「愛」から生じる神様の裁き
老若男女問わず、これまで生きてきた中で
誰からも怒られたことがないという人は皆無だと思います。
両親や友人といった親しい間柄はもちろん、
学校の先生や職場の上司といったように
何かしらの人間関係が築かれた時点で、
相手から怒られる可能性は自ずと生まれます。
本来であれば「そこを直してほしい」
「もっと頑張ってほしい」という思いを込めて怒るわけですが、
自分のストレスのはけ口として
何度も不条理な怒りをぶつけてくる人も少なくありません。
それに反発する人もいるでしょうし、
逆に反発できずにうつ病などの精神疾患にかかってしまい、
自殺という最悪の結末を選んでしまう人も大勢います。
このように、人間が発する怒りは感情に支配されがちですが、
神様が発する怒りにはそういったバイアスは存在しません。
「御言葉に従順に従っているかどうか」
この点を重視され、
従っていれば祝福を与え、
従っていなければ裁きが下されるという
いたってシンプルなものなのです。
私もこれまで裁かれた経験は何度もありましたが、
その中でも過去最大とも言える裁きを受けたことが最近ありました。
何も知らない人からすれば、
見た目には特に何も変わった様子はなかったと感じたでしょう。
しかし、心の中ではとても大きなショックを受けていました。
その度合いは、勤務先が急に倒産してクビになったとか、
自宅が火事や天災で全壊したといった
人生を変えてしまうような大きな災難に匹敵する、
あるいはそれを上回るものでした。
即座に「このままではいけない」と思い直して
御言葉の復習や聖書を読み返すなど
生活習慣を悔い改めていく中で、
次の朝会の配信を聴く機会がありました。
改めて神様の愛の深さに感銘を受けて
「もっと神様のために頑張らないといけない」という思いを抱きながら
「これからも御言葉を学ばせてください」と祈り続けていたところ、
神様はその願いを聞き入れてくださいました。
それが分かった瞬間は、
これまで以上に胸が熱くなり、
これまで以上に豊かに喜びがあふれ出てきたことを
感じずにはいられませんでした。
その感覚は、世の中における「ツイてる!」「ラッキー!」といった
一瞬でしか得られない喜びとは比べ物になりません。
神様は基本的に私たち人間を愛されていますが、
基本的に人間は痛い目を見ないと
考えを改めない生き物だという事もご存じです。
そして今、日本だけではなく
世界中が混乱に見舞われています。
それが神様による裁きであることは
すでに示されています。
そしてそれは、本当に幸せな人生を歩んでほしいという
神様のどこまでも深い愛から生じた、
いわば人類へ向けての叱咤激励なのです。
一人でも多くの人が神様の愛に気付くことができるよう祈ります。
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