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5/5 プリンスナイト東京開催にあたって

プリンスナイトはもうかれこれ30年やっています。
最初は、1994年あたりに大阪は北新地にあったBAR UNDERGROUNDと言うライブも出来て、BARカウンターの中にDJブースがあって踊れるスペースもあるクラブのような箱があったんです。北新地の入り口の非常に良い場所に。そこで大阪のマニアックなプリンスファンが集まってプリンスだけを大音量でかけて踊りまくりプリンスナイトっていうのが開催されていたんです。そのイベントのチラシ(シンボルマークがでかく入っていた)が梅田ロフトに行くあたりの道端の電柱に大量に貼ってあったんです。なんだこれはと思って1枚はがして持って帰ったんです。確かすぐに開催されるタイミングだったので恐る恐るそのBARに行ってみました。僕は当時22歳で北新地のBARで遊んだことなんかなかったのでドキドキでしたね。爆音で1999が流れていてみんな狂ったように歌って踊っていて何かヤバい光景を見てしまったという感じでした。

自分が好きな曲が次々と爆音でかけられていくのが楽しかったので、次の日にまたお店に行ったんです。通常営業のBARタイムでした。DJの前のカウンターに座って飲んだこともないハイネケンを飲んでいました。リクエストを言ってみたんです。そしたら次々に知っている曲をかけてくれました。ブリットポップ全盛期だったのでブラーやオアシスやスウェードなんかかけてもらった記憶があります。その時の店のDJがSUSHIさん(高円寺クラブドルフィン店長)でした。2ヶ月間まるまる毎日BARに通ったんです。1ヶ月本当に毎日行ったタイミングでお前みたいなアホな客は史上初やと言うことで表彰状を作ってもらってもらいました。その日は全て店のおごりで飲ませてもらいましたね。2ヶ月通った時に、SUSHIさんにDJってやったことないんですけどやりたいですと相談したんです。そしたら木曜日が担当がいなくて空いてるからやってよとその場で言われました。その時の水曜担当がONO-CHIN先輩です。ノーギャラだけどフリードリンク。会社員だったので仕事が終わってから木曜に店に入ってDJを始めました。朝5時までやって、家に帰って少し寝て会社へ出勤する毎週が始まったのです。

そのBAR UNDERGROUNDは外国人ミュージシャンが多く訪れることで有名でした。僕がDJやった初日にスティービー・サラスとバンドメンバーがやって来ました。DJブース前で顔を見てすぐスティービーとわかったので「SEXY MF」をかけました。ビール飲みながら踊ってましたね、彼は。DJの喜びって楽しいなあと。
沢山のアーティストの前でDJやりました。ジャミロクアイのJK、マリリン・マンソン、ジョンスペンサー・ブルースエクスプロージョンのラッセル・シモンズ、ジュダ・バウアー、スウェード、エイフェックス・ツインのリチャード・D・ジェームスなどなど。そして、C・ローパーもやって来ました。ちょうど「イマンシペイション」が出たタイミングだったので、「La La Means I Love You」(The Delfonics)のプリンスバージョンをかけたんです。目の前に座っているシンディの顔をチラチラ見ながらずっと足は震えてました。シンディが僕に言った言葉が忘れられないんです。「生ビールと鳥の唐揚げください。」(日本語で!)
その後、僕がシンディが好きそうなレゲエをかけました。そうしたら何と一緒に来ていたバンドメンバーがステージで機材のチューニングを始めました。おいおい、マジかよ。夜中でお客さん、2人。ついにシンディがステージに。何と「WHAT’S GOING ON」を歌ってくれました。ギャラは、ビール1杯と唐揚げ。

そんな思い出の北新地にお別れして、僕は25歳で大阪から東京へ引っ越ししてインディーズレコードレーベルで働くようになります。そのレーベルが運営していたのが高円寺クラブドルフィンでした。すぐにそこでプリンスナイト東京を全く1人で開催しました。その後は、東京で唯一の知り合いだったTAKEさんを誘って2人でやるようになります。毎回100人以上のお客さんで朝5時まで踊りまくってビルのオーナーに店長SUSHIさんがいつも叱られていました。インターネット黎明期のその当時のクラブドルフィンには、全国から沢山のファンが集まって来てくれていました。プリンスナイト前に居酒屋で集合して乾杯してから、DJやってその後に打ち上げを昼までやっていたりしたのは若き頃の良い思い出。その後からはDJはいろいろと増えていって会場も転々と変わっていきます。クラブドルフィンが閉店してからは西新宿カレントでやりました。NPG PrinceサイトのKIDさんや心斎橋RETRO BAR RETOのEIYOUさんも遊びに来てくれたりしてました。新宿歌舞伎町のBE-WAVEが一番長くやらせてもらったと思います。恵比寿や渋谷でもやりましたね。トークショーも沢山開催しました。今となっては日本全国、世界中でプリンスファンがコミュニティパーティをやるようになりましたね。プリンスナイト東京は、今まで沢山のDJに支えられてきました。こんなにずっと全世界でパティが開かれて音楽が愛されているアーティストはプリンスだけじゃない?!

プリンスが旅立って、コロナ禍になって、BE-WAVEが閉店して、FOGGY東村山に変わって、YGG田無に移ったけど先日閉店してしまったので、またFOGGY東村山に戻って来ました。

DJは、私テリー植田(中1が「パープルレイン」)、SHIMZさんとは20年来の友人でプリンス以外の懐かしのナンバーで盛り上げてくれるハズ。DJマロンは女性らしさ光るソウルでファンキーなセレクター、HIROKOさんは新宿二丁目NEW SAZAE( SINCE1966)でスカウトした凄腕です。DJやってない時はずっと踊ってると思います。荒野氏は、僕がクロスビート読者だったこと、プリンス本でもお世話になりPodcastにも出演頂きましたので編集者としてのDJセレクトをぜひ聴いてみたくてオファーしました。

5月5日はプリンスナイト30年分の乾杯を!

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