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団地の今

先日、町田の里山を訪れた帰り、自分の育った団地界隈を少し歩いてみてきた。自分は1歳になるかならないかの昭和43年にこの団地に引っ越してきて以来、途中団地内での引っ越しを一度したが、28歳で結婚するまでのほとんどをこの団地で過ごした。

2011年にクロスバイクを買ってからは、今の自宅から約20km離れたこの団地まで何度か自転車で訪れ、その度に写真を撮ったり、懐かしい景色を眺めたり、廃校になった小学校、中学校の校舎を見に行ったりした。

2017年に自転車で交通事故に遭って以来、足が遠くなっていたが、久しぶりに訪れた。

車を商店街の駐車場に駐車し、カメラを持って歩きだした。商店街は訪れる度に閉店している店が増えている印象で、人がほとんど歩いていない…。数年前に久しぶりに訪れた時は、あまりに人がいないので驚いた。自分が子供の時はそれこそ子供達であふれかえっていたが、歩いているのは老人ばかり、高齢化社会の縮図を見ている思いがする。

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自分が高校3年生の時に引っ越して住んでいた建物に向かう。

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ここの5階に住んでいたのだが、ここからの景色は抜群であった。西側に障害物がないので、丹沢を一望でき、冬の晴れた日は南アルプスの真っ白な山をほんの少しだけ見ることができた。南東方向を見れば、横浜のランドマークタワーまで見ることができ、台風一過の夕焼けなど自宅ベランダから素晴らしい景色を堪能することができたので、ここを引き払う時は少し惜しい気がしたくらいだった。

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土地の使い方が本当に贅沢だと思う。見回しても誰もいない。最初に住んでいた建物に向かう。

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幼稚園から小学生の時によく遊んだ通称「黄色い公園」。滑り台が黄色だったのだが、今は青い、ブランコが撤去されているが砂場などはそのまま…。もちろん誰もいない。

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住んでいた建物のすぐ前にこの鉄塔があった。大人になって知ったのだが、この鉄塔は佐久間東幹線といって、静岡県浜松市の佐久間ダムで発電された電気を400本以上の鉄塔を使って町田市にある変電所に送り込んでいる。初めて知った時は、そんな壮大な鉄塔だったのかと少し感動した。

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子供の時に遊びまわった広場、公園は大人になってみると小さく感じるが、それでもこれだけの土地に緑があって、誰もいないのは何とも言えない光景だ。

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小学生の時、逆上がりの練習した鉄棒が残っている。この公園は、「鉄棒公園」、「青公園」あるいは「石公園」と呼ばれていた。石ももちろんそのまま残っている。

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とにかく人がいなくて、たまに歩いてくるのは自分の親世代と思われるような老人ばかり。静かだ。

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商店街の方に戻る。

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スーパー三徳もガラガラ。あまりに暑いのでたまらずガリガリ君を買って食べた。銀行と郵便局には人がいる…。

車に戻り、自分の通った小学校、中学校の跡地を見に行く(小学校、中学校は隣り合わせ)。団地内の少子化で、小学校は2002年3月、中学校は2011年3月に閉校になっていて、校舎だけが残されていたので自転車で団地を訪れる度に写真を撮影していた。2017年に校舎が解体されるというので、その前にも自転車で訪問して写真を撮影した。

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解体が始まった時の母校(2017/6)

今は、小学校・中学校の土地はつながって桜美林大学のキャンパスになっている。「東京ひなたやまキャンパス」という学生の気を引くためのネーミングが付けられている。新しく生まれ変わったのはいいことだろうし、時代の変化を感じるが、母校がなくなってしまうのはやはり寂しいことだ。

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本当に桜美林大学になってしまった

今回、カメラを持って団地内をうろうろして思ったのは、大判カメラで団地を撮影してみたいなということだ。自分は大判カメラを使ったことはないのだが、広い場所で三脚を立てて撮影しても誰も文句は言わないだろうし、何の根拠もないのだが、自分にとっては結構いい写真が撮れるのではないかという気がした。

働かなくてよくなったらやってみてもいいかなリストに入れておこう。ただそのころまで団地が今のままかどうかがわからないが…。

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