にワクワクが止まらないワタス)

武田五一さんの設計、建主は、宗教家の近角常観さん。著者の旦那様の近角真一さんは、常観さんのお孫さんにあたる方で、この求道学舎の建主であり、住人であり、所有者でもある、という、建築家になるべくしてなったかのような、すごい設定です。近角真一さんご自身も、やはり祖父や、父が遺した求道学舎、求道会館を存続していきたいと強く心に思われていたお方なので、強い想いというのは、周りを動かす大きな原動力になるのだなと実感しました。

近角常観について


近角常観氏は、宗教家の方です。


近角常観氏は、滋賀県にある真宗大谷派西源寺の生まれ。子供の頃より、父より経典の書き写し、訓読みを教えられ、後の求道学舎設立に影響を与えたとしています。明治22年(1889年)に給費留学生として上京し開成中学に編入後、一高を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。

在学中に改革運動が起こり、その運動に参加するも党が解散。失意で沈む中、ふと空を見上げて、「回心」を自覚したと言います。常観氏、27歳の時です。

大学を卒業後、一人一人の自覚の上に築かれた信仰が社会の基礎を作るという信念にしたがい、当時宗教団体を無差別平等に地位を与えて国家が監督するという法案(1899年、1927年、1929年と3回)の反対演説に共感者が増え、法案は否決されることとなります。この時の論功行賞で、東本願寺法主から、本郷森川町に建物を贈られます。翌年、本山よりアメリカ、ヨーロッパにて教会や大学、宗教制度や社会事業の実際を2年かけて見てまわります。そんなベルリン滞在中に、議員選挙出馬の為の帰国命令が出るもこれを辞退し、兼ねてより計画していた求道学者にて学生寮経営を始めます。経営といっても経済的な意味ではなく「学生達との信仰生活に力を尽くすこと」を「経営」と呼んでいました。

寮長を学生の時に勤めた経験もあり「自分は一生舎監で終わるのだ」ということを常々口にしていたそう。

舎生と呼んでいた若い学生たちと起居を共にし、食卓を囲み、「朝の歎異抄の輪読、晩の正信偈の読誦(どくじゅ、声に出して読むこと)、こういう風な生活が何よりも好きだった」といわれている。

建築家 武田五一について

武田五一は明治5(1872)年生まれ。


父の影響から写生をよくし、デッサン力や観察力にも秀でていた方です。明治27(1894年)に東京帝国大学造家学科に進学後、大学院在学中に日本勧業銀行本店を完成させ、大学院を中退し東京帝国大学工科大学助教授となります。文部省より図案研究のため、留学を命ぜられヨーロッパ、アメリカを周り、後の建築作品に大きな影響を与えたと言われます。また、旧帝国ホテル設計者のフランク・ロイド・ライト氏が日本に来日した折には『フランク・ロイド・ライト氏建築図案集』を解説付き編集出版しています。(個人的に欲しいわ、、、)

会館、学舎の設計

明治36(1903年)に武田五一は求道会館の設計に着手します。建築資金の問題もあり、建築工事が軌道にのるまでに10年の歳月を要しますが、さまざまな方々の資金協力を得て、求道学舎は晴れて完成します。

実は、首都圏で最古に現存する鉄筋コンクリート造の住居系住宅

東京の青山のシンボルとなっている同潤会アパート、ありますよね。


保存案もありましたが、結局完全に建て替えとなり、安藤忠雄氏が建築を手掛けました。建て替え前の同潤会アパートにもアパレルショップが入っていたこともあり、私も若い頃、何度か同潤会アパートのお店に足を運ばせてもらった事があります。求道学舎もまた、同じ頃に建設された建物です。同潤会アパートの保存案の取り組みを進めていた専門家の方からも「これは敗者復活戦です。必ず勝ちます。」と力強いお声を得て、そのご縁で、大学の学生さん達の建物の実測の協力を得ます。

求道会館が東京都指定有形文化財になるまで

1915年(大正4年)に建設された求道会館は、東京都指定有形文化財として2002年に修復されます。その後、求道会館の維持費捻出の為に企画されたのが、求道学者リノベーションプロジェクト、です。

建築はズバリ「もの」であるが、感動するのは「もの」に対してと同時に「もの」に包まれた空間にこころが震えるからだろう。「もの」にあたる光と影、「もの」がつくる雰囲気、風景、「もの」にまつわる生活、事件。それに「人」が絡んで確乎した物語となり、記念となる。
求道学舎は、凍っていなかった。決して凍らず、長い時間を眠ったままパワーを貯えていた。そのパワーに支えられて集合住宅へと再生設計するのなら、音楽の言葉で「武田五一の主題による11の変奏曲(バリエーション)」と考えてみたらどうだろうか。


今回、私の個人的な趣向がかなり入ったnoteになりました、、、。

自分の好きな建物の歴史を辿ると、また違う好きな建築家さんとの繋がりが見えてきたりして、そんな発見の度に小躍りしてしまうのは私だけなんでしょうか。

今回の求道学舎の本も、そんな発見が散りばめられた素敵な著書だったので、何とか、古い建物の魅力をお伝えできたら、、、と思って書いたのですが、一番良いのはその建物を見に足を運んで、建物の空気を感じる事が一番だと思います。

求道学舎は個人の住宅なので、見学は出来ません。求道会館の見学は現在中止となっていますが、以前は週に1回の開放日を設けていたようです。その再開の日を願いつつ、今回のnoteを終わりにしたいと思います。

拙い文章ですが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

では、またね。

*参考URL


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