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文章を書きたいと思った理由

「自分の人生はこれでいいのだろうか。」

まだ1歳前だった娘を抱きながら、寝不足のぼんやりした頭で、毎日そんなことを考えていた。

就職して結婚して子供にも恵まれた。子供は心底かわいいし、夫も優しい。生きていればいろんな事があって、それなりに傷つくこともあるけれど、基本的には幸せなのだと思う。でも、なにをもって幸せだと感じているんだろうか。幸せならば、ときどきざわつくこの気持ちはなんなのだろう。

かつての同級生達は、資格を取ったり、バリバリ仕事を頑張っていて、眩しかった。自分と同じように結婚して出産して子育てをしている友達もいるけれど、「育児楽しい!毎日幸せ!」という内容のツイートもまた、わたしには眩しかった。

子供の頃思い描いていた将来の夢。それがその通り叶うことはなかったにせよ、大人になれば何者かになれるものだと思っていた。でもわたしは今、何者でもない。

仕事はわたしもそれなりに頑張ったと思う。なかなかの過酷な労働環境の中で、同期に不満を垂れながらも必死に働いた。振り返れば、わたしの人生に欠かせない期間だった。でもあの働き方を続けることはできなかった。自分と周りを納得させるために、寿退社という形をとった。その後すぐに娘を授かり、そのままわたしは専業主婦になった。

娘が生まれて、こんなにかわいい生き物がこの世にいるのか…!という衝撃を受けたことと、絶対にこの子を死なせちゃいけない…!という緊張感が常にあったこと以外、正直あまりよく覚えていない。でもその間いろいろあって、夫婦関係がぐちゃぐちゃだったことは間違いない。

そんな中、夫のタイ駐在が決まった。
娘がちょうど1歳になる頃だった。わたしは「良かった」と思った。
このままでいいのかなぁと思っていた人生が、なにか変わるかもしれない。ぐちゃぐちゃになった夫婦関係も、やり直せるかもしれない。
異国の地で子育てをする不安より、とにかく現状を抜け出したい気持ちが勝った。あまり迷うことなく帯同を決めた。

そして今現在、タイへ来てまる2年が経ち、娘は3歳になった。ここでの生活にはもう慣れたけれど、相変わらずわたしは「自分の人生はこのままでいいのだろうか。」と悩んでいる。

もう大人なんてみんなだいたいそんなものなのかもしれない。悩みのない人なんていないし、望みは全て叶ったという人もきっといない。
ただ、なにで悩み、なにを望んでいるのかということは、自分自身でわかっておかなければいけない気がした。
心の隅でぼんやりと感じている思いをひとつひとつ言葉にしてみれば、なにかわかるかもしれない。

昔から文章を書くことは結構好きだった。かといって、決して熱心な読書家とは言えないし、文学など学んだこともない。正直本よりも漫画が大好きだし、大学なんて工学部だった。
ただ、人になにかを伝える手段として、文章を書くことは、自分の中で一番しっくりきていた。

というのも、幼い頃から人見知りであがり症で声まで小さいという、対面コミュニケーションにおける三大難を背負って生きてきたわたしは、とにかくリアルタイムでのやり取りが苦手だ。こんなんで、かつて営業という仕事をしていたんだから、ほんと無理してたよなぁと思う。
その上、あとから「あんなこと言ってよかったかなぁ…」「あそこでこう言えば良かったなぁ…」などと一人反省会をしてしまうので、人に会いすぎた日はほとほと疲れてしまう。

それに比べて、文章というのは都合がいい。後からいくらでも言葉を差し替えることが出来るし、心行くまで練っていられる。移りゆく会話の流れも、相手の表情も、気にしなくていい。一方的でいいのだ。
そしてなにより、自分の内に秘めた思いを放出することが出来る。もしかしたらものすごく個人的かもしれない思いが、精一杯言葉を尽くすことによって、誰かに届き、理解してもらえる可能性があるのだ。まさに今この瞬間にも。。
これまでの人生で、そういう経験が何度かある。

一番古い記憶は、たぶん幼稚園生くらいの時に祖母に宛てて書いた手紙だ。恥ずかしがって、挨拶もろくにできない子供だったと思う。でもおばあちゃんのことが大好きで、母に便箋をもらって手紙を書いた。なにを書いたかはさっぱり覚えていないけれど、おばあちゃんがすごく喜んで褒めてくれたのが印象に残っている。
今思えば、孫の手紙を喜んで褒めるなんて当たり前のことなのだけれど、その時は「手紙で好きって言うのもアリなんだ!」そんな風に思った気がする。

その後の人生でも、授業中手を挙げて発表することは出来なかったけれど、作文になら感じたことをありのまま書けたし、面接ではしどろもどろでも、履歴書になら熱い思いを綴ることが出来た。

そして今。文章でなにかを伝えるということが、ほとんどない人生を送っていることに気がついた。
常にリアルタイムで行われるママ友とのやりとりや、娘からの質問攻め、夫との小競り合い。
伝わらない、伝えきれないもどかしさ。
そもそも伝えるべきかどうなのか。
いったいなにを?
あれ、本当に言いたかったことはなんだっけ…?
考えている間にタイミングを失って、行き場をなくした言葉が心に溜まっていく。
でもそうか、文章を書けばいいんだ。

夫に腹が立った夜、メールの下書きに言いたいことを羅列する、というのは結構多くの奥さんがやっているんじゃないかなと思う。わたしもよくやるけれど、翌日見返すと自分でもゾッとするほど辛辣な言葉が並んでいたりする。一応それをそのまま送ることはなく、削って柔らかくして丸めてから投げる。
ただ、一度思いの丈をありのまま全て文章にすることで、自分自身がなにに腹を立てているのかおおよそ理解出来るし、言葉にすることで怒りが手から離れるような感覚がある。自分の言葉になだめられる。

そんなわけで、これからは日々の喜びも悲しみも、感じたままを文章にしてみたいと思う。
一筋縄ではいかない結婚生活のことも、正解のわからない子育てのことも。それが、ものすごく個人的で一時的な思いかもしれなくても。向き合い、受け入れ、忘れないために。そして、いつかのどこかの誰かに届くかもしれないことをほんの少しだけ期待して。なるべく丁寧に言葉を選んで、自分に嘘をつかないことをルールにして。

そうしていればいつか、この「自分の人生このままでいいのだろうか」という問いにも、自分の言葉で答えられるかもしれない。

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