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上場企業役員&中国社長だった39歳の僕が、香港・上海・東京でグローバル起業をするはなし@terry_0904

こんにちは、吉田直史です。(ミドルネームでテリーと呼ばれています)

2020年1月末に上海から一時帰国したものの、コロナ影響で意図せず日本に留まることになり、逆カルチャーショックを受ける毎日です。外部環境の変化が大きい中ではありますが、実はこのたび13年3か月お世話になったアイスタイルを卒業し、起業という形で再チャレンジすることになりました。

在職中は、特に2つの環境下(アイスタイルとアイスタイルチャイナ立ち上げ)で創業期→成長期→拡大期と、現場から経営まで関わらせてもらいました。その中でお世話になった社内外多くの皆様については、本当に感謝の念が堪えません。 

今回は、多くの人に支えられた今までの半生を振り返り、またこれから何をするのかをご報告すべく筆を執りました。想いが溢れて長くなってしまいましたが(15,000字を超えますw)、よければお付き合いください。
(起業の内容が気になる方は後半からどうぞ!)

◆前編:大手からベンチャーへ、もがいた20代

恵まれた大企業の環境を捨て、ベンチャーへ

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大学を卒業し、新卒では大手総合印刷会社に入社。250人もいる同期は優しくて人がいいメンバーが多く、先輩後輩にも本当に恵まれていました。研修をみっちりやっていただき、とにかくすべての業務を「高い品質で」「ミスなく」「スケジュール通りに」進行していくという、細部に渡る管理能力が非常に強くなりました。

最初の配属ではSONYや日経新聞を担当し、広告プロモーションツールや制作物を作っていました。学生時代後半にNTTドコモでインターンしていたこともあり、配属1か月目で新人としては最速の新規案件(パンフレット制作)を受注。しかしあまり褒められないどころか「余計な仕事を増やしやがって」と陰口を叩かれ、ちょっと落ち込んだりもしました。

とはいえ徐々に仕事を評価されるようになり、3年間で3度の部署異動をしながら待遇も向上、オフィスビルも異動のたびにどんどん綺麗になっていきました。同期や元の事業部の先輩からは「お前はラッキーだよな、恵まれてるよ」と羨ましがられたものの、他方で先輩社員が望まぬ異動を命じられているのも横目で見ており、素直に喜びきれない部分もありました。

元々僕は会社が好きだったので、労働組合の若手代表委員をしたり、事業部対抗のマラソン大会や、半年の間土日を使って新規事業を学ぶプログラムに参加するなど、モチベーション高く日々を過ごしていました。生意気だったとは思いますが、多くの先輩にも可愛がっていただき、順調で楽しい20代前半だったと思います。

いつの間にか染まっていた「組織の力学」

ただ、3年を過ぎたあたりから、組織の力学で動いている自分にふと気づいたのです。良い点数を取るために自分の最大パフォーマンスを抑え、チームプレーを重視するような行動、具体的にいうと、チームの来期予算を過度に上げない為に、新規開拓を抑制するような事をしてしまっていた。

だれに言われたわけでもなく、チームの空気として「目標比101%でいいよ」という感じがしていました。僕はもっともっと自分の限界に挑戦して、給料も上げたいし、猛烈に働きたかったので、だんだんとゴールがズレていっているような、空恐ろしさに近いものを覚えるようになっていました。

P&G、Gillette、OMRONなど大手企業との案件を進めながら、自分でも新規案件を獲得できるようになり、「社長賞」「企画賞」といった社内表彰をいただくようにまでなっていた一方で、ちょうどその頃から「自分の未来をもっと刺激と挑戦に溢れたものにできないか」と思い初め、次のキャリアを考え始めるようになりました。

ときは2006年、とにかくITベンチャーの勢いが凄かった。新しいサービスも矢継ぎ早に登場し、Web2.0時代として、ブログ、ゲーム、SNSが大盛りあがりのころでした。ポータルサイトもライブドアのようなベンチャーの台頭が凄まじく、楽天は他社をガンガン買収していて、サイバーエージェントは広告からメディアに張り出している時期、DeNAはモバゲータウンをリリース&当たり始めていて、プロ野球も変革が起きていて、とにかくIT業界が活気に溢れていたのです。同時に同年代の起業家も多数登場していました。

そんな時期に、会社で悶々としていた20代半ばの僕は、池袋のジュンク堂書店の裏に住んでいたことも相まってビジネス本を貪るように読みました。1Kマンションの自室が本で溢れるくらい、ビジネス雑誌も入れると数百冊は読んだと思います。特に人生に影響を受けた本がこちらの3冊。(今読んでも結構おもろい)

