絵の上手さってなに

絵が上手いってどういうことか考えることがある。
美術展、美術作品を見ても、上手いと思えない絵がある。
ピカソとか。

それは、「俺には伝わらない」からだと思う。
漫画「ブルーピリオド」の美術の先生が「絵は、文字じゃないコミュニケーション」という主旨のことを言っていた。
コミュニケーションが成立していないなら、それは伝え方が下手なのか、受け取り方が下手なのか、コミュニケーションのルールが違うのか・・・いずれにせよ、うまく伝えられていないのは絵の問題でも(俺の問題でも)ある。

伝え方が下手な場合というのは、多くの人が見ても意味を汲み取れない場合で、幼児の描く絵などは、体の使い方、表現、描写の仕方が下手なことが多いために、「何を描いたのか伝わらない」場合がある。


受け取り方が下手な場合というのは、絵の意味をねじまげて解釈してしまったり、受け取り手側のルールがあって受け入れられない場合など。
受け取りて側のルールとは、例えば「女の子は目が大きくなければ可愛くない」と決めつけている場合や、暗い絵は気に入らない、この色はこういう意味、などの思い込みやルールに従って判断してしまい、作者の意図を汲み取れない場合。
あるいは、ちいかわの絵を見ても上手いと思わないが、自分で描いてみると難しく、公式絵の上手さに気づく場合など、自分の技量不足で相手の力量を測れない場合も該当する。

コミュニケーションのルール(プロトコル)が違う場合も、コミュニケーションがうまくいかない。「絵はこのように鑑賞するものだ」という慣習は、人によって違う。文化によっては、使ってはいけないとされるモチーフがあったり、このモチーフはこういう意味を持つのが当然、と決まっていることもある。

このように、上手い絵=伝わりやすい絵 と単純には考えることはできない。
自分の技量、知識不足かもしれないから。

さて、「伝わる」ためには、文化や文脈を共有して演出、描写し、絵がどのようであるか説明する必要がある。
しかし、中世ヨーロッパでバズった絵が現代でバズるとは限らず、当時の人々の文化や文脈、思い込みや知識体系に基づいて「わかる」「いいね」された絵が評価される。

どうやら「絶対的に上手い絵」は存在しないらしい。
そもそも「上手い」「下手」という評価は何かと比べて上手いかどうかを測っているから、相対的な表現だ。

だからと言って評価を諦めようと言っているわけではない。
「俺にとって」上手い絵を「俺が」好きであればそれで良く、別の誰かにとってもそう。

「俺に」「伝わる」絵は、「俺にとって」上手い絵、という主観論で着地してしまった。

「自分の絵なんか誰にも求められていない」と悲観する人もいるようだけれど、「誰かにとって」伝わる絵になっている可能性もある。
逆に、どんなに解剖学的に正しい人体でも、誰にどういう意味がある絵なのか伝わらなければ評価されない。

できるのは、伝わるように表現する努力だけだった。



<蛇足>
「真っ白なキャンバスを置いておくと、人は何かを解釈しようと立ち止まる」と、あえて真っ白なキャンバスを展示する画家がいたとする。
そうして「意味なんかないのに熱心にキャンバスを見つめて〜」と笑う画家がいたとする。
そういうのは意図が「わかる」けど「嫌い」
冷笑系っていうのかな

「意味のない絵」も嫌い。意味ないなら見せないで欲しい

文字でコミュニケーションとる場合でも、斜に構えて冷笑してるやつは気にいらないし、意味ない文字列を口から吐くだけの人もあまり関わりたくない。

「あの人、喋り上手いな〜」って人、どっかしらにいると思うんだけど、
同様に「あの人、絵ぇ上手いな〜」って思った時は、表現力が優れているってことなんだろうと思った。

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