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プリンセスと横たわる夫

今現在、わたしが抱える悩みの大部分を占めているのが夫婦関係と子育てだ。そしてこの2つは切っても切れない関係にあると思う。

今、わが家は夫の仕事の都合でバンコクに住んでいる。いつかまた改めて、ここでの暮らしについても書いてみたい。
バンコクでは、日本よりも一足早く様々な自粛が始まり、本格的な引きこもり生活が始まってすでに2ヶ月以上経っている。3歳の娘の幼稚園も当然休園となり、果てしなく長い春休みが今も続いている。
夫はバンコクに来てからもうずっと、正直信じられない程の過労状態にあった。しかし現在の夜間外出制限のおかげで、やっと人間らしい時間帯に帰って来られるようになった。娘をお風呂に入れてもらえるだけで、こんなに楽になるのかと思った。家族3人で過ごせる時間は長い方がいいに決まっている、そう思っていた。

3歳の娘は今、ごっこ遊びが大好きだ。というか常にごっこ遊び状態だ。ご飯を食べる時も、お風呂に入る時も、なにかしらのストーリーをベースに、誰かしらのプリンセスになりきっている。ひとりでやってくれる分にはただただかわいいのかもしれない。しかし彼女は役者兼演出家であり、こちらには"プリンセス以外全部"という理不尽な配役を押し付け、台詞まで指定してくる。正直に言う。気が狂いそうだ。
それでも精一杯付き合っているつもりだ。ストーリーをよく覚えていることには感心するし、突然すっとんきょうな展開になって笑わせてもくれる。でも、散々付き合って、さぁそろそろご飯を作らねばと立ち上がった足にしがみついて泣かれては、身も心も疲れ切ってしまうのだ。
結局、家事をしながら声だけでごっこ遊びを続けたりもするけれど、その頃にはもう娘と遊ぶ時間を楽しむような心の余裕はどこにもない。

そんな場面の片隅に、ソファーにゴロンと横たわった夫が映り込んでいる。そういう瞬間が増えた。
なぜ、親が2人いるのに、遊び相手になるのはいつもわたしばかりなんだ?家事をしている間相手をするよう頼んでも、ほんの数分でまたソファーに横たわっている。なぜだ?仕事が大変なのは認める。疲れていて、休める時は休みたいのもわかる。でも、かわいい娘が「一緒に遊ぼう」と誘っているのだ。なぜもう少し一生懸命相手をしてやらない?単純に疑問だった。
男の人にごっこ遊びは難しいのだろうか?それなら肩車とかぐるぐる回すとか、お父さんだからできる遊びもあるのでは?それを模索しないのは、あなたの努力不足では?あなたがそんなんだから、わたしとばかり遊びたがるのでは…?夫を責め立てる気持ちが喉まで達していた。長ければ長いほどいいに決まっていると思っていた家族の時間が、新たな不満を生んでしまった。

わたしは夫に思いをぶつけることにした。例の如く、まずはメールの下書きに言いたいことを書き連ねる。翌日読み返してみると、要するに伝えたいのは、"わたしは今少し疲れている"ということと、"もっと娘と積極的に遊んでほしい"ということだった。それをそのまま伝えてみた。すると、思いもよらぬ答えが返ってきたのだ。

「俺はそんなに一生懸命(娘の名前)の相手をしなくていいと思ってる。疲れているなら疲れていると伝えればいいし、しつこいと思ったらしつこいと伝えればいい。もう赤ちゃんじゃないんだから、相手の気持ちを考えることもできるはず。一緒に遊ぶ相手も楽しくなくちゃ駄目なんだって、わからせた方がいいと思う。じゃないとすごくわがままな子になっちゃう気がするよ。」

目から鱗だった。親は出来る限り一生懸命子供の相手をするのが当たり前だと思っていた。常にはそうできないのが現実だとしても、理想はそうあるべきだと思っていた。そもそも目指している所が違い過ぎていたのだ。
でもたしかに、"一生懸命相手をするべき"という固定観念に囚われて、そうできずに罪悪感を抱いたり、そうしたのに結局泣かれて苛立ったりして、自分の心の余裕をなくしてしまっていては、もともこもない。"〜するべき"という正しさは、いつも余裕のない自分を追い詰める。
わたしは心のどこかで、娘はまだまだ目を離すことのできない、手のかかる存在だと思い込んでいたのかもしれない。もうこんなにいろいろなことがひとりでできるのに、娘のことをみくびっていたのかもしれない。
夫に対しても、労りや思いやりを一切忘れ、一方的に自分の考えを押し付けて非難し、勝手に不満を募らせていたことを反省した。
時々、わたしとは全然違う考え方をする夫。それ故にぶつかることも多いけれど、実は救われることも多い。

「常に全力で相手をする必要はない」と言った夫の考え方が正しいのかどうかはわからない。夫もわたしも、自分を正当化したいだけかもしれない。そもそも子育てにおける正しさとはなにか、さっぱりわからない。でも、夫とこんな話をした翌日、「お母さん、今日はもうだめだ〜。」と全てを投げ出し横たわったわたしに、せっせと布団をかけて「今おかゆ作ってあげるわね!」とはりきってまたごっこ遊びを始めた娘は、とてもとても愛おしかった。

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