実は僕には2004年から今まで付き合っている社外の仲間たち、Hotmanという存在がいます。20代半ばの血気盛んな時期に、社外で出会い、気の合う仲間を集めて最大時は20名くらいで行動していました。ビジネスマン、経営者、政治家など職種も様々な多国籍軍で、この15年で世界の色んな国に視察に行ったし、仲間の起業にもたくさん付き合った。

あああ

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2004年に早稲田MBA講座の朱教授とのご縁で仲間と上海視察に行った経験が脳裏に焼き付き、2012年の上海渡航にもつながっています。若い時にガンガン行動するのは絶対にプラスでしかないので、本当にオススメです。

本を読み、尊敬できる友人たちと話しながら刺激を受けているうちに、「今の環境も恵まれているけど、やっぱり自分の限界に挑戦したい。いつかはこういう起業家・経営者になりたい」という想いがふつふつと湧いてくるのを感じました。

そこで、とりあえず友達がいるベンチャーに片っ端から突撃アポをくりかえし、毎週のように社長の話を聞きにいくように。結果的にそのときのご縁でいくつかオファーを頂き、P&Gを担当した経験から「美」は人の恒久的欲望のため一生無くならないだろうと、アイスタイルグループに転職を決意しました。

実は退職願いを当時の本部長に出した時、「こんなに良い会社を辞めて、名も知れない環境に行くお前の気持ちが全く分からん」と罵倒され、送別会もされず、誰からも見送りされず、ひっそりとオフィスを去ることになりました。4年弱の努力やコミットを、すべて裏切られたような気がして本当に悔しかった。

ただ、今思えば「今に見てろよ」というこのときの気持ちが、その後の原動力になったのだと思います。この悔しさがあったから、「アイスタイルで絶対成功してやる!中途半端に辞めて本部長に笑われたくない!」と心にピン止めをして、頑張ることができました。その意味で今は本当に感謝しているし、いつか美味しい酒でも飲みながら当時のことを話したいとさえ思っています。

アイスタイル上場時の「虚しさと悔しさ」が、新規事業の原動力に

2006年、希望とやる気に胸を膨らませアイスタイル(当初はグループ会社の「アイメディアドライブ」)に入社したわけですが、当初は「転職して失敗した」とさえ思うほど、自分に絶望する毎日でした。特にはじめの半年はなかなか結果が出せず、周囲の視線も冷ややかで、受け入れられている気もしなかった。

ただ、「アットコスメプレミアムフェスタ」というイベントの企画起案から実行までをやりきり、会社に収益的にも経験的にも価値を出せたことで一つの山を越えることができ、仲間との信頼や成果も徐々に積み上がっていきました。

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(▲アットコスメプレミアムフェスタの様子)

その後、アイメディアドライブは業績下降やJVゆえに株主方針が合わなくなり、2009年に解散。「アイスタイル」での業務に邁進していくこととなりました。アイスタイルでは、B2B SAAS事業「ブランドコミュニティ(現:ブランドオフィシャル)」の初代営業部長を務め、同僚にも恵まれ、会社はどんどん成長し、2012年にマザーズに上場することに。

もちろん上場は喜ばしいことである一方で、鐘を鳴らすのは取締役以上であり、部長という中間管理職は現場でそれを見ているだけ。東京証券取引所で感じたのは正直なところ「虚しさと悔しさ」でした。

新規事業で成功して、自分たちが主役となって仲間とともに輝きたいと、一層メラメラしたことを覚えています。

草野球ベンチャー「ルクサ」の創業に参画

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時は2年ほど遡りますが、かねてより親交のあったビズリーチ(現:株式会社ビジョナル)社長の南さんと、元トレンダーズ常務の郭さんと3人で恵比寿で飲んでいたときに、「今グルーポンビジネスが熱い!これはちゃんとやれば儲かりそうだ、とりあえず草野球ベンチャー的にやってみよう!」という話になり、そのまま事業を起こしたことがあります。

リクルートや大手広告代理店、フリーランスなどの仲間が続々と集まり、毎週末+平日数回目黒のデニーズで激論を重ね、企画書を書き、ネーミングをLUXA(ルクサ)に決め、サイトを作り、顧客を集め、テスト販売を行い、PRでメディアに取り上げられ、六本木の「アークヒルズカフェ」でサービスローンチイベントをやり、VCとの資金調達会議に同席して・・・と、構想から実行までわずか半年足らず。まさに「怒涛の勢い」で、その衝撃をいまでも鮮明に覚えています。

本業とLUXAとの両立を諦めることなく、夜から朝まで仲間たちと寝る間も惜しみ、全員が全力でコミットしてやり遂げるという熱狂環境に身を捧げたことは、たかが半年ではあったが、その後の新規事業立ち上げで大いに役立ちました。草野球ベンチャー最高!

「事業家として成長したい」と思う全ての人に伝えたいのは、読書よりも、成功体験を持つ事業家の傍で新規事業立ち上げに悪戦苦闘する日々のほうが100倍効果があるということ。社外でのガムシャラな経験を与えてくれた南さんにはこの場を借りて心から感謝申し上げたい。

飲み会で突如訪れたチャンスに、迷わず手を上げた

2010年当時、上司の高松さんや部長陣と飲んでいた際に、「ポストIPOを見据え、海外事業展開を考えている。Planは何も無いけどやりたい人いる?」と言われ、迷わず「やらせて下さい!Planが無いなら僕が作ります!」と言ったことが人生の転機となった。

そのときは中国の2文字は頭の中にまったくなく、海外事業って何を?どこで?いつやるの?という状態。しかし2005年にhotmanで上海視察に行ったときに感じた、現地の人々の温もりや気持ちいいほどの率直さ、また「経営者になりたい」という志で大手からベンチャーに転職を決めたときの高揚感が蘇り、気づいたら手をあげていた。

そこから、営業部長をする傍ら、一人海外事業推進室を立ち上げさせてもらい、顧客ヒアリングや現地視察など、海外事業展開のために休みなく働いた。土日も朝から接待ゴルフをして、夕方から会社に行き、深夜に会議室ソファで寝て、朝シャワーを浴びに家に帰り、午後また出社という、今から思えば超絶ブラックな生活をしながら、必死に準備を進めていました。

どうせやるなら、ポテンシャルの大きい市場に張りたい。それを考えると台湾や香港、ASEANではなく、米国、中国、インドがよさそう。その中で化粧品マーケットを考えても、明らかに米国やインドより中華圏のほうが上昇が期待でき、日本製品との相性も良い一方で中小ブランドが進出できずにいたところに目を付けました。

「@cosmeで人気で、まだ中国では知られていない化粧品を展開したら、大きなビジネスチャンスになるのでは?」でもどうやって広めるか、そこまでは分かりませんでした。ただそのプロセスの一端を担い手がかりさえ掴めればいずれ大きく拡大できるだろうと、まずは進出支援の一環として中国販売許認可を代行して取得するビジネスに決定。中国商務部研究院と中国出入境検査検疫協会との合作事業契約を北京で交わし、メーカーさんを誘致し、事業開始に至りました。

かかか

いいい

(▲2011年冬の北京、政府機関との調印式を終えて。本当に寒かったw)

言葉も人脈も中国経験も何もない自分に、5000万円の資本金を託し「資金がなくなったらゲームオーバーね」と言ってくれた、当時マネジメントの吉松さん、菅原さん、高松さんには生涯頭が上がらないし、僕も将来は大胆に人にチャンスを与えられる経営者になりたいと心から思っています。

◆中編:激動の8年間、中国駐在社長時代

必死に準備した事業計画は政治問題で吹き飛んだ

えええ

片道切符で中国に到着し、最初のオフィスは50㎡ほどのワンルーム。

そこから地道に売上をつくり、徐々に体制も増え、創業事業を伸ばそうとしていた矢先に起こったのは、日本政府が尖閣諸島を国有化するという発表でした。当然ながら中国はそれに猛反発。

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中国政府との許認可取得の代行合作には断りの連絡が入り、苦労して立ち上げた事業計画は全ておじゃんに。仕方ないので現地でゼロから事業計画を作り直すことになりました。歴史的にどちらが正しいとかではなく、中国の持つ建前と本音、表と裏、メンツ問題とはこういうものなのか、と強烈に経験することになった出来事でした。

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(▲強がってこんな投稿もしたが、本当はめちゃくちゃつらかった。)

上海テレビ番組の総合プロデューサーに就任

その後しばらくして、知人からの紹介というご縁で上海テレビ局の方と知り合い、企画を売り込んだところ「時間がない、何ができるんだ?」と一蹴。しかし、挫けず何度か提案を繰り返すうちに、『日本のコスメランキングや最新美容ハウツーを提供する、美容情報バラエティー番組』という企画に先方社長が反応し、であれば共同出資で制作しようという流れに発展した。

まずは企画協力をいただけるスポンサー探しと編集協力をいただくメーカー行脚の日々、そして、毎日TV局の制作スタジオに入り浸り、台本作りと撮影を繰り返し・・・

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ききき

出来た番組がこちら、「淘最可思美(タオズイコスメ)」(※意味はコスメのランキング情報を毎日知れる、美容情報バラエティー番組)

2012年6月から2年間、平日は毎日21:00~21:20までの20分番組が放送され、副次的に@cosmeも中国全土に大々的に露出することが出来ました。

ななな

(▲僕も番組プロデューサーとして名前を載せて頂きました)

(▲上海で実際に流れていた30秒のテレビCM)

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(▲日経新聞の朝刊に掲載いただくような反響もいただいた)

ただ、ここから中国ビジネスの恐ろしさを知る事に・・・。

経営者としての能力不足、チーム崩壊と撤退危機

出だしは好調に思われたテレビ番組ですが、突如番組メインMCが不倫スキャンダルに巻き込まれ降板、また@cosmeランキングが情報操作だという指摘により、北京広電総局(電波の大元締の政府機関)からの番組停止要求が発生し、番組放映後8か月目で1か月の放映中断に。

番組タイトルの変更や番組制作費の高騰など、度重なる『コントロール不能現象』も増え、工数の割に利益が出ない、視聴率と広告効果を可視化出来ないなど、伸びる@cosme知名度とテレビ番組収益が比例せず苦しい状況が続きました。

2014年に春節休暇から戻った際には、なんと社員の半数から退職届が提出される事態が発生。あのときはメンバーたちに事業の未来を感じさせることができず、毎日オフィスに行っては孤独に苛まれていた。つまるところ、僕の経営者としての能力不足だった。

そのころ、本社から後輩の倉島が「吉田さん、俺上海行きます」と入社を決断してくれた時の嬉しさと言ったら、平静を装っても隠し切れないくらい裏で涙していた。(戦闘の最前線に同志が駆けつけてくれるとでも言うのだろうか。)
あの時あの決断をしてくれた彼には、今でも本当に感謝しています。

くくく

(▲後輩の赴任日、上海で一番夜景がよい外灘ペニンシュラのBARへ)

とはいえ業績不振が続く中で、本当に苦渋の決断ではあったが、インターン生や一部の社員には転職していただくこととなった。そのおかげで会社は潰れずに生き残ることができ、次の可能性に賭することができた。あの時の仲間達には、いつか必ず恩返しをしたいと思っています。

ベンチャーは2年半で勝ち筋を見つけ、5年で結果を出せ

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信頼できる仲間に恵まれ、少人数体制に戻し、何とか資金繰りのやりくりをしながら、次の可能性を模索する日々。そのころ心の支えになったのは、2012年に上海で社長の吉松さんから言われたいくつかの言葉でした。

・ベンチャーは2年半で勝ち筋を見つけ、5年で結果を出せ
・勝ち筋とは自信。まずは『これヤバイっす』を見つける事
・上司を見て仕事するな。現場のお前が正しいと思う事を貫け
・直観は得てして正しい
・出会いをモノにできない経営者はダメ。一打席一打席が勝負

8年の経営経験で幾度となく、岐路に立たされたことがあったが、その度にノートに殴り書きしたこれらの言葉を見返し、強い気持ちで立ち向かってきた。修羅場を乗り越えて成功した経営者の言葉にはたぶん魔法が掛かっていて、僕ら実行者に強烈なパワーを与えてくれます。

これがあったから、2014年当時まだまだ信憑性が怪しかった「越境EC」というビジネスに、自信を持って「YES!やりましょう!この事業はいけます!」と言えたのだと思うし、だからこそ吉松さんはじめマネジメントの器が挑戦者の気持ちを汲んでくれたのかなと。4度目のピボットでようやく底辺を脱し、上昇気流に乗れたタイミングでもありました。

業績は伸びる一方、組織の成長痛に悩む

2014年の夏から情報収集をはじめ、秋には社長・取締役に中国に足を運んでもらい、12月に越境ECのテスト販売に成功、同月末に子会社を設立し、翌年1月には、Tmall Global店舗開店を含めた、中国EC事業を正式に開始することになりました。

そこからの数年は本当に怒涛で、業務提携やイベント登壇、記者発表など、市場の拡大と共にビジネス規模も急激にサイズアップしていきました。

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(▲Miyaというベビー用品大手ECの忘年会イベントに呼ばれたとき)

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(▲米ナスダック上場企業のMogujie(ファッションコマース)と事業提携。写真右は陳CEO)

けけけ

(▲中国版instagramと言われる「小紅書(RED)」とは創業時から数々の事業提携をしてきた盟友)

こここ

(▲越境ECブーム時にはニュースゼロやフジテレビ夕方のニュースにも)

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(▲2017年インバウンドジャパンという観光イベントでは、錚々たる方々との登壇機会を頂き、生涯忘れられない経験に。自分の上が内閣官房長官w)

(▲その他にも、たくさんの貴重な経験をさせて頂きました)

一方で、組織の拡大に伴う成長痛には再び苦しむことになる。当初10名ほどだった組織は5年で70名近くになり、組織は30名、50名、100名の壁があるとよく言いますが、まさにその壁に悩む日々でした。

業績はどんどん上がるのに、なぜか退職者は増えていく。かつて業績不振で多くのメンバーを失った自分は、業績が伸びて会社に未来を感じさせられればメンバーはついてくると勘違いしていたのかもしれません。

日本からダイレクトに入社してもらった日本人の中間管理職が、部内の反発によって部下の半数が退職し、当の本人も日本に戻ったきり「上海に帰りたくありません」と職務放棄されたことも。あの時ほど、自分のマネジメント力の欠如、中国人組織を束ねる長としての無力さを感じたことはありませんでした。

しかし、2014年の組織崩壊も経験しているからこそ「転んでもタダでは起きない、今こそ自分も会社も変わる・変える時だ」と奮起し、自分が持っていた裁量をどんどん部下に権限委譲することに。組織の輪を乱していた人事Mgrには辞めてもらい、社内制度を見直し、週例、人事制度、評価制度、採用褒章制度、四半期表彰制度、服装規定、出勤規定など様々な仕組み・ルールを導入し、副部長以上とは特に頻繁に経営合宿を行い、組織のリーダーとして自他ともに公言させ愛社精神を認識してもらうよう促しました。すると3か月後くらいからでしょうか、みるみる組織の雰囲気が変わり、結束が強くなっていきました。

そんな中国組織における文化作りで1番重視したのは、社員全員で楽しめるイベントを増やし、「チームワーク=発展の源泉であり正義だ!」の理解浸透に努めた事。とりわけ、四半期毎、通期毎に行うチームビルディング活動は、手前味噌だが本当に愉快で、上下関係を超えて交流できる良い機会でした。

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(▲2015年、チームビルディング第1回:公園でドロケイ&ドッジボール)

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(▲2016年、会社業績達成旅行としてみんなで韓国の済州島へ)

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(▲2017年、会社業績達成旅行としてみんなで長崎・熊本へ)

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(▲2018年、会社業績達成旅行としてみんなで神戸・大阪へ)

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(▲2019年、チームビルディングの一貫でBBQ)

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(▲2019年、会社業績達成旅行としてみんなで浙江省宁波へ)

日中経営者仲間達との交流が増え、挑戦心が再燃

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(▲上海・北京の同世代経営者仲間たちと)

最初は全く話せなかった中国語も、自分の好奇心とビジネス面での必要性に応じて徐々に慣れてきて、それこそチャットや電話、面接、講演と、だんだん出来ることも増えてきました。

新たな言語習得において、パーフェクトに、綺麗に話す必要はないと思っています。ただリスニングはすごく重要で、何を話しているかが分かれば、あとは意味が伝わる簡単な単語を並べれば文法が多少おかしくても大体伝わる(外人なので多めに見てもらえる)。そこに気づいてからは、業界のキーマンも臆せず飲みに誘い、頻繁に交流させてもらいました。

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▲特に親しくしているSina Weibo創業者で元副社長のLu Yi氏。今はWeibo役員を退任し、エンジェル投資やファンド業、不動産業などをしながら、カナダのバンクーバーに住んでいる。彼は同じ80年生まれで、色んな経営者仲間とのご縁をつないでくれた大恩人。

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▲中国最大手MCN(日本で言うYoutuber事務所のUUUM)「美ONE」CEOであるQi Enqiao氏(右)。中国No1KOLの李佳奇(Austine)の所属事務所としても有名。起業前から良く飲んでいたが、ここ2年アポが取れないくらい忙しい。投資しとけばよかった!(笑)

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▲エスティローダーChina→ハーバードMBA→「小紅書」副社長→起業というルートで突き進んでいるLou Elaine氏。初めて彼女と会った時の洗練されたスマートさは、他中国IT企業とは一線を画していた。めちゃくちゃフランクで、チャーミングでストレート。「小紅書」をグロースさせ、まさにこれから絶頂期を迎えるだろうタイミングでの退社には本当に驚いたが、「小紅書は創業者2人の子供、私の子供ではない。あの2人とは近いようで遠い距離がある。だから私は自分の足で立ちたい」という退職理由には痺れた。そして深圳で起業したアパレルブランドも順調そう。

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▲KOLと言う名称は彼女から生まれたと言っても過言ではない、著名KOL兼ブランドオーナー兼米ナスダック上場企業「Ruhan」経営株主のZhang Dayi氏。彼女はめちゃくちゃチャーミングでストレートで頭脳明晰、芯が強い。ここでは書ききれないし、面白いコンテンツになりそうなので別記事でw

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▲中国著名エンジェル投資家でZhen fund代表のXu Xiaoping氏。
「American Dreams in China」という有名な中国映画の題材になった「新東方(米ナスダック上場企業、時価総額約2兆円)」という教育ベンチャーの共同創業者。Zhen fundは彼とセコイアキャピタル等で共同設立したシード向けファンド。同社投資案件は当時越境EC が多く、彼の北京宅(国貿パークハイアットのレジデンス)に招待頂き、熱く助言された事は記憶に新しい。

他にも挙げるとキリが無いが、このような同年代の仲間たちと話す度に、彼らが見てきた景色、見ている景色を自分も見てみたいと思った。一方で、なぜそんなに良い会社・立場を辞して、挑戦するの?どうせやっても無謀じゃないか?と何度も考えた。

見かけによらずビビりな僕は、中国ビジネスが面白すぎたというのもあるが、13年かけて現場(いち担当)から少しずつ結果を残し、子会社社長と本社役員の座まで登ってきた。日々大きくなる責務とプレッシャーはありながらも、マネジメントや株主からの期待に応え続けて結果をだせる自負もあったし、納得できる「よい人生」を送れるのはないか?と何度も自分を正当化した。

もう満足だろ?40代もこの延長で良いじゃないか、現職でさらにドライブかければいい、何を焦っているんだ、彼らのように挑戦する事がハッピーなのか?そもそも自分に出来るのか?飛び出しても成功できるとは限らないだろ?安住の地位と立場を捨てる必要があるのか?裸一貫で勝てるのか?何度も何度も自問を繰り返し、最終的に出した答えは、「それでもやってみたい。まだ見ぬ景色をみてみたい、裸の自分と仲間でどこまでマーケットで通用するのか挑戦してみたい。」

自分がオーナーとして、ヒリヒリした環境に身を投げ、仲間と共に、信頼してくれる顧客やパートナーのために必死になる。Elaineが言っていた「自分というブランドをマーケットに問うてみたい」、それは僕の抑えられない感情の叫びでもあった。

2019.3.1会社役員メンバーの中国深圳経営合宿の最終日、香港にて吉松さんに直接伝え、了承を得ました。アイスタイルでの13年間を思い返し、様々な思い出や感謝、そして育ての親を裏切るような申し訳なさで、話している間はずっと涙が止まらなかった。これは38年生きてきて初めての経験でした。

現地メンバーをはじめ、関わって頂いたすべての方へ

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そこから2020.2末に正式退社をするまで丸一年。立場柄なかなか人にも言えず、手も緩められず、部下にも態度を変えることなく接している事自体、罪悪感と申し訳なさが先行し、本当に悶々としていました。やっと口に出して共有を許されたのが2019年末、全社員には2020年1月9日。この辺りにはもう涙腺が崩壊し続け、何とも情けない姿を見せていたと思います。

それでも、嘘偽りのない愛情で社員と向き合い、顧客と接し、会社の業績に貢献すべく努力してきたつもりだし、8年の在任期間、会社のカネも厳しく管理し、不正を持ちかけてくる輩もそれなりにいたがそのような誘惑を断ち切り、「ダークサイドには落ちないぞ、信頼を失ったら自分に何が残る」と襟を正す事で、社員の模範になれるよう努めてきました。

正直に言って、厳しいリーダーだったと思います。反省も本当に多い。もっと社員を褒めてあげればよかった。顧客にもっと向き合えば、さらなる価値を提供出来たかもしれない。本社メンバーとももっと交流して、僕の稀有な体験を後輩にもっと伝えていけばよかったとも思います。

しかし結果的に、1月中旬の忘年会では盛大に送り出してもらうこともでき、みんなの人生の中で少しでもいい時間を共有できていたとすれば非常に嬉しい限りです。いただいたメッセージビデオは、一生の家宝にします。

(▲メンバーたちからの送別会、非常感谢你们!永远支持你!)

改めて、最後まで応援して送り出してくれた仲間たちに感謝の言葉を伝えたい。そしてマネジメントメンバー(CEO、CFO、SVP)の吉松さん、菅原さん、遠藤さん、濱田さん、VPの皆さん、グローバル本部やISTD、広報、IR等アイスタイルで関わって頂いた皆さん、13年3か月本当にありがとうございました。

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◆後編:TIERRAS(ティエラス)を香港・上海・東京で創業

社名は、TIERRAS

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「Internetを活用し、アジアを照らす羅針盤のような存在を目指す。」そもそも日本から中国に渡ったとき、「将来アジアを照らす(TERAS)存在、事業者になろう」と固く決意しました。そこから、インターネットを活用(I)+アジア(AS)+照らし(TERAS)+時代を創る(ERA)。これらの意味を合わせて、TIERRAS(ティエラス)と名付けました。

ロゴのモチーフはレーダー。「時代の流れ、成功への道筋、悩みの中『その先へ』進む確かな指針を示すブランドインキュベーター集団であること」を象徴させています。円の中にはTIERRASすべてのアルファベットを表現し、アイコンの色は、光が差し込み始める夜明けごろに空を覆う、瑠璃色を使用。

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社名とCREDOの関連など、他にもお伝えしたいことはたくさんありますが、それはまたの機会に。気になって頂いた方はぜひ会社HPもご覧ください!

一連のコーポレートブランディングは、15年来の親友で広告会社のクリエイティブディレクター経験を持つKちゃんに助けてもらいました。Kちゃん、ほんまにありがとう!

また、Webサイト制作は、たくさんの我儘をきいていただき、また素晴らしいクリエイティブ・デザインワークを披露いただいた上海メタフェイズ様。総経理の塚田さんには大変お世話になりました。めちゃくちゃおススメの会社です。

日中消費財ブランドのインキュベーション支援をします

(さらに、ゆくゆくは自社ブランド展開もしていきます。)

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日中消費財ブランドの国際化・育成に特化したインキュベーション・プラットフォーム‘TIP ’(‘TIERRAS Incubation Platform’)のサービス化を通じて、海外事業における7大リスク(※)を抑え、事業展開の成功をサポートしていきます。

第1弾のサービスは、中国消費財市場において知見とノウハウを持つ企業群と提携し、顧客ブランドが中国進出におけるリスクを抑制しながら最大効果を発揮できる事を目標に、中国市場でのブランド発展を推進できるサービスを提供してまいります。(ローンチ前のテストマーケティング等、数社お声がけさせて頂きます) 

サービス開始時期については2020年秋を予定しています。
(コロナ禍での国境横断スキーム構築なので、実証に時間を使います)

※7大リスクとは:言語、文化(商習慣)、ヒト(人材)、モノ(在庫)、カネ(資本)、運営、情報のこと

「メイドインジャパンだから売れる時代」の終焉と、
「CX(China Transformation)化・元年」の到来

起業を志した時、これまでの社会人人生16年を振り返りました。
前半8年(2003-2011)は、日本で消費財ブランドのマーケティング支援に、後半8年(2012-2020)は、中国で日系消費財ブランドの販売支援に携わり、そこで感じた大きな2つの課題があります。

1.中小ブランドの海外市場での成功は、どんどん難しくなる
2.正しく中華企業と提携し、活用出来ている外資企業は少ない

2つの事例をお話しします

さささ

事例1)▲この表は、日系ブランドSの中国EC市場(Tmall/Taobao)での2018.10-2019.9における販売データ(販売量/小売流通額)ですが、緩やかなダウントレンドになっています。※ECの季節要因は多少関係するものの

ししし

しかし、同商材のカテゴリー自体の規模は、2019.3~もの凄い勢いで伸びているのが見て取れます。なぜか?

すすす

19年3月以降、中国ブランドAが市場を席捲し始めた為です。▲上の表は19年6月単月の販売データですが、同月だけで106万個の販売がされています。日系ブランドSも18年6月はカテゴリーTOPでしたが、それを格段に超えられてしまい、6月同カテゴリーの売上TOP10の半数が中国ブランドとなりました。

せせせ

事例2)▲上記表は、19年Tmall(一般貿易EC)年間売上上位のコスメカテゴリーTOP20ですが(19.1~11末までの11か月データ)、第1位は中国産のメイクアップブランド「Perfect Diary」。2016年ローンチしたばかりの新興ブランドですが、2019年Tmall売上のみで280億円、直近2020年5月の時価総額は約2,100億円に達しています。また、同TOP20を見ると中国産が8社。2018年が3社だったのに対して、266%増。 

消費財ブランドが中国で成功するのは確かに難しい。他方、今後10年、30年、50年スパンで考えていくと、中国市場攻略はすべての企業にとって必須不可欠になっていきます。それは好き嫌いではなく、人口・市場規模・成長率の3点において、大きいところに張ることは経済成長の鉄則でもあるからです。

そそそ

(▲youtubeでもバズっていた、2030年の世界GDPランキング予測。こうなる日が来るとは限りませんが、ビッグトレンドとして準備しておいて損はないです)

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▲この表は、18年末の大都市別人口データですが、多くの方が成都+重慶で4,289万人もいる事を知りません。ECだけをやっていると見落としがちなのですが、都市部よりも出生率が高く、可処分所得が高い方も多く(物価や不動産が安い為)成都の中心地にいくと購買意欲が旺盛です。

コロナ後にどう変わるかですが、東京から約3,000㎞、フライト5-6時間でリーチ出来ることを考えると、大変魅力的な市場が近くにある事に気付きます。’中国’と一括りにするではなく、各都市を国家と捉え、戦略立てて緻密に攻めていくと大手や競合を出し抜けるチャンスは大いにあります。

そんな巨大市場に対し、我々外資がやっていかないとならない事は、
CX化(China Transformation)とD2CN(Direct to Chinese Consumer)。

競合はなにも中国産ブランドだけではありません。欧・米・韓・豪など世界選抜ブランドも参入し、戦国時代の様相を呈しているとさえ感じます。中国人消費者の志向やニーズを分析・把握し、いかに自社ブランド・商品をアジャストさせていくか。「メイドインジャパンだから売れる」というのはとっくの昔の話で、「メイドインジャパン+付加価値」でも足りず、自らそのものを現地化し、トランスフォーメーションしていく覚悟としたたかさが必要かと思っています。

変化に挑戦することで、新しいチャンスが必ず訪れる

たたた

僕の好きな言葉に、
「好機(chance)は、変化(change)に、挑戦(challenge)している者にしか来ない、3つのCHを軽んずるな」というものがあります。

「チャンスをつかむ為には、常々チャレンジしなくてはならないが、その為には、昨日と同じ自分であってはいけない。自分自身をチェンジして、成長させ、挑戦することで始めてチャンスをつかむことが出来るのだ」

今回コロナ危機時に起業と言う選択をしたのも(結果論ではありますが)、変化に挑戦する事で、新しいチャンスが訪れる(引き寄せられる)と信じるから。今後間違いなく世界各地、産業ごとに大きなうねり、ゲームチェンジが起こるので、(chanceという波を見つけ、乗っていくためには、温かい部屋を抜け出し、例え嵐の中でも入水する覚悟を決め(change)、ひたすら沖に向かってパドリングをしていく(challenge)必要があります。

然るべきタイミングで沖にいないと、乗りたい波には乗れません。逆に沖にいるからこそ、能力が無くても掴める波があります。

それは、2014年自分が越境ECに早期チャレンジできた(波に乗れた)のも、2012年から苦汁を舐めながらしぶとく中国で生き残り、目を光らせて沖にいたからという原体験からも起因しています。

今後チームTIERRASは、様々な取り組みをしていきます。「消費財ブランドの国際インキュベーター」を語る身として、支援だけでなく自社事業創出にも注力し、自らもブランド開発やブランド投資に傾倒する事で、顧客に寄り添い、価値の高いサービスを提供できるグローバルスタートアップ、プロフェショナル集団を目指します。

最後に

ここまで1.5万字超の長文を読んで頂き、厚く感謝を申し上げます。
現在、TIERRASと一緒にグローバル市場(特に中国)で果敢にチャレンジしたいと思ってくれる、日本チームの創業メンバーを絶賛募集しています!

【募集ポジション】
●COO候補
●アカウントエグゼクティブ Mgr
●消費財 商品企画 Mgr
●管理 Mgr

日本チームは、消費財ブランド向けのコミュニケーション窓口、また自社事業を含めた様々なサービスの開発を私と進めていただきます。事業も組織もまさにこれからのフェーズなので、一緒にチャレンジをしていきたい方をお待ちしています。業務内容含め、ぜひお話の機会を頂けると嬉しいです。

【連絡先】(お気軽にご連絡ください)
Facebook:https://www.facebook.com/tadashi.yoshida.52
Twitter:https://twitter.com/Terry_0904
Wechat:tada444
E-mail :yoshidat@tierrasinc.com

ちちち

本気で弊社ビジョンに共感し、アジアを代表する消費財ブランド群を日本と中華圏から創出していきたいとの想い溢れ、下記に当てはまる方が居たらぜひ。

・時代を変革するグローバルスタートアップを日本と中華圏で創りたい
・法人営業経験、オペレーションマネジメント、バックオフィス構築などの
 経験がある
・中小ブランドを世界に羽ばたかせたい、仕掛けと仕組みで育成したい
・消費財の商品企画経験がある、もっと大きな海外市場向けに取り組みたい
・将来経営幹部になりたい、経営者になりたい
・人生もキャリアもグローバル化させたい
・とにかく主体性、当事者意識、行動量なら負けないという方

※応募段階での中国での勤務経験や語学力は問いません。自分自身がかつて中国でチャレンジした時もそうでした。
また、同時並行して上海チーム(並行組成)や顧問アドバイザリーチーム(これから更に増えます)も非常に有能な仲間ですので、どんどん吸収して、強いチームを共に創っていけたらと思っています。

ははは

【連絡先(再掲)】
Facebook:https://www.facebook.com/tadashi.yoshida.52
Twitter:https://twitter.com/Terry_0904
Wechat:tada444
E-mail :yoshidat@tierrasinc.com

コロナ時代に産声を上げ、人の往来が難しい今だからこそ、グローバルスタートアップに挑戦する!将来を見据えた今こそ、最難関の中国ビジネスに挑戦する!という逆張り発想に、面白い!と思っていただける皆さんからの連絡をお待ちしています。

長文お読みいただき、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします。

                     2020年7月1日 吉田直史拝

